今朝の日経新聞に面白い記事が出ていた。
「OpenAIは『数学の成果横取り』 フィールズ賞教授が非難」
フィールズ賞受賞者25人が、AI企業による数学研究の進め方について警告を発したという。実際、テレンス・タオら25人は9月11日、AIが未解決問題を解くことを競争的なベンチマークにすることへの懸念を公表している。OpenAI自身も9月21日、数学者による独立の諮問グループを設けた。(What's new)
この記事を読みながら、昔の自分のブログを探してみた。
私はずいぶん前から、AIがどこまで賢くなっても、数学者そのものにはなれないのではないか、と考えていたらしい。
2019年にはこう書いている。
「創造行為そのものは学習できないだろう。ガロアの群論を発見できるか、相対性理論を発見できるか、無限の序列を考え出すことができるか。無理数や虚数を考え出せるか。無理だろうな。」
かなり断定している。
さらに2023年には、記事の題まで、
「AIは数学者にとってかわれない チューリングが既に証明済み」
としている。
私が念頭に置いていたのは、計算の速さではなかった。
四色問題のように、問題が与えられ、その中を猛烈な速度で調べることならコンピューターは人間を圧倒できる。
しかし数学史を大きく変えたのは、そんな能力だけではない。
五次方程式には一般的な解の公式がない。その問題からアーベルやガロアへ進み、ガロアは解の対称性を考えるために「群」という新しい概念を持ち込んだ。
私は2023年の記事で、ここまで書いている。
「こんなことはAIにはできない」
ところが、その直後に、
「ううん、これはわかったようなそうでないような、つまりすっきりと納得できない」
とも書いている。
自分で断定して、自分で首をかしげている。
今読むと、こちらの方が面白い。
さらに遡ると、2013年に高木貞治の『近世数学史談』を読んで、アーベルについてこんな文章を拾っている。
何かの拍子に鱗が落ちると、天才は突然千里眼になる。それは飽和した溶液が、ほんの小さな刺激によって一挙に結晶するようなものだという。
私はそこから岡潔やラマヌジャンまで連想している。数学の発見とは、既知の論理を順番に積み上げるだけのものではないのではないか、とずっと気になっていたらしい。
2019年には岡潔についても書いている。
「わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっている。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということ」
また岡は、まず「でたらめ」をたくさん考え、その中から可能性を拾い、さらにその中から事実を見つけるという趣旨のことを語っている。私はこれをラマヌジャンの発見法にも似ていると考えていた。
問題はここである。
AIが証明を速くするだけなら、私の昔の考えはそれほど揺らがない。
しかしAIが「でたらめ」を大量に作り、その中からポシビリティを選び、別々だった数学を結びつけ、新しい補題を作り、最後に人間の知らなかった証明へ到達するならどうなのか。
これは岡潔が語った発見の過程と、本当にそんなに違うのだろうか。
さらに一歩進んで、AIが「群」に相当するような新しい概念まで作り出したらどうなるのか。
そこが私にはまだわからない。
OpenAIは9月8日、社内システムがナビエ・ストークスのミレニアム懸賞問題を解決したと発表した。さらに9月21日には、新しい内部モデルが数学の多くの分野で100を超える長年の未解決問題を解決したと公表している。もちろん、これはOpenAI自身の発表であり、一つ一つの成果について数学界による検証が必要だろう。(OpenAI)
しかし私にとってもっと気になるのは、AI企業の発表ではない。
フィールズ賞を取るような数学者たちが、AIを笑っていないことである。
「そんなものは数学ではない」と一蹴するのではなく、研究成果の帰属、数学者同士の知の共有、未発表の着想をAIに入力することの危険まで問題にし始めた。Natureも、AI時代には数学上のアイデアの出所をたどること自体が難しくなると報じている。(Nature)
できもしないものを相手に、これほど深刻な警告を出す必要はない。
もっとも、これだけでAIがアーベルやガロアになったと結論するのは早すぎる。
未解決問題を解くことと、新しい数学を作ることは同じではない。
新しい証明を発見することと、新しい概念を発明することも同じではない。
そしてチューリングの停止問題が消えたわけでもない。計算不可能なものが存在することは、AIがどれほど進歩しても変わらない。
ただし、ここで私は昔の自分の考えを一つ修正しなければならないように思う。
チューリングが示したのは、万能のアルゴリズムには限界があるということであって、
機械が新しい数学を一つも発見できない
ということではなかった。
私はその二つを少し近づけすぎて考えていたのかもしれない。
そしてもう一つ。
人間にもチューリングの壁は越えられない。
それでもアーベルもガロアも岡潔も数学を発見した。
ならばAIにも同じ壁があるという理由だけで、AIには数学的発見ができない、と断言することはできない。
2019年の私は、
「ガロアの群論を発見できるか。無理だろうな」
と書いた。
2026年の私は、少し言い方を変えたい。
本当に無理なのだろうか。
七年前の自分に、もう一度聞いてみたくなっている。












































