椅子の高さより、クッションを見よ

トランプ訪中の映像が、SNSやYouTube界隈で妙に盛り上がっている。

「椅子が低い」
「中国に格下扱いされた」
「習近平が心理戦を仕掛けた」

そんな論評が大量に流れている。Youtuberにとっては実に美味しいネタなのだろう。確かに少し面白い。外交には昔から“演出”が存在する。椅子の高さや立ち位置、赤絨毯の長さまで含め、国家は象徴を利用する。

 

だから最初は私も、
「なるほど、中国らしいな」
程度には思っていた。

しかし、映像を見ていて妙な違和感を覚えた。

 

晩餐会の着席直前、チャイナドレス姿の女性スタッフが、トランプの椅子のクッションを外しているのである。

つまり、少なくとも映像上は、

「低い椅子を中国側が最初から用意した」

というより、

「トランプ側あるいは本人が座り心地を調整した」

ように見える。

 

もちろん断定はしない。だが、少なくともこのシーンは重要な補助情報のはずだ。ところがSNSでは、この部分がほとんど語られない。

皆、「低く見えるトランプ」の画像ばかりを拡散する。

ここに、現代の情報空間の怖さがあるね。

 

人は、自分の見たい物語を先に作ってしまう。

「中国の狡猾な演出」
「トランプの屈辱」
「米中心理戦」

そういうドラマを先に頭の中で完成させ、その後は都合の良い映像だけを拾う。

 

クッションを外す場面は、その物語を壊してしまう“ノイズ”なので、視界から消えてしまうのである。

これは実は陰謀論と構造が似ている。

 

陰謀論とは、「証拠が無い」のではなく、「都合の悪い証拠を見なくなる」ことで成立する場合が多い。

しかも今のSNS空間では、“観察”より“所属”が優先される。

自分の陣営に気持ち良い情報。
敵を馬鹿にできる情報。
数秒で理解できる映像。

それらが爆発的に拡散する。

 

一方、本当に重要な話――

半導体、
AI、
レアアース、
台湾、
ドル体制、
サプライチェーン、

こうした地味で複雑な問題は、再生数になりにくい。

だから「椅子数センチ」が巨大ニュースになる。

 

しかし本来、映像を見るとは、切り抜かれた結論を見ることではない。

その前後を見ることだ。

誰が先に動いたか。
誰が指示したか。
周囲はどう反応したか。
準備動作はあったか。

本当はそこに現実がある。

 

私はこの場で別にトランプ擁護を書きたいわけではない。中国擁護を書きたいわけでもない。

ただ、「映像そのものを見ろよ」と言いたいだけだ。

現代は、“見ているつもりで、実は何も見ていない”時代なのかもしれない。

 

 

【ヒューストン=赤木俊介】米政府倫理局(OGE)は14日、トランプ米大統領の証券取引情報を開示した。2026年1〜3月期は有価証券や地方債を3600回以上売買したという。米大統領による証券売買は合法だが、取引企業の多くは米政府と関係を持つ企業である

 

という内容だった。

私は最初、かなり驚いた。

「大統領本人がそんなに売買していいのか?」

というのが率直な感想だった。

 

以前、私は「米大統領はブラインドトラスト(本人が運用内容を知らない形)などで利益相反を避ける」と理解していた。実際、それは長くアメリカ政治の“常識”だった。

しかし調べると、どうもそう単純ではない。

 

法律上、アメリカ大統領が個別株を保有したり売買したりすること自体は禁止されていない。日本人の感覚では意外だが、米国では「まず自由」が先にある。禁止より開示を重視する文化なのだ。

つまり、

「取引を禁止する」のではなく、
「開示するから有権者が判断せよ」

という思想である。

 

なるほど、アメリカらしい。

しかし、やはり釈然としない。

なぜならトランプ氏は、単なる投資家ではないからだ。

彼は、

・関税政策
・対中政策
・原油政策
・AI・半導体政策
・NATO発言
・SNS発信

だけで世界市場を動かせる人物である。

 

つまり彼は「市場参加者」である以前に、「市場形成者」なのだ。

その人物が3600回以上も売買している。

もちろん違法とは断定されていない。OGEへの開示も行われている。米国制度上は「透明性が確保されている」という理屈になる。

 

