佐々木閑のYoutubeシリーズを見ていて思った。

氏は釈迦の教えを一言で言うなら諸行無常だという。

 

佐々木氏は釈迦の教えでさえ諸行無常と捉え、いずれ滅びると言う。仏教は万人向けの宗教ではないともいう。そして何より、わたしなるものはひと時の五蘊の集まりに過ぎないと。

紀野一義氏は虚しさを突き抜けた先の空だという。また、人生は肯定、肯定、肯定だと。

立川武蔵氏は空にはひと時も住むことはできない、この娑婆に戻らねばならないと言う。

幼年期の終わりではアーサークラークは地球上から全ての思想哲学的宗教が消え去り、東洋の素朴な宗教だけが残ったと印象的に締める。

 

夢も希望もない突き放し方ではないかと思うが、四氏はその先にある虚しさを突き抜けた世界を釈迦の悟り、仏教の悟りと捉えている。おそらくこの四氏に連携はない、生きた時代も違う。しかし奇しくも同じ結論に達しているように思う。

 

このことが心底理解できればわたしも一皮剥けるのだろうな。いや そんなわたしも実は存在しない。

三島由紀夫の豊穣の海の言葉 そんなお方は元々存在しやはらへんのと違いますか。がリフレインする。

 

特筆すべきは紀野一義氏だ。人生は何があろうと肯定、肯定、肯定だとおもいきれ。確かにそうだなと思う。

諸行無常も肯定する。

 

この先に大乗の萌芽がありそうだ。