お正月、いいお天気に恵まれた。午後遅く近くの神社に初詣に出かけた。いつもの神社だが今年は長い列ができている。拝所まで10分くらい並ぶ。理由はわからない。今年は恒例の甘酒が物価高騰と人手不足で中止だと張り紙が。こういうの、ないと余計飲みたくなるね。
娘の受験がうまくいくようにと手を鳴らし、ゆっくりと帰途に。
皆様にも良いとしになりますように。
お正月、いいお天気に恵まれた。午後遅く近くの神社に初詣に出かけた。いつもの神社だが今年は長い列ができている。拝所まで10分くらい並ぶ。理由はわからない。今年は恒例の甘酒が物価高騰と人手不足で中止だと張り紙が。こういうの、ないと余計飲みたくなるね。
娘の受験がうまくいくようにと手を鳴らし、ゆっくりと帰途に。
皆様にも良いとしになりますように。
NTT旧施設は宝の山だ。今回はNTT旧施設の屋上や側壁に注目したい。旧交換機設置局は少なく見積もっても700建物以上ある。20年前だがRT局まで含めると7000以上あったと記憶する。なんとか日本のデータセンター発展へ向けて積極的な活用に向かって欲しい。
以下は日経新聞からの概要メモです。
政府 関係閣僚会議を開き メガソーラー 政策パッケージを 。
日本 脱炭素電力の主役は再生可能エネルギー 。
太陽光パネルは12年から 固定価格買い取り制度で 。
累計の導入量は 7704万キロワット 11年度から15倍になった。
地域への弊害も 。
再エネ賦課金の軽減を求める声も 負担は19倍に膨らんだ。
屋根置き太陽光パネルを 1万2000事業者に 導入目標の策定を 。
国内の企業の屋根 設置可能性 太陽光発電量 16テラ〜48テラワット時 原発2〜6基分の規模 日本の総発電量の2〜5% 。
工場 ペロブスカイト太陽電池が向く 。
日本政府 40年度の 太陽光発電の割合を23〜29%程度にする 。
25年前に転職した際に証券会社から転職してきた人が地政学的云々と話したので新鮮であり、違和感もほんの少し感じた。以来その違和感を現在に至るまで引きずっている。我が娘も大学受験で小論文などのテーマにもでないとも限らない。そこでチャッピー君に聞いてみたらなかなか的確な返事が返ってきた。
以下はChatGPT 5.1による回答を少し編集したものです。参考にメモしておきます。
地政学的 この言葉の由来
1. 「地政学」という言葉の英語:Geopolitics
英語:geopolitics
形容詞:geopolitical(地政学的)
語源はギリシア語:
geo(地球、大地)
politics(統治・政治)
「地理と政治の結びつきを扱う学問」という意味になります。
2. “地政学”という概念の誕生 —— 19世紀末
創始者:スウェーデンの政治学者 ルドルフ・チェレン(Rudolf Kjellén)
(1864–1922)
彼が 1899年頃 に提唱したのが地政学の原型。
Kjellén は「国家とは有機体である」と考え、
国家は地理・人口・経済・軍事などの総合体として理解すべきだ
と主張した。
この新しい学問分野を
Geopolitik(ゲオポリティーク) と呼んだのが始まりです。
3. ドイツでの発展 —— 地政学=Geopolitik が強い影響力を持つ
スウェーデンで生まれた概念は、
20世紀初頭に ドイツで強く発展します。
特に有名なのは、
カール・ハウスホーファー(Karl Haushofer)
(1869–1946)
彼は地理学と軍事戦略を融合し、
陸と海の勢力争い
生命空間(Lebensraum)
大陸ブロック理論
などを体系化した。
のちに地政学はドイツの戦略思想(特にヒトラー時代)と結びつき、
戦後は学問的に批判を受けて一時衰退した。
4. 戦後——アメリカで再評価、現代地政学の誕生
第二次世界大戦後、
ドイツ的地政学は忌避されたが、
米ソ冷戦
核兵器
エネルギー争奪
シーパワー対ランドパワー
などの分析を通じて復活し、
Geopoliticsとしてポジティブに再構築された。
特に重要な学者は:
ニコラス・スパイクマン
ジョージ・ケナン
ズビグネフ・ブレジンスキー
彼らの理論は今の国際政治の基本になっている。
5. 日本語の「地政学」という訳語の由来
日本では戦前〜戦中に
ドイツ語 Geopolitik(ゲオポリティーク) を
直訳して 地政学 とした。
戦後は一時封印されたが、
1990年代以降、冷戦終結やエネルギー問題で再浮上。
現在では一般語として定着している。
6. まとめ
「地政学」は Geopolitics の訳で、
19世紀末のスウェーデン学者チェレンが創始し、
20世紀にドイツで体系化され、
戦後アメリカで再構築された 国家と地理の学問。
日本語の地政学はドイツ語の Geopolitik 由来です。
一般的に 何かきな臭い状況 と理解されているが なぜこのようなわかりにくい言葉を使うのだろう。一種はやりのようにマスコミでも株市場でも使われるが
なぜ「きな臭い」「不穏」「危機含みの状況」を、
わざわざ “地政学的リスク” などと難しい言葉で言い換えるのか?
これは単なる流行語ではなく、
権力・メディア・市場心理の構造が関わっています。
1. 「地政学」という言葉は便利なボヤかし語だから
「戦争の可能性」「軍事衝突」「侵略リスク」「資源争奪」「不安定化」
など、直接的に書くと インパクトが強すぎる。
新聞社も、投資家も、政府関係者も、
ストレートな危機表現を避けたい。
そこで便利なのが、
Geopolitical risk(地政学リスク)
この一語で、
戦争・紛争・革命・クーデター・資源奪い合い・領土問題
全部を“ぼんやり包み込める”。
内容の厳しさを隠せる。
読者の恐怖反応も和らぐ。
つまり、深刻さを匂わせるだが直接的断言を避ける
という都合の良い婉曲表現。
2. マスコミにとって「地政学」は責任回避語
新聞が
「戦争が始まる可能性が高い」
と書いたら大問題になる。
しかし、地政学リスクが高まっています
と言えば、
責任が消える。
書き手の主観ではない
客観的情勢を解説しただけ
具体的予測をしていない
という逃げ道がある。
そのため、
政治部記者も経済部記者も
一斉にこの語を使い始めた。
3. 株式市場で「地政学リスク」が多用される理由
正直に言えば 言い訳として最適だから
株価が予想外に動いたとき、
証券会社・アナリストには説明を求められる。
しかし、マーケットはしばしば理由が無いまま動く。
その時に便利なのが、
地政学リスクで
これを言えば、説明が成立してしまう。
市場の不安心理 と言える
誰も反証できない
責任が曖昧
全方向に無難
4. 実体が幅広すぎるため、誤用される
本来の「地政学」は、
国家の地理条件
海洋アクセス
航路
資源
国境線
軍事配置
大国間の戦略
パワーバランス
などの構造分析。
しかし一般使用では
「なんとなく不穏」
を指す言葉に成り下がっている。
それゆえ、曖昧で、かえって不安を煽る。
5. 「わかりにくさ」がむしろ権威を醸し出す
難しい語ほど、専門家っぽく聞こえる。
「戦争リスク」→ストレートすぎて素人っぽい
「地政学的リスク」→分析しているように見える
言葉の権威性で説得力を持たせる。
これは人間心理を利用した典型的ロジック。
6. そして流行したのは 9.11以降〜2022年のウクライナ戦争 が原因
この20年ほどで、
世界秩序を揺るがす事件が多発した。
9.11
イラク戦争
アラブの春
中国の海洋進出
ウクライナ侵攻
中東紛争の再燃
台湾海峡緊張
エネルギー戦争
半導体の安全保障化
その都度、マスコミや投資家が使ったのが
Geopolitical risk
これが徐々に流行語化した。
「なぜこんな曖昧な言葉を使うのか」
これはまさに
責任回避
印象操作
不安の婉曲表現
専門家ポーズ
マーケットの言い訳
読者の理解をぼかす
という 複合的な理由 によるもの。
つまり都合の良さで広まった。
学問的な用語というより、
すでに「メディア語彙」になってしまったのです。
一言でまとめると
地政学的 は、本来の学術概念ではなく、
マスコミと市場が使いやすい危機の婉曲語。
意味をぼかし、責任を回避し、説得力を演出するために広まった。
地政学を理解している人は、
シーレーン
大陸封鎖
半導体の地政
中東の勢力均衡
防衛ライン
国際秩序の交代
こうした具体的内容を語る。
「地政学的リスク」などという曖昧語には逃げない。
「地政学的」などの曖昧な流行語を捨てて、
本質だけを切り取る言葉は何か?」
これは実は、社会論・国際政治・経済の核心に関わる。
結論から言うと、本質を語るときに使うべき言葉は たった3種類 です。
【1】「利害(Interests)」
── これが最も本質であり、最も誤魔化しが効かない語
国家も企業も個人も、
結局は 利害で動く。
国益
安全保障
経済圏
技術覇権
資源ルート
同盟関係
「誰の、どんな利害が、どこで衝突しているか?」
これを言える人は、本質を語っている。
例:
×「地政学的対立が激化している」
◎「米国は半導体供給網の主導権を失うと安全保障が崩れるため、
中国の先端製造を封じに動いている。」
利害を入れると一気に本物になる。
【2】「構造(Structure)」
情勢を決めるのは“構造”であり、感情や単発事件ではない
地政学の本体は「構造」である。
海の国か、陸の国か
資源があるか、無いか
隣国が安定か、不安定か
技術を持っているか、依存しているか
物流ルートが広いか、狭いか
この構造的条件が行動を決める。
例:
×「地政学的緊張で台湾が危ない」
◎「台湾が危険なのは、
『世界の半導体供給の中心』という構造を
中国と米国がどう扱うか次第である。」
構造を語ると、情勢が安定して読める。
感情論から抜ける。
【3】「力(Power)」
── 最終的に何を動かすかを決める要素
国際関係は力学で動く。
軍事力
経済力
技術力
文化力
情報戦
同盟ネットワーク
これらの 力の分布 が情勢を決める。
例:
×「地政学的に不安定で…」
◎「中国の海軍力はこの十年で大幅に増強され、
南シナ海で米海軍を相対的に押し返す局面が増えている。」
力を語ると、事象が立体的に理解できる。本質を語る言葉は「利害」「構造」「力」の3つだけ。
この三つを明確にすると、地政学的という曖昧語は不要になる。
なぜこの3つが本質なのか?
国際政治学のケネス・ウォルツも、
戦略家ブレジンスキーも、
経済学者フリードマンも、
この3つで世界を読む。
たとえば:
利害: 国は利益のために動く
構造: 地理や経済構造が行動を制約する
力: 実際に影響を与える手段
これだけで十分。
バリの移民局の待合室には、深い海色をした青い椅子が静かに並んでいる。番号が呼ばれるたびに誰かが立ち上がり、椅子がかすかに揺れる。そのわずかな動きさえ、長く座っていると一つの物語の断片のように思えてくる。この島では、人を形づくるのは肩書きではなく、その人が背負ってきた「物語」なのだと気づく。
サヌールの陽光のまぶしさも、クタの雑踏の裏に潜む湿り気も、ウブドの棚田の縁に漂う土の匂いも、ただの“日常”と呼ぶには濃密すぎる。そこに暮らす人、そこにしばし身を置く旅人、それぞれの記憶が折り重なり、やがてイミグレーションの小さな待合室に流れ込んでくる。
ある日、滞在していたビラに突然イミグレーションがやって来た。レセプションから呼び出され、何を調べに来たのかと不安を抱えながら向かうと、青い制服を着た職員が三名。パスポートやビザ証明、保険証のコピー、さらにはビラで雇っている手伝いの人数まで確認していった。同じビラにいた日本人も同じように点検を受けたという。あとで聞けば、島中の外国人を50名のスタッフが巡回していたらしく、その日はたまたま当たり日だったわけだ。
別の日には、手続きを済ませるために移民局へ向かい、思いのほか早く到着してしまったことがあった。ぽっかり空いた二時間を埋めるように官庁街を歩いてみる。日本でいえば霞が関にあたる場所だが、赤瓦と石造りの装飾が施された建物はどこか祭祀の匂いすら漂わせ、機能よりも儀礼の存在感が勝っている。
落ち葉色をした清掃車がゆっくりと通り過ぎ、役所の敷地には整然と並ぶ植物に現地語の名札がかけられている。
知らぬ名前なのに、土地の響きをそのまま宿していて読んでいて飽きない。
公園では子どもたちのお絵描き教室が開かれ、にぎやかな笑い声がどこかの役所の硬さをやわらげていた。ほどなく手続きが終わり、胸の奥で力が抜けた瞬間に空腹が押し寄せた。
向かったのは、サヌールの名店マクベン。焼き魚に甘辛いタレ、火山のように辛いサンバル、出汁に野菜が溶け込んだスープ、そしてただ温かい白いご飯。ビザの延長で今日という日も少しだけ延長されたような気がして、食事が妙にうまかった。
移民局の待合室はどこも似ているが、そこに集まる人々は少しずつ違う物語を持ち寄る。冷たい空調の下、ゆっくりと時が進む空間で、私はリタイアメントビザの手続きの際、10本すべての指にインクを押しつけられた。親指、小指、また親指。まるで原始の儀式のようで、終わるころには手全体が黒く染まっていた。
前の椅子に座っていた初老の男が、パスポートに挟んだ数枚の紙幣を窓口に差し出し、静かに突き返された場面も記憶に残っている。外から抱く印象と異なり、バリの役人たちは誇り高い。沈黙したロシア人の家族、ぐずる赤ん坊、もう一度バリに戻る理由を探している老人 そんな人々が無言のまま呼ばれる番号を待っていると、ただの待合室がいつのまにか小さな劇場になる。
もっと昔、観光ビザを延長できるようになったばかりの頃、デンパサール郊外の移民局に向かったことがある。
黄色いフォームに必要事項を書き、パスポートのコピーや帰りの航空券を揃えて提出すると、小さな受領書を手渡された。
その紙片には延長が許可される日付が記されていた。何気ない紙切れなのに、旅がもう少し続くという合図のようで胸が躍った。
移民局は、ただの役所ではない。人が自分の人生の一部を持ち寄り、「ここに居たい」という思いを形に変える場所だ。青い椅子のひとつに腰掛けながら、それぞれが自分の物語の続きを静かに待っている。バリのイミグレーションは、旅の終わりではなく、いつも別の旅の始まりなのだと思う。きっと次に訪れたときも、また新しい物語があの待合室で生まれるのだろう。

石造りの門と赤い屋根を背景にした建物が見え、バリらしい装飾が施された移民局の入口。手前には植栽とパームの木が並び、のどかな雰囲気がある。

青い椅子が整然と並ぶ広い待合室。窓口前のスクリーンには番号が表示され、多国籍の来訪者たちが順番を待っている。

歩道の脇で、ふたりの男性が竹製の大きな籠を扱っている場面。周囲には落ち葉が多く、市街地の日常のワンシーンが切り取られている。

カラフルな舗装が施されたスペースに、順番を待つ人々がところどころ腰掛けている。奥には小さな建物が並び、イミグレの屋外待合エリアらしい雰囲気。

黒い石門とバリ伝統装飾に囲まれた「BULOG」オフィスのサイン。赤い屋根の建物が後方に見え、官庁街らしい重厚さがある。

古いバリ寺院風の屋根を持つ案内板が芝生の上に置かれ、背景に緑が茂っている。静かな官庁街の一角らしい景色。

赤い屋根と石造りの壁に囲まれた行政施設。手前には整えられた植栽が続き、バリ特有の建築様式が際立つ。

石と煉瓦を組み合わせた重厚な建物。正面にはバイクが並び、官庁街にある銀行らしい実務的な雰囲気が漂う。

赤いラインが特徴の近代的な通信会社のオフィス。手前の石門との対比が、バリの伝統と現代の混在を感じさせる。

白とオレンジの配色が鮮やかな郵便局の建物。正門の石柱がバリらしさを添え、広々とした敷地が印象的。
焼酎を少し、サヌールの海辺にて。
波打ち際のアズマ屋に腰をおろし、氷の溶けかけたコップを手にしていると、隣にひとりの男が座っていた。日焼けした分厚い肩、銀のチェーン。年の頃は五十代半ばだろうか。
「ここ、座っていいか」
そう声をかけると、男は目を細めてうなずいた。
「いいよ。釣りに行かないか。俺は漁師だ」
彼は自分をNと名乗り、今釣れる魚の名前を次々と挙げてみせた。カワハギ、もうすぐカツオ。朝七時から十三時まで、船も道具も全部用意してくれるという。
「私はまさお。あのホテル、もうすぐ改装オープンらしいね」
かつて火災に見舞われた白いグランドビーチホテルの方角を指すと、Nの目がふっと遠くなった。
「俺が若い頃、サーフィンしてたときに火事があった。煙と炎が上がってさ、映画みたいだったよ。カーテンをつなげて窓から降りてくる客もいた。幸い死者はいなかったけど……忘れられない」
それから、ぽつりと続けた。
「無傷の部屋が一つだけあったんだ。“スカルノの間”、327号室。神が守ったんだってみんな言ってた」
その数字を、後で別の場所でも聞くことになるとは、そのときは思いもしなかった。
バリに長く滞在していると、こうした「不思議な話」とぶつかる頻度が、統計のグラフのようにぐいっと跳ね上がる。
たとえば、知り合いのワヤンがうちにやってくると、たいてい一つは“バリ綺談”が土産話として付いてくる。
ワヤンの母方の叔父は、たいそうハンサムだったという。そのあまりのハンサムさに、海の女神ロロ・キドゥルに恋され、海に呼ばれて死んだ――と彼は真顔で話す。
生前、その叔父の部屋には夜ごと女神が訪れ、ある早朝三時、バイクでビーチに向かったきり姿を消した。遺体は上がらなかった。
ロロ・キドゥルはバリ・ビーチ・ホテルの一室、やはり327号室に祀られているのは有名だとワヤンは言う。さらにバドゥンの別のホテルにも、女神が宿る部屋があるのだという。Nが語った「スカルノの間」と同じ数字が、別の口から当然のごとく転がり出てくると、こちらの理屈は少しだけよろめく。
「そんな話、本当に信じてるの?」
と眉に唾をつけながら聞いていると、ワヤンは肩をすくめる。
「信じる、信じないじゃない。ここでは“あるもの”なんだよ」
ある晩、ワヤンはさらに一段階ファンタジーの濃度を上げてきた。
「今夜の真夜中、スミニャックの墓地でレヤックの戦いがある。レストランも全部早じまいだ」
レヤックとは、バリの妖怪だ。雄のパパイヤの木の下や仮埋葬の墓地に現れ、火の玉になって飛び回り、埋められた死体を掘り返して食らう。猿や鳥、若い女にも姿を変え、人を病気にし、妊婦の胎児を狙う。想像するとちょっとしたスプラッタだ。
「年に一度、ペネスタナン村で呪術ナンバー・ワンを決めるレヤックの戦いがある。火の玉が空でぶつかりあうんだ。見に行かないか」
「そんなばかな」と言いながら、わたしは結局、彼に連れられてライステラスの見える丘の木陰に座っていた。新月、靄のかかった闇。やがて、ひとつの火の玉が忽然と現れ、続いて十一の光が空中を舞った。
ホタルの珍種にしては、ちょっとやりすぎなくらいの軌跡を描き、ぶつかりあい、最後に一つが勝ち残って天に消える。
「見間違い」と言い切るだけの自信も、完全に信じ込むほどの素直さも、どちらも私の中にはない。ただ、「あれを彼らがレヤックと呼ぶのだ」という事実だけが残る。
バリのブラックマジックについて何人かに聞いてみると、三人とも口を揃えて「動機はジェラシー」と言った。てっきり男女のもつれかと思えば、どうやら違う。隣人が新しい家を建てたから、近所の誰かが妬んでマジックをかけた、かけられた――そんな話を二度聞いた。
日本だと、真夜中に神社で藁人形に釘を打つシーンは、たいてい恋愛沙汰が発端だ。
バリでは、家を一軒建てただけで、呪いの対象になり得る。呪いも土地柄で内容が変わるらしい。
もっとも、ジャワ出身の霊能者テレサにこの話をすると、彼女は笑った。
「嫉妬されるほど大きな家じゃなくても、“嫉妬されたことにしたい”人もいるのよ」
なるほど。病気になった男が、「誰かが俺に嫉妬してマジックをかけた」と思いたがる心情は、世界共通の喜劇かもしれない。
長いバリ滞在中、わが家には何人かのベビーシッターが来ては去っていったが、テレサほど濃い人物は少ない。
ジャカルタ生まれのジャワ人、三十代。大学の秘書学科を出て空港関連会社に勤めた後、ベビーの世話と家事、そして連れ合いの仕事のアシスタントとして、五年ほどうちで働いた。最初は、彼女が霊能者だとは知らなかった。
ある日、ソファに並んで座っていると、彼女はごく自然な口調で、自分の生い立ちを話し始めた。
「子どもの頃、人の死期がわかったの。顔を見ると“あ、この人はもうすぐ死ぬ”って。怖くて母に話したら、“そんなことは絶対に人に言ってはいけない”って叱られた」
それから、キリストのビジョンを見て、ムスリムの家からカトリックに改宗したこと。幼い頃から霊を見てきたこと。父に疎まれて家を出たこと。
両腕には、リストカットではなくアームカットの白い傷跡が幾重にも残っていた。ドイツ人の友人はその傷を見て、「典型的なアームカッティングだ」と即座に言い当てた。痛みと引き換えに、脳内麻薬で多幸感を得る行為だと。
霊能力は、彼女にとって「贈り物」であると同時に、時に彼女自身を追い詰める鎖でもあった。
ある日、彼女はアメリカ大陸が裂ける夢を見て怯えていた。別の日には、地球に巨大な物体が近づいてくるビジョンを見たと言って、ひどくストレスを感じていた。
2006年のジャワ島地震の前には大地の裂け目を見たのだ、とも主張する。
「そんな能力、ないほうが幸せじゃないか」と、聞いているこちらが思う時もある。
テレサがジャカルタからバリ島にやってきたのは、2005年10月3日。
その二日前、クタとジンバランで自爆テロが起きたばかりだった。
「なんでこんなときにバリへ?」と問うと、彼女は平然と言う。
「バリ警察がドゥクン(霊能者)を集めているって聞いたから」
テロの捜査に、ドゥクンたちが“協力”する。にわかには信じがたいが、バリではそれが特別な話ではないらしい。村長や議員、大統領までもが、身近にドゥクンを置いていると言われる。
別の女性ドゥクンも、2005年10月21日のテロ直後に警察から呼び出され、捜査会議に参加したと語った。自爆犯が潜伏していたというデンパサールの安アパート急襲の話まで、細部を添えて。
オカルトと現実政治、爆弾テロとホワイトマジックが、ごく普通に同じテーブルに並んでいる光景。
信じる、信じないの前に、「そういうものとして運用されている社会」がまず存在している。
テレサの能力を、私なりに検証したこともある。
ちょうど日本で、市橋容疑者の逃亡劇が続いていた頃、日本地図を見せて尋ねてみた。
「市橋はどこにいると思う?」
彼女は一度新潟あたりを指し、そのあと大阪湾の辺りを指差した。
後に彼が大阪港のフェリー乗り場で逮捕されたと知ったとき、「これはなかなか」と感心しかけたが、日本列島の真ん中付近を指せばどこかは当たる、という冷静な自分も脇で腕を組んでいる。
一方で、株価やサッカーくじの予想はまったく当たらなかった。
チャートを前日に渡し、「明日の線がどう動くか、ビジョンで見てほしい」と頼んだことがある。彼女は今夜はタバコを吸って祈る、と宣言し、翌朝、メモに書いた予想図を渡してくれた。三回やっても、結果はきれいに外れた。
「お金のことばかり考えちゃだめ。霊能はそういうためのものじゃない」
と逆に説教され、私は少し反省した。
テレサはよく、バリやジャカルタの犯罪についても話してくれた。
「今、催眠強盗が流行ってる」
親しげに近づき、「久しぶり」と肩を三回叩かれると気を失い、気がついたら財布がないという。
名刺を渡され、数分後に眠ってしまう「名刺強盗」というのもあるらしい。
インターネットで“催眠強盗”を検索すると、似たような事件が世界各地で報告されていて、「事実は小説より奇なり」と苦笑する。名刺のほうは、いまだに眉唾だ。
もっと陰鬱なのは、彼女がジャカルタ時代に聞いたという、中東で家政婦をしていた友人の話だった。
雇い主に暴行され、膣が裂けて死んだという。新聞の片隅に載れば「国際問題」として扱われる類の事件が、彼女の個人的な記憶の中に、暗い音として沈んでいる。
バリは「不思議な話」が豊富だが、それだけがこの土地の現実ではない。
霊能者たちの物語の陰には、貧困、搾取、暴力もまた静かに横たわっている。
こうした話に洗われ続けると、時々、現実感の方がぐらついてくることがある。
そんなある日、サヌールのカフェでヨーロピアンの友人に突然、こう聞かれた。
「どうして人は前世を覚えていないんだろう?」
私はとっさに、こんなふうに答えた。
「覚えていたら、日常生活が成り立たないからだよ。
あなたは前世で私を殺したかもしれないし、彼とは夫婦だったかもしれない。
そんな前世が無数にあったとしたら、すべての人間と“ややこしい関係”になってしまう。
一人ひとりがそれを全部覚えていたら、とてもまともには生きていけない」
友人は笑いながら頷いた。
「だから、覚えていない人間のほうが、進化のなかで生き残ったのかもしれないね」
オキシトシンというホルモンは、出産時の激痛を忘れさせる「忘れ薬」の役目も担っているという。
だとすれば、人は“生きていくために都合の悪い痛み”を、できるだけ忘れるように設計されているのかもしれない。
バリ人が、ブラックマジックの原因をジェラシーに、病気の原因を呪術に、失踪の理由を「記憶を消された」に帰すのも、どこか似た機能のように思える。
厳密な真偽よりも、「そう信じていればなんとか生きていける物語」を、人はそれぞれの土地の言葉で紡ぎ続けるのだろう。
サヌールの漁師Nは、別れ際にこう言った。
「あんたが“ここ座っていいか”って礼儀正しく聞いたからさ。
最近は無断で座る観光客が多い。あれじゃ話す気にならないよ」
「じゃあ、今度日本の焼酎を少し持ってくるよ」
そう言うと、彼は笑った。
「少しでいい。……一緒に飲もう」
バリの闇には、たしかに得体のしれないものがうごめいている。
レヤックの火の玉、ブラックマジック、嫉妬、予知夢、テロと霊能者。
しかしその闇のすぐ隣には、祈りとユーモアと、ささやかな礼儀正しさが並んでいる。
何が本当で、何が作り話なのか。私はいまだに判定を保留している。
ただひとつ言えるのは、この島では、人びとが静かに受け入れている「見えない力」の総量が、日本とは比べものにならないほど厚い、ということだ。
そして、その厚みの中に、旅人としてほんの少し混じって座らせてもらったことを、私はきっと忘れないだろう。
不思議な偶然 車のナンバーが同じでびらきなのだがよくみるとXA AXと異なる。
1971年当時の仕事仲間で毎年よりあっている。すでに55年ほど続いていることになる。(途中少し抜けているが)ギネスブックにはならないが相当な歴史を積んできたことになる。
すでに最若手の私が77歳、最年長は95歳となり、往時は40名を超えたメンバーも音信不通、没、病気、あるいはもう今更と辞退する方も。昨日は8名での、しかし賑やかなパーティーとなった。
以下の画像は参加者の一人Tさんの描いた画です。年々見事になっていく気がします。ポストカードとしていただいた絵ですが転載します。
今日はガルンガン、クニンガンだ。ふと思い出すバリの匂い。
バリの道を歩いていると、そこかしこでジュプンの花に出会う。
白い五弁の花が、いつのまにか頭上の枝から離れ、静かに地面へ落ちている。乾いた道端にころりと転がりながら、なおも淡い香りを放ち続けているその姿には、どこか「この世」と「向こう側」の境界に腰をおろしているような気配がある。
バリではこの花を「ジュプン」と呼ぶが、同じ花は世界中で違う名を持つ。
ハワイではプルメリア、日本やアメリカではプリメリア、イギリスではフランジパニ。インドネシア語ではカンボジャ。そしてバリ島では、ピンク色の品種を「ジュプン・ジャパン」と呼び、その語源は日本(Japan)にあるのだと教えられた。ひとつの花が、土地によってまるで別人のような名を与えられ、喜ばれたり忌み嫌われたりしている。その「意味の揺らぎ」だけでも、ジュプンという花は十分に興味深い。
たとえばカンボジアでは、この花はあまり縁起のよいものとはされず、仏塔の根元に植えられ、死者を迎える花のように扱われていると聞いた。インドではヒンドゥーの神々に捧げられる一方で、夜になるとむせかえるほどに香るその強さが、どこか彼岸の花を思わせる。美しいが、境界にある花。そう形容するのが一番しっくりくるのかもしれない。
道端に落ちたジュプンを拾い上げると、ふわりと甘い香りが立ちのぼる。
けれど、その甘さにはどこか「鋭さ」が混じっている。蜂蜜のように柔らかなのに、かすかに苦味や殺虫剤のような匂いの影が潜んでいる。あるとき私はふと、ほとんどの甘い花の香りには、共通する「毒の成分」があるのではないかと思い当たった。ユリの濃厚さ、ジャスミンの官能、ジュプンの白昼夢のような香り──それらは皆、甘さの奥に“わずかな死”を含んでいるように感じられるのだ。
実際、香りの成分を調べると、ベンジルアルデヒドやリナロールといった甘い芳香成分に、ごくわずかなインドールやスカトール──排泄臭に似た分子──が混じっている場合があるという。甘さに、かすかな腐臭。魅力の中に、ほんの申し訳程度の「不快」。そのバランスこそが、人を惹きつける香りを生み出しているのかもしれない。
嗅覚とはつくづく不思議な感覚だ。
むかし読んだ本に「悪臭と芳香は、成分としては同じで、濃度の違いに過ぎない」という一文があった。排泄物でさえ、極限まで薄めていけば香水になり得る──そんな挑発的な話は、読み手に強烈な印象を残す。毒と薬が量の違いに過ぎないように、悪臭と香水もまた、濃度という一本の軸でつながっているというのである。
その連想は、やがて善と悪の問題にも及ぶ。
村上春樹の『1Q84』にも、善と悪は本当に切り離せるのか、それとも同じものの濃度の違いに過ぎないのか、という問いかけがあった。ジュプンの香りを嗅ぎながら、私はときどきその一節を思い出す。白い花弁の中心、がらんどうの花芯の奥から、人間の根源的な問いが、ふわりと立ちのぼってくるように思えるのだ。
バリの生活を包み込んでいるのも、やはり「匂い」である。
朝、どこからともなく漂ってくるテラシの匂い。エビを発酵させて固めた調味料で、ベトナムのヌクマムに似た魚醤系の強烈な匂いがする。サンバル作りには欠かせないうま味の素だが、ときに鼻を突きすぎて、思わず「臭い」の字を当てたくなる。それでも、この匂いなしのアジア食は考えられない。近所の魚料理屋「マクベン」が、毎朝、山のようなサンバルを仕込んでいるのだろうと想像すると、少しおかしく、そしてありがたくもなる。
考えてみれば、日本ではどうしてこの種の発酵調味料が「全国区」にならなかったのだろう。秋田のしょっつるや石川のいしるのような魚醤はあるが、醤油のように食卓の主役にはなりきれなかった。その背景には、匂いに対する文化的な許容度、清潔さへの感覚、あるいは「悪臭」とレッテルを貼る速度の違いが潜んでいるのかもしれない。匂いとは、文化そのものの輪郭を浮かび上がらせるものなのだ。
そんなことを考えながら、私はときどき五大元素のことを思い出す。
日本人が「地・水・火・風・空」の五大を通して世界を理解してきたように、バリで暮らしていると世界は「土・におい・風・光・水」でできているのだと感じる瞬間がある。「火」と「空」は「光」と「におい」に置き換えられた、と言ってもいいかもしれない。どちらも目には見えないが、たしかに存在し、世界の質感を決めるもの。抽象的でつかみどころのない「空」の代わりに、あまりにも具体的で感覚的な「におい」がすっと入ってくる、その置き換えが妙に腑に落ちるのだ。
目に見えないものが確かに「ある」と感じられる──その典型が、霊の話だろう。
バリの送り盆にあたるクニンガンの日、タクシーの運転手がこう話してくれたことがある。ガルンガンやクニンガンなどの大きな祭りの日には、亡くなった父が帰ってくるのがわかる、と言うのだ。どうやってわかるのか尋ねると、「花のような芳香がふわっと周りにたちこめる」と答えた。霊がやってくると、よい香りが辺りを満たす──そんな話は初めて聞いた。おどろおどろしい怪談とは正反対の、なんとも優雅で、静かな霊の来臨である。
香りは、見えないものの「かたち」を教えてくれる。
早朝、まだ空に光が満ちきらないうちに目覚めて窓を開けると、ひんやりとした空気の中に、言葉にしにくい香りが混じっていることがある。柔らかく、淡く、どこか懐かしい薫香。花の匂いに違いないが、どの花かわからない。朝日が昇りきるころ、その匂いはいつのまにか消えてしまう。香りが消えるのか、人間の感覚が日常モードに切り替わって気づかなくなるのか、そのどちらなのかも判然としない。
バリでは「セダップ・マラム」と呼ばれる白い花を、ときどき買ってテーブルに活けることがある。その名はインドネシア語で「夜に芳しい」という意味だ。夜のあいだだけ、花の奥底に眠っていた香りが目覚めるように、静かな時間にだけ空気を染める。香りとは、目に見えず、音もなく、姿も残さないのに、人の心の奥にだけ濃く沈殿していく不思議な存在だ。花の名すら知らないまま、朝という一瞬の隙間だけ現れては消える香りもある。この島で暮らしていると、世界にはたしかに「香りの時間」があるのだと、ふと気づかされる。
ジュプンもまた、その「香りの時間」に属する花だ。
日中、道端に落ちた花を拾い集める女性たちを、バリではよく見かける。彼女たちは籠いっぱいのジュプンを家に持ち帰って乾燥させ、線香の材料として業者に売るのだという。寺に捧げられた線香の香りの良さに驚くことがあるが、あれはこうして集められた天然のジュプンの香りなのだと知ると、わずかな煙の向こうに、無数の朝の光景が重なって見える。
白い花が落ちている。
がらんどうの花芯の奥から、甘さと毒、芳香と悪臭、生と死、善と悪──そのどれともつかない問いが、ゆっくりと立ちのぼってくる。私は今日もまた、この花をひとつ拾い上げ、その香りのさらに奥にひそむ、名もなき連想の声に耳を澄ませている。香りの濃度が少し変わるだけで、花は甘くもなり、毒にもなり、慰めにもなり、記憶にもなる。そのあいだを揺れ動く曖昧さこそが、人間の世界そのものの匂いなのだと、ジュプンは静かに教えてくれているように思う。




バリで桃太郎を見つけた日 ― レンパッドとラマヤナの交差点
バリ島のネカ美術館を訪れたとき、私はバリ絵画の巨匠レンパッドの一連の作品に出会った。その中の一枚に目を奪われる。踊りの稽古風景を描いたようなその絵の人物が、なぜか日本の昔話「桃太郎」に登場する鬼退治の一行を思わせたのだ。異国の地で、思いがけず「桃太郎」と再会するとは。
気になって調べてみると、意外なつながりが見えてきた。インド古代の叙事詩『ラマヤナ物語』が、紀元三世紀ごろに生まれ、仏教とともに東アジアへと伝播していった。そして鎌倉時代の『宝物集』には、猿・熊・禿鷹が登場する説話としてその影響が見られるという。やがて熊は犬に、禿鷹は雉に変わり、ラマヤナの羅刹王は「鬼」として再生された。つまり、桃太郎の物語の深層には、古代インドの神話世界が息づいているのかもしれない。
バリでそのルーツに触れたという偶然に、私は軽いめまいを覚えた。
レンパッドの絵画は、黒インク一色で白紙に人物を浮かび上がらせる独特の技法で知られている。その線は驚くほど滑らかで、まるで呼吸のように途切れず流れていく。ワヤン・クリット(影絵)や、魔除けの札「レラジャハン」を思わせる造形には、神話と現実が同居している。
彼はもともと「ウンダギ(職人)」として知られていたが、1920年代にドイツ人画家ワルター・シュピースと出会い、西洋の紙という新しい表現媒体を得る。以来、紙の白が聖なる舞台となり、黒い線が祈りのように踊り始めた。レンパッドにとって絵を描くことは、世界の裏側に潜む霊の声を写し取る行為だったのだろう。

展示の中には、堕胎の罪で地獄に落ちた女を描いた一枚があった。体は細長く歪み、どこか官能的でもある。苦悩と快楽、赦しと罰がせめぎ合う奇妙な図像。バロンダンスの一場面のようにも見える。クリス(短剣)で自らを刺す姿は、まるで魂が肉体から抜け出そうともがいているようだった。
レンパッドの世界には、倫理や宗教の枠を超えた「生の実感」がある。人間の喜びと悲しみ、恥と救いが、すべて一本の線でつながっているのだ。

ラマヤナ、桃太郎、そしてレンパッド――。三つの物語の糸が、ここバリの小さな美術館で絡まり合った。
ワルター・シュピースは『ラマヤナ物語』をケチャの舞台構成に取り入れたが、彼はどこでこの神話を聴いたのだろう。ボロブドゥールの仏塔の浮彫か、あるいはタイやカンボジアの寺院で耳にしたのかもしれない。
文化は海を越え、信仰は形を変え、物語は国をまたぐ。そうして桃太郎は、知らぬ間にバリ島の影絵の中で息をしていたのだ。
異文化の間に立ち、一本の線を追いながら、私はレンパッドの絵の中に「人間の根源的な祈り」を見た気がした。

Title: Punishment in Hell for Abortion
Medium: Ink on paper
Description:
この作品は、バリの死後世界観を描いたものとされ、堕胎の罪で地獄に堕ちた女性の魂を描いている。レンパッド特有の流れるような線描で、苦悶と官能のあわいを表現している。地獄の鬼(バトゥラカラ)が罪人を責める姿は、ヒンドゥ的道徳観と民俗信仰の融合を示す。女性の肉体は細長く歪み、エロティックな要素と宗教的懲罰が共存する、レンパッドの「美と罰」の主題が顕著である。

Title: Warrior Battling a Giant Demon
Medium: Ink on paper
Description:
ワヤン(影絵劇)に登場するラマヤナの場面を想起させる構図。巨大な鬼(ラワナや羅刹の類型)に立ち向かう英雄像が描かれる。レンパッドは、誇張された眼球と筋肉の表現で暴力と神話的エネルギーを描き出している。人物の動きは流麗で、戦いの場面でありながら、リズミカルなバリ舞踊の所作を思わせる。

Title: Offering to the Monkey and the Tiger
Medium: Ink on paper
Description:
猿・虎・人間が共に描かれる寓話的な場面。動物と人間のあいだに流れる神聖なやり取りが主題で、自然界と精霊界の交信を示している。バリ・ヒンドゥ教の「トリ・ヒタ・カラナ(三界調和)」思想の具現と考えられる。構図の簡潔さと線の柔らかさに、レンパッドの精神的成熟が見える。

Title: Female Dancers in Rehearsal
Medium: Ink on paper
Description:
女性舞踊家たちの稽古風景を描いた作品。身体の動きが誇張されながらも、表情は静謐で内省的。レンパッドはここで、肉体そのものを「祈りの器」として描いている。人物のしなやかな曲線と、背景の無音の空間が、時間の停止した瞬間を感じさせる。

Title: Goddess and Archers
Medium: Ink on paper
Description:
中央の女神的存在と、彼女を狙う二人の射手が描かれる神話的構図。女神は威厳と妖艶さを併せ持ち、両脇の射手は儀礼的な緊張の中にある。細長い肢体と過剰な首の伸びは、レンパッド特有の象徴的デフォルメであり、霊的なエネルギーを視覚化している。

Title: Trance Dance of Self-Stabbing (Keris Ritual)
Medium: Ink on paper
Description:
「ケチャ」や「サンヒャン」儀礼に見られるトランス状態の舞を描く。人々がクリス(短剣)で自らの身体を刺すが、これは狂乱ではなく、神への完全な服従を象徴する。レンパッドは、身体のしなやかな線で「恍惚と痛み」の同時性を描き出す。宗教儀礼を人間存在の深淵として捉えた作品。

Title: Deity with Wheel and Twin Dragons
Medium: Ink and pigment on paper
Description:
中央の人物は「法輪」を携え、両脇に蛇神ナーガを従える。バリの宇宙観における「輪廻」と「秩序の循環」を象徴する構図。細密な線と構築的な左右対称が、儀礼的荘厳さを漂わせる。宗教と芸術が融合したレンパッドの思想的頂点の一例。

Title: Battle of Demons and Humans
Medium: Ink on paper
Description:
善悪の区別が曖昧な混沌の戦闘場面。人間もまた鬼のように歪み、笑い、争う。レンパッドは単なる戦闘を描くのではなく、人間の内なる暴力と滑稽さを重ね合わせている。構図の密度、人物の動的リズムに、バリ絵画の演劇性が顕著である。

Title: Biography of I Gusti Nyoman Lempad (c.1865–1978)
Description:
バリ島ウブドのベドゥル村出身。建築家・彫刻家・画家として活躍。ワルター・シュピースやルドルフ・ボネら西洋芸術家との交流を通じ、バリ美術に近代的個人表現を導入した。彼の線描は祈りと冥想の産物であり、死の床で筆を置き、そのまま息を引き取ったという逸話が残る。

Title: Male and Female Dancers
Medium: Ink on paper
Description:
男女のペアが舞う稽古場面を描写。バリ舞踊特有の指先と目線の表現が精密に描かれ、動きの静と動が見事に共存する。肉体を線のリズムとして描くこの作品には、レンパッドの生涯を通じた「生命賛歌」が息づいている。

Title: Divine Dancer with Wings
Medium: Ink and pigment on paper
Description:
この作品は、天界の存在(アプサラ、またはデウィ・スリ女神の変容形)を描いたとみられる。中央の女性像は翼と王冠をもち、舞踊の所作を神聖化した姿で表される。両脇の男女は、その神的存在を讃えるかのように舞っている。レンパッド特有の長い四肢と流れる線描が、祈りのリズムと官能の調和を象徴する。

Title: Rangda Confrontation (Trance Dance Scene)
Medium: Ink and pigment on paper
Description:
バロンダンスのクライマックスで知られる、善の守護神バロンと悪の魔女ランダの戦いを主題とする。中央のストライプ模様のランダが圧倒的な存在感を放ち、周囲の人々はトランス状態で短剣を構える。レンパッドは儀礼と狂気の境界を鋭くとらえ、宗教的恍惚と人間的恐怖を一つの画面に凝縮している。

Title: The Artisan and the Dancer
Medium: Ink and pigment on paper
Description:
バリの伝統的な舞台裏を描いた場面と考えられる。精緻な装飾を施されたガルーダ状の背景は、木彫やレリーフ制作を示唆する。男女のやり取りには、創造と奉納、肉体と霊性の結びつきが暗示される。レンパッドは日常と儀礼を一筆の流れで結び、人間の営みを神話的文脈に昇華させた。

Title: Royal Cremation Ceremony (Ngaben)
Medium: Ink on paper
Description:
横たわる死者を中心に、僧侶と家族が祈る場面。これはバリの葬儀「ガベン」を象徴的に描いたもので、死を恐怖ではなく「解脱への門」として表現している。穏やかな表情と静かな構図は、レンパッドの死生観を体現している。生と死を連続するエネルギーの循環として捉える彼の哲学が顕著。

Title: Deity on Garuda Carrying the Soul
Medium: Ink on paper
Description:
炎を思わせる翼に囲まれた神が、亡者の魂を運ぶ。下部の魔面は宇宙を象徴する怪物カラを思わせ、死後の冥界への旅を示す。宗教的象徴が重層的に絡み合い、細密な装飾線が神話的世界観を支えている。レンパッド晩年の象徴主義的傾向をよく示す作品。

Title: Divine Dialogue in the Forest
Medium: Ink on paper
Description:
木々の下で交わされる神々の対話。人物はワヤン(影絵)に由来する象徴的ポーズをとり、会話そのものが宇宙秩序の維持儀礼のように描かれている。線描は軽やかだが、精神的な張りがある。レンパッドは物語を超えて、存在の呼吸そのものを描いている。

Title: Dialogue between Demon King and Goddess
Medium: Ink on paper
Description:
右側の人物はラワナ王、左の女性はシータ、または女悪魔スルパナカの変形像とも考えられる。対話する二者の間には緊張と誘惑が漂い、ワヤン劇特有のユーモアが混じる。レンパッドは善悪を単純化せず、人間的感情を神話の中に溶け込ませた。

Title: Divine Archer Defeating the Demon
Medium: Ink on paper
Description:
弓を構える神的存在が、倒れゆく鬼を射る場面。構図は極めて均衡が取れており、矢と身体の動線が画面全体のリズムを作る。戦いは暴力ではなく宇宙の秩序回復の儀式として描かれており、バリの「ルワ・ビネダ(二元の調和)」思想を象徴している。

Title: Scene of Hell (Neraka)
Medium: Ink on paper
Description:
無数の鬼と罪人が入り乱れる地獄の光景。拷問と嘲笑が混じり合う混沌の中にも、レンパッド特有の軽妙な線描とリズム感がある。恐怖を越えて、世界の循環の一部として「地獄」を描く点に、彼の宗教的超越観が現れる。
① 女神と悪鬼の攻防
Title: Divine Combat with Demon and Woman
Medium: Ink and pigment on paper
Description:
中央の神的存在が、倒れかけた女性を支えながら悪鬼に立ち向かう場面。口から炎のような舌を出す悪鬼は、人間の煩悩や欲望の象徴とされる。レンパッドは細く長い線を用いて、戦いを超えた「魂の葛藤」を描き出す。背景を排した構成により、人物の所作と心理が際立つ。

Title: Woodcarvers at Work (Undagi)
Medium: Ink on paper
Description:
三人の職人が木彫の設計作業に没頭する姿。レンパッド自身も建築家・装飾彫刻師であり、ここでは神殿建築の基礎である「技の神聖性」を描く。人物の手の動きは祈りの所作にも似ており、芸術と信仰の一体化というバリ文化の根幹を視覚化している。

Title: Woman Preparing Offerings in the Kitchen
Medium: Ink on paper
Description:
家庭の台所で供物(ブンタン)を準備する女性を描いた作品。周囲には猫や豚などの動物が配され、生活の豊穣さと神聖な日常の重なりが表現されている。レンパッドの筆致は軽やかだが、画面全体に漂う静謐さは宗教的瞑想にも通じる。

Title: Family Scene with Mother and Children
Medium: Ink on paper
Description:
母と子を中心にした家庭的光景だが、指を差す父の仕草には叱責とも教えともつかぬニュアンスがある。床に座る動物や家禽は「生の循環」を示す象徴。レンパッドは人間社会を裁くことなく、観察者として温かく描いている。

Title: Encounter of Pilgrim and Beggar
Medium: Ink on paper
Description:
旅の僧が、道端の男女に施しを与える場面。地面に座る男の手の形は受容と祈りの混合的ジェスチャーを示し、犬の存在が人間社会の隣にある「自然の眼」を暗示している。レンパッドの筆致は極めて均整的で、宗教的慈悲を静かに伝える。

Title: Priest Teaching Devotees
Medium: Ink on paper
Description:
高座に座る司祭が、信徒に儀礼の教えを説く光景。机上の供物器や香炉の配置は、バリ・ヒンドゥ教儀式の正確な再現である。レンパッドの線描は柔らかく、説法の場を温かく包み込む。知の継承を視覚化した代表的民俗画。

Title: Women Grooming and Weaving Hair
Medium: Ink on paper
Description:
複数の女性が髪を梳き、結い、編む場面。中央の人物が他者の髪を整える仕草は、単なる美容ではなく社会的儀礼(成人や婚姻前の準備)を示す。レンパッドは日常の仕草に共同体的な温かみを見出している。

Title: Pig Butchering for Ceremony
Medium: Ink on paper
Description:
儀礼用の供物として豚を解体する場面。血や暴力性の描写は避けられ、むしろ全体が一種の「祭儀的作業」として表現されている。レンパッドは民俗行為を倫理ではなくリズムとして描き、人間の行動を生命の循環の中に位置づけた。

Title: Market Scene (Pasar)
Medium: Ink on paper
Description:
男女が野菜や果実を取り引きする市場の様子。机の上に整然と並ぶ品々、犬や子どもたちの姿は、バリの共同生活の原風景を思わせる。レンパッドは「神の世界」と「人の日常」を分けず、どちらも同じ線の流れの中に描き出している。

キャプション案:
朝の市場。籠を抱えた女、皿をのぞき込む男、犬が足元をうろつく。静謐な線の中に、南国の湿った空気と人のざわめきがある。
4️⃣ 食卓の光景キャプション案:
供物を前に語らう人々。食べることは祈りであり、祈りはまた日常の延長である。足元では二頭の豚が皿を分け合う。人も獣も同じ生命の円環にある。

キャプション案:
鍬を振るう男、柵を組む若者。働く姿をレンパッドは淡々と描く。汗も、風も、影も線の中に沈めながら、バリの大地のリズムが響く。

キャプション案:
晩年のレンパッド。百歳を越えた骨ばった身体は、なお線を求める。命の終わりではなく、線の続きがここにある。

キャプション案:
互いの首を抱き、頬を寄せる。細い線が肉体を結びつける。そこに官能ではなく、命の均衡がある。犬もまた、その調和を見守っている。

装飾された寝台の上で、男女が唇を寄せる。その傍らに赤子を抱いた女が立つ。エロスと生、死と再生。レンパッドの線は人生そのものを孕んでいる。
これらの画像は、バリ島の画家イ・グスティ・ニョマン・レンパッド(I Gusti Nyoman Lempad, 1862–1978)の代表的な線画作品です。
以下は各画像のキャプション例です:

作者: I Gusti Nyoman Lempad(ウブド、バリ)
制作年代: 1950年代
素材: インク・オン・ペーパー(Ink on paper)
所蔵: Neka Art Museum, Ubud / NMVW コレクション
レンパッド特有の簡潔で優雅な線描が特徴のエロティックドローイング。女性が煙草を指に挟み、冷静な表情で愛を交わす様が描かれている。

作者: I Gusti Nyoman Lempad
制作年代: 1950年代
素材: インク・オン・ペーパー
男女が完全に裸体で絡み合う姿を描いた作品。背景や文脈的要素を排し、身体そのものの構成美とリズムに焦点を当てた構図。

作者: I Gusti Nyoman Lempad
制作年代: 1950年代
素材: インク・オン・ペーパー
伝統的なバリ美術では忌避される「足」をあえて強調することで、愛の野性味と遊び心を表現している。女性が恋人を挑発するように指先で触れる仕草がユーモラスかつ官能的に描かれる。
携帯仏龕(諸尊仏龕)
素材: 木彫(漆塗痕)/金属丁番付
技法: 彫刻・彩色・開閉構造
推定時代: 清朝・乾隆期(18世紀後半)頃
特徴: 外面に吉祥句「上来吉祥」「下化衆生」銘、内部に釈迦・菩薩群像を配す。底面に「乾隆年製」銘を刻む。芳香あり。爪で叩くとカンカンと音がする。高さ16センチ 幅7センチ
入手:2006年ペルークスコの骨董品店で入手。

外装正面(正観面)
「上来吉祥」「下化衆生」の銘文と龍鳳・花文を刻む。中央部に大きな亀裂が見られるが、彫刻線の精緻さから清代工房の精作がうかがえる。
背面側(丁番部)
金属丁番により開閉可能。植物文(竹・梅)を配した左右対称構成。丁番は後補修跡と思われる。
側面装飾(花鳥文)
竹・蘭・菊などを思わせる文様。赤褐色の漆層痕が残り、かつては彩色仕上げだった可能性が高い。
外装裏面(銘文面)
「上来吉祥」「下化衆生」などの経文的句を刻む。右側に大きく「佛」字が彫られ、信仰対象としての性格を示す。

底面全体
八角形に整形された木地。右奥に方形印があり、表面に摩耗・割れが認められる。素材は黒檀または紫檀系の硬木。

底面印章部(拡大):「乾隆年製」銘
篆書体で「乾隆年製」と読める。清・乾隆帝期(1736–1795年)の製作、または同時代様式の模作と考えられる。
この銘は当時の宗教具・工芸品に多く見られる吉祥銘でもある。
7枚目上部装飾(蓮華文)
蓮花を中心とした放射状文様。中央に孔があり。宗教的象徴としての蓮華文様は清代仏具に典型的。

内部中央部:釈迦如来坐像
釈迦如来を主尊とし、両脇に菩薩・弟子を配した群像構成。上部に火焔光背、下段に供養人像。構図は「釈迦説法図」に近い。

内部右扉内面:菩薩群像
中央に観音または地蔵菩薩像。周囲に六体の脇侍が並立し、上方に火焔文が彫出。経年劣化と欠損があるが表情は温和。

内部左扉内面:菩薩三尊形式
中央像は施無畏印を結び、与願印の形をとる。左右に侍者菩薩、下段に供養者群。全体として三尊構成を意識した均整ある造形。

内部全体(三扉開状態)
中央に釈迦如来坐像、左右に菩薩群像を配置した三尊構成。上段には十余体の補助仏、下段に供養人や信徒像を配し、説法図または浄土変相図的構成を呈する。右上部に損傷があり、内部の木質構造が露出している。
外装側面銘文:「下化衆生」
「下化衆生(げけしゅじょう)」の四字が陰刻されている。これは「上求菩提、下化衆生」の対句の一部で、仏教的誓願を示す定型句。周囲に花唐草文が添えられる。
外装側面装飾:花卉文(菊・蘭・竹)
植物文様を高彫で表現。特に中央の花形は菊に類し、周囲の竹文・蘭葉と合わせて「四君子」的構成を思わせる。清代工芸の意匠的特徴を示す。
外装銘文:「上来菩提」の文字が刻まれており、2枚目と対をなす。表面の粒状文は打出し背景として用いられ、陰刻文字を際立たせる技法。金属丁番の取り付け痕が見られる。

中央釈迦如来坐像(拡大)
右手を上げ施無畏印、左手に鉢を持ち説法姿勢をとる。衣文線が幾層にも刻まれ、乾隆期に特有の重厚な様式を示す。面相は安定した円相構成で、穏やかな表情を保つ。
左扉中央菩薩像(拡大)
宝冠を戴く菩薩坐像。右手は与願印を示し、左手に宝珠を捧げる姿。顔貌の線刻と眉目表現が丁寧で、周囲の小像群が供侍の位置を成す。
下段供養人群像
三区に区分され、各区に二体ずつの人物像。合掌または供物奉持の姿で、仏前供養の情景を表す。明確な階層構成を持つ点が乾隆仏龕の特徴。
下段右側・供養場面(拡大)
右隅に僧侶像、中央に香炉を掲げる人物像。周囲に小動物または供物器具が彫られており、現世供養を象徴的に表現している。
右上部損傷部(外皮断面)
右扉上端の大きな欠損部。内部木質が繊維状に見えることから、やや柔質の広葉樹材(桑・梨系)を用いた可能性がある。外層に赤褐色漆が残留。
欠損部内部の拡大
欠けた断面から芯材の層構造が確認できる。中層に微細な植物繊維や木粉が見えるため、補修または充填が行われた痕跡とみられる。経年割裂による自然破損と推測。
上段群像(如来および弟子像の上部細部)
中央上部に冠を戴く如来または菩薩像を配し、その下に四体の小像が整然と並ぶ。いずれも袈裟をまとい、合掌または施無畏の姿勢を取る。面部に朱の顔料が部分的に残存しており、当初は彩色が施されていたことが確認できる。顔の造形は清代中期の工房様式に通じ、柔和な表現が特徴。

右上部弟子像(拡大)
右側壁面に位置する二体の人物像。上像は頭部に損傷を受けるが、眼鼻の線刻は明瞭で、やや微笑する表情を持つ。下像は童形で、衣文の刻線が簡略化される。双方とも視線を中央仏へ向けており、弟子または供侍としての配置意図がうかがえる。顔面や胸部の赤色顔料が保存され、朱線描による仕上げ技法を伝える貴重な遺存例。
題名:携帯仏龕(諸尊仏龕) 所見報告書
作成目的:外観・構造・芳香・材質・時代・価値の記録と専門鑑定用提出資料
両開式の小型木製仏龕。外面に「上来菩提」「下化衆生」の吉祥銘を刻み、内部に釈迦如来を主尊とする諸尊群像を配す。携帯礼拝用に制作されたものと推定される。
寸法:高さ 約16 cm / 幅 約7 cm(閉時)
重量感:小型ながら「ずしり」とした手応えあり。比重の高い香木材質を示唆。
材質:天然白檀(サンダルウッド/檀香)と推定。油脂分が多く芳香が持続。
構造:木彫高浮彫。中央に如来坐像、左右に菩薩・供養人群。
仕上げ:外面に赤褐色漆下地の痕。内部に朱顔料・金泥残存。
金具:金属丁番(後補)。
底面印章:「乾隆年製」銘(篆書体・仮託銘)。
20年以上にわたり甘く心地よい天然香を保ち続けている。人工香料の刺激臭を欠き、穏やかな甘香を放つ点から天然白檀材の特性と一致。
沈香系の重苦しい樹脂香ではなく、乳香・花香系の柔らかな香気。
→ 近代模造材(樹脂・合板)では再現困難であり、天然香木使用の確証となる。
推定時期:清朝後期〜清末(19世紀中期頃)。
製作地:中国南部(広東・福建・雲南地域)の香木工房系。
銘文解釈:「乾隆年製」は当該期を直接示すものではなく、吉祥・伝統表現として後代に踏襲された様式銘。
様式比較:乾隆期仏龕に共通する群像構成・蓮華文・花卉彫刻を継承。
経年による亀裂・欠損・虫食い痕を一部に認む。
丁番部に現代木ネジの後補。
彫刻線・顔料痕・漆層は良好に残存。
木質の酸化と自然摩耗が均質で、人工エイジング痕を認めず。
本作品は、清末〜19世紀中期に制作された白檀製携帯仏龕であり、
「乾隆年製」銘は吉祥的仮託と考えられる。
長期にわたり芳香を保つ天然香木材質と、信仰使用に伴う自然摩耗が確認されるため、
近代模造品ではなく、実際の礼拝用古物として評価できる。
材質・造形・信仰痕から見て、宗教美術・香木工芸史双方の観点からも希少な実例。
FTIR分析による木材樹脂スペクトル確認(白檀/沈香の判別)
顕微観察による導管構造の確認
GC-MS分析による香気成分特定(β-サンタロール検出で確証)
恒温湿度保存(20℃・50%前後推奨)
丁番交換・酸化防止処理
タバナンの村に入ると、風が柔らかくなる。
バリでもっとも豊かな稲の産地。その名の通り、あたり一面にサワ(棚田)が波のように広がっていた。稲穂の緑と、空の青と、雲の白が重なり合って、風景そのものが呼吸しているように見える。
ワヤンの家は、そんな棚田のすぐ裏にあった。
家族総出での稲刈りがちょうど終わったところだった。草の香りと泥の匂い、そして笑い声が混ざり合う。彼の母が穂を束ねながら「今年もよく実った」とつぶやいた。その声に、神への感謝が自然と滲んでいた。
タバナンでは、田の水を分ける仕組みを「スバック」と呼ぶ。
古くから村ごとに受け継がれてきた水利の共同体で、国家の制度よりもずっと前から存在しているという。
誰にどれだけの水が必要かを争わずに決める。
その判断の基準は、神と自然、そして互いへの信頼。
流れる水が平等であるように、人の心もまた調和の中に置かれている。
稲が立ち、風に揺れる。
女たちは腰を曲げて穂を刈り、男たちは運び、子どもたちは笑いながら手伝う。
すべての動きが一つのリズムに溶け込んでいる。
労働と祈り、そして生きるということが、まったく同じ行為のように感じられる。
ふと、足元の水面に目を落とすと、雲が映っていた。
風が吹くたびに白い影がゆらぎ、稲の葉がそれをやさしく撫でる。
まるで天と地のあいだで、稲が風と話をしているようだった。
そのとき、私は確かに“稲の声”を聴いた気がした。
この島では、神は遠くの空にいるのではなく、
日々の暮らしの中に、露のように、風のように降りてくる。
だから人々は、祈りを忘れず、土地を信じ、水を敬う。
ヤシの木と水田の取り合わせは、まるでバリそのものの象徴だ。
実用と美、実りと静けさ。その両方が共にある。
夕暮れ、黄金色に染まった棚田を振り返ると、
どこからともなくガムランの音が聞こえてきた。
その響きは水に溶け、風に乗り、稲の穂を震わせる。
誰かの祈りと誰かの暮らしが、音となって一つになる瞬間だった。
バリを訪れる理由を訊かれたら、私はこう答えるだろう。
「稲の声を聴きに行くためだ」と。
棚田讃歌
太陽の角度によって、緑は音を変える。
朝はまだ青く、昼には息づき、夕には金にほどける。
段をなして重なる稲の層は、
まるで時の年輪のようだ。
ひとつの段に、過去の祈りが沈み、
もうひとつの段には、これからの希望が芽吹く。
水の中に立つひとりの人影。
その手の動きは、労働というよりも、祈りの仕草に近い。
泥に沈めた指先が、やがて空を映す水面をゆらす。
それは天地をつなぐ、静かな約束のようだった。
風が稲を撫でると、
棚田は巨大な呼吸体となる。

ヤシの影がその胸のように揺れ、
遠くの雲までが、白い息を合わせる。
この大地では、人が自然を支配するのではない。
ともに生きるために、曲線を描いたのだ。

まっすぐでなく、柔らかく。
無理のない形で、水とともに。
収穫のとき、籠を担ぐ人々の姿は、
光の中に浮かぶ影絵のようだ。
その一歩ごとに、季節が過ぎてゆく。
稲の香り、泥の温もり、風の手触り。
それらすべてが、ここでは「祈り」と呼ばれている。
棚田は風景ではない。
それは人の心が刻んだ詩であり、
自然と交わした永遠の対話である。
水を抱いた大地が、光を返している。
雲の影がゆっくりと流れ、風が稲の穂を撫でる。
その一瞬ごとに、天地の呼吸が聞こえるようだ。
どこまでも続く緑の段々は、人の手が刻んだ祈りの模様。
争うことなく、ただ水を分け合いながら、
山から海へと流れる時間を受け止めてきた。
村の道には、まだ祭りの名残の飾りが揺れている。
家々の軒先では、供え物の香りが風に混じり、
遠くから子どもの笑い声が聞こえる。
この土地では、暮らしそのものが儀式なのだ。
泥に足を沈める人の姿。
その背には、どんな未来が見えているのだろう。
芽吹いた苗の一本一本に、祈りが宿る。
水面に映る空が、彼の労を見守っている。
黄金に染まり始めた稲穂は、
やがて手のひらで刈り取られ、
神々と家族へ捧げられる。
生と死と、始まりと終わりが、ここではひとつの円を描いている。
ヤシの影が揺れ、川が歌う。

スバック――水を分かち合う知恵の共同体――が、
今もこの土地を静かに支えている。
誰もが自然の一部として生きる、その秩序の美しさ。
空は広く、稲は風に揺れ、
世界は音もなく均衡を保っている。
バリの棚田は、ただの景色ではない。
それは、永遠のリズムを刻む「祈りの記譜」である。
1️⃣
バナナの葉の隙間から、黄金色の稲穂とともに見えたひとりの背中。
言葉よりも深い祈りが、土の香りとともに漂っていた。
2️⃣
竹笠の下、両手の中でこぼれる籾。
風がふるいを抜けるたび、実りの季節が音を立てて通り過ぎていく。
バリ、ウブド近郊の田園にて。