米国とイランの軍事衝突によって、これまでほとんど意識されてこなかった世界の急所が顕になった。
ホルムズ海峡といえば、原油やLNGの通り道として知られてきた。しかし、その海底にはもう一本の大動脈が走っている。世界のクラウド、金融、物流、行政、軍事を結ぶ海底光ケーブルである。
新しい弱点が生まれたのではない。以前から存在していた弱点が、戦争によって可視化されたのである。
インターネットは分散型のネットワークだから、一部が切れても別の経路へ迂回できる。私たちは長くそう理解してきた。だが、論理的には分散していても、物理的には狭い海峡、限られた陸揚げ地点、特定のデータセンターや通信拠点に集中している。
十本のケーブルがあっても、同じ海峡を通り、同じ陸揚げ局へ入り、同じ電源と同じ制御装置に依存していれば、実質的には一本である。
今回の問題は、海底ケーブルが露骨に切断される可能性だけではない。切断は発見されやすく、攻撃者も特定されやすい。第三国の通信まで巻き込めば、国際的な非難も強い。
むしろ恐ろしいのは、もっと静かな攻撃である。
海中ロボットが密かに接近する。ケーブルそのものは切らない。給電や中継、分岐、経路制御に異常を起こし、通信を別ルートへ誘導する。特定の情報だけを遅らせ、消し、監視し、あるいは誤った経路へ送る。
通信が完全に止まれば、誰もが障害を認識する。予備回線への切り替えも始まる。
しかし、通信が正常に流れているように見えながら、実は選別され、遅延し、改変されていたらどうなるか。
軍司令部は命令が届いたと信じる。金融機関は決済が完了したと信じる。発電所は制御情報が正しいと信じる。港湾は船舶の位置情報を信じる。
それらが一部でも偽られていたら、国家は自分が攻撃されていることさえ認識できない。
これは、相手の手足を破壊する攻撃ではない。
国家に脳梗塞を起こさせる攻撃である。
発電所や石油施設をドローンで破壊すれば、炎上する映像が世界へ流れる。被害も攻撃者も分かりやすい。だが、海底ケーブルや陸揚げ局、通信制御への攻撃は、外からは単なる通信障害に見える。
都市の灯は消えていない。建物も壊れていない。人々は歩き、車も走っている。
それでも、金融、物流、行政、医療、電力、軍事を結ぶ情報だけが届かない。あるいは届いている情報が信用できない。
これは爆発音のしない戦略爆撃である。
しかも、ケーブルを物理的に切断しなければ、和平後の復旧は比較的容易である。給電装置や制御系を戻し、端局設備を復旧させれば、再び通信を流すことができる。
破壊するのではなく、必要な時間だけ止める。
占領するのではなく、必要な時間だけ判断能力を奪う。
攻撃側にとっては、きわめて誘惑の強い手段である。
日本は、この問題を他人事として見てはいられない。
四十年前、海外通信は外国と連絡するための特別な通信だった。国際電話、電報、専用線を利用するのは、商社、航空会社、報道機関、金融機関など一部の組織だった。
海外との通信が止まれば国際業務は困った。しかし、国内の銀行、役所、病院、工場、小売店の多くは、紙、電話、現金、人手によって動き続けることができた。
現在は違う。
日本は、外国と連絡するためだけに海外通信を使っているのではない。日本国内を動かすために海外通信を使っている。
クラウド、外国製ソフトウェア、認証サービス、半導体設計、決済、物流、保険、航空、船舶運航、データ分析、サイバー防御、AI。国内にサーバーが置かれていても、運用、認証、更新、データ複製、海外本社との接続まで含めれば、日本だけで完結しているシステムは少ない。
海外との通信を完全に絶たれた場合、日本人が直ちに生存できなくなるわけではない。国内通信と電力が残り、物資の輸入も続けば、非常体制で数か月持ちこたえることはできるだろう。
しかし、現在の社会を通常どおり動かせる期間は、おそらく数日である。
最初に不足するのは石油でも食料でもない。
信用と確認手段である。
外国為替相場が分からない。海外銀行の決済を確認できない。船舶の位置が確認できない。保険が有効か分からない。海外クラウドへ接続できない。ソフトウェアの認証が通らない。部品がどこにあるか分からない。
物資が倉庫に残っていても、次の船を手配し、代金を払い、保険を付け、港へ誘導する通信がなければ、物流は止まる。
攻撃側は、日本を何か月も孤立させる必要すらない。
開戦直前から七十二時間、海外通信を混乱させればよい。
政府と同盟国の連絡が乱れる。軍事情報が届かない。攻撃主体が分からない。金融市場が止まる。偽情報が国内へ流れ込む。その間に軍事的、政治的な既成事実を作られれば、通信が復旧したときには手遅れである。
ここに、先進国ほど弱いというパラドックスがある。
先進国は、在庫を減らし、人員を減らし、設備を集中し、処理を自動化し、海外との分業を深めてきた。平時にはそれが効率となり、豊かさとなった。
しかし、無駄をなくすことは、非常時の余白をなくすことでもある。
現金をなくし、紙をなくし、人手をなくし、地域の倉庫をなくし、国内だけで動くシステムをなくしてきた。高度な社会ほど、外部との接続を前提としている。
先進国の強さは、単独の強さではない。
巨大な相互接続網の中にいるときだけ発揮される強さである。
接続を失えば、その高度さ自体が弱点に反転する。
これからの国力は、通信速度やデータセンターの規模だけでは測れない。
外部との接続を失ったとき、どこまで縮退運転できるか。海外クラウドが停止しても国内行政を続けられるか。国際決済が止まっても国内決済を守れるか。紙、現金、無線、人手へ戻ることができるか。
進歩する能力だけでなく、必要なときに退化できる能力が、安全保障になる。
そして、この議論を突き詰めると、私は再び日本のとう道へ戻ってくる。
AIもクラウドも金融も行政も、最後には物理的な光ファイバーを通る。その光ファイバーは、管路、とう道、電柱、局舎、陸揚げ局に収容される。
どれほど高度なデジタル社会をつくっても、その神経を収める空間が無防備なら、国家は守れない。
とう道は、NTTという一企業の古い通信設備ではない。日本社会の神経を収容する国家的な空間である。
重要なのは、コンクリートの構造物だけではない。
誰が入れるのか。誰が工事できるのか。誰が監視するのか。異常を誰が検知するのか。非常時に誰が利用を命じるのか。将来、どの設備を収容するのか。
光ファイバーの所有者は民間企業でよい。競争も必要である。
しかし、それを収容する基盤空間まで、企業の経営判断だけに委ねてよいのか。
海底ケーブルの問題が教えているのは、設備を所有する者より、その設備が置かれる空間を支配する者の方が強いという事実である。
海外との通信を完全に守ることは難しい。海底のすべてを監視することもできない。衛星ですべてを代替することも、現時点ではできない。
それでも国内だけは守らなければならない。
国外との接続を失っても、行政、金融、医療、電力、物流、防衛を結ぶ国内の神経だけは生かし続ける。
その最後の器が、とう道である。
AI時代の国家安全保障は、地上のデータセンターから始まるのではない。
地下から始まる。
せめて、とう道だけでも守ろう。
