しかし

本当に「事後開示」で十分なのだろうか。

市場というものは、一度動けば終わりである。

例えば政策発表前にポジションを取っていたとしても、後から「開示」されれば問題なし、ということになるのか。

 

しかも現代市場は、

・AI取引
・高速売買
・SNS連動
・巨大ETF
・地政学マネー

がリアルタイムで結びついている。

もはや昔の「資産保有」とは違う。

国家権力そのものが市場を動かす時代になっている。

 

私は今回の記事を読みながら、アメリカという国が少し変わってしまったのではないか、と感じた。

昔のアメリカにももちろん癒着や利益相反はあった。しかし少なくとも、

「大統領は疑われるようなことを避けるべきだ」

という“自制の空気”がもう少し強かったように思う。

ところが現在は、

「違法ではない」
「開示している」
「自由市場だ」

という説明で、多くのことが処理されていく。

メディアの報じ方もどこか淡々としている。

 

だが、私にはどうも気持ちが悪い。

なぜならそこでは、

「国家権力」と「市場利益」の境界

が急速に曖昧になっているからだ。

これは単なるトランプ批判ではない。

むしろ現代資本主義そのものの問題なのかもしれない。

 

つまり、

自由市場を極限まで進めると、
最後には国家権力そのものが市場プレイヤー化する。

そして人々は次第にそれに慣れていく。

今回私が最も気になったのは、実はそこなのである。

 

教訓は二つある。

ChatGPTを信用しすぎるな。ただし僕はChatGPTファンだが。

トランプを信用しすぎるな。ただし僕はトランプファンだが。

腹痛、膨満感から始まった風邪がようやく快方に向かってきた。つまり便が出出したのだ。こんなことでもやたら嬉しい。食欲はまだ本格的ではないが、脳裏には蕎麦が浮かぶ。気持ちだけは蕎麦が食いたいのだが、体はまだ70点くらいかな。午後には近所の蕎麦屋に行ってみようと思うのだが増田屋は残念ながら閉店した。どこか見つかればいいのだが。

以下 過去の蕎麦関連の僕のブログです。

 

Sちゃんのブログをみていたら突然蕎麦が食いたくなってきた。彼女もご主人も大の蕎麦好きらしくよく旨い蕎麦屋を見つけ出してきては、その体験記と紹介が出てくる。その文と写真を眺めているだけでたちまち食いたくなってくる。

蕎麦の不思議さはその味覚が脳裏に焼き付いている点だ。たとえばウナギでは、人様の文章を読んだとしてもそのときの腹具合にもよるが、突然発作的に禁断症状がでることは無い。落語でもあるように、においで始めて脳が刺激される。しかし蕎麦だけは別格のようだ。文章だけであの香や舌から脳に抜けるような独特の味覚が想起され、胃まで活性化してくる。なにか蕎麦の成分に脳内モルヒネ様物質かあるいは受容体を刺激する物質が含まれているのかも知らん、などと考察は果てしなく続きます。

しかしそんなことよりも旨い蕎麦が食いたい。旨い蕎麦といったって何も特別な蕎麦でなくて良い。蕎麦の香りがしっかりとあり、噛んだときに蕎麦の味がするだけでよろしい。それなのにここ2ヶ月は蕎麦にありつけていない。いや正確に言うと2度チャレンジしたが、いずれも蕎麦とはいえない代物でした。

滞在中の呉は魚と野菜はめっぽう旨いし、牡蠣となまこは絶品です。とくになまこなどは酒の肴にうってつけで毎日三杯酢で食べています。ラーメンも密かに名付けた三大ラーメンがあります。モリス、珍来軒、ぶーらーめんの三軒が甲乙つけがたく拮抗しています。

ところが蕎麦屋が無いのです。「そばや」そのものはあるのですが東京ではさりげなく食べられる、あの蕎麦が食えません。どうしてか。理由を探っていくと「呉における蕎麦不在の一考察」なる論文が一本書けそうですが、そんな気もない私は単に天を仰いで慨嘆しています。

 

味覚の記憶は育つ 「志な乃」「瓢亭」の蕎麦

テーマ:

20代の頃、虎ノ門の第17森ビルのオフィスに勤務していた。昼飯は大方の日は社内食堂を利用していた。プラスチック製の赤や緑の丸い食券を持って列に並び、焼き魚定食などをいつも食べていた。A定食B定食などがあり、300円前後であった。栄養的にはそれなりにバランスがとれており、味も悪くなかった。会社が場所を提供していたのでこの価格で提供できたのだ。給料が10万なかった時代でこの社内食堂は有難い存在であった。

しかし、給料日などはなにか旨いものを求めて近くの店にいった。その中に蕎麦屋「志な乃」がある。オフィスのほとんど真向かいにある蕎麦屋だが何かの折に昼飯時に通りかかると、必ず5、6名程度の行列ができており気になっていた。何かの折にその話を会社ですると上司が解説してくれた。

志な乃の蕎麦は玄くて太い、しかも量があるので決して大盛りなどを頼んではいけない。食べきれないほどの量だ。旨いが値段も高いので当時勤めていたNTTデータ通信本部の幹部連中や周りの会社の役員に常連が多いなどの知識をあらかじめ得ていた。

ある日同僚とその店に12時15分前に行ってみた。さすがに15分前だと座れたが瞬く間に30人くらいの席は埋まってしまった。周りを見ると当時の我々みたいな若造はいない。確かに年配のえらそうな連中ばかりだ。

最初はもりとけんちん汁を注文したような記憶がある。注文するとお茶が出てくるが若造にも質の高いとわかるお茶が出てくる。どこでも出てくるような単なるお茶ではない。香りの高いしっかりと旨みのでたお茶であった。それから蕎麦がざるにのって出てきたが、確かに太くて蕎麦の色が濃い。

当時の若造は蕎麦とはこんなにうまいものかと感激した。それまでは関西生まれのためかうどんが好みであったがこのとき蕎麦に目覚めた。それにしても相当な量で食べざかりの身でも十分に腹がいっぱいになった。食べ終わるとそば湯と、ふたたびお茶がでる。このお茶は先ほどと違って濃い目の抹茶が入ったものだ。食前食後にぴったりのお茶を使い分ける心憎い配慮だと感心した。

これに味をしめて、懐具合が良くなるとこの店で合い盛り・けんちんそば・そばとけんちん汁などを楽しんだ。名前は忘れたがスペシャルな蕎麦も試みた。やはりいつも食べるそばがうまかった。合い盛りで出るうどんも質が高かった。何かの折に家族を連れて行って食べたこともある。

その後大阪に転勤になった。同僚に蕎麦のうまいところへ連れて行けと頼むとお初天神のなかにある「瓢亭」に案内された。ここの「夕霧そば」が旨いという。「志な乃」とはうって変わって色の白い蕎麦でつゆに生卵を溶いていれる。それなりに旨く、酒を飲んだ帰りには必ず寄って仕上げにこの夕霧そばを食べて帰るというパタンが続いた。その蕎麦を食べながらも同行の者には志な乃の蕎麦の自慢をしていた。

その後、東京の会社に転職したが訪れることはなかった。わざわざタクシーで行くというのも気がひけた。昼飯はどうしても近所で済ましてしまう。夜は蕎麦屋で一杯という相手もなかなかいない。これまた近所の焼き鳥屋などへ足が向いてしまう。腹も減り疲れてもいるので手短なところを選ぶのもやむを得ない。

数年前、会社を退職する直前になってどうしても志な乃の蕎麦を食べたくなった。サラリーマン生活の終止符に若造が感激した記念すべき蕎麦を食べておこうと考えたのだ。職場の二人を誘ってタクシーで向かった。蕎麦屋にタクシーで行くなどとは生まれて初めての経験だ。30数年ぶりに店に入ったが、たたずまいは昔のままであった。

注文を取りにきた女性の顔をみて驚いた。当時もいた女性だ。ここのおかみさんかもしれない。持ってきたお茶も同じ味だが心なしか気合いが抜けている。合い盛とけんちん汁を頼んだ。水準は高いのだが、残念ながら昔の感激は戻ってこなかった。

昔の女に年月を経て再開してはみたが「なにかが違う」と心の中でつぶやくような、そんな感じを味わった。こちらの味覚が鈍ったのか、旨い蕎麦をそれなりに食べ慣れたのか、はたまた、この店の水準が落ちたのか。おそらく全て当たっているのだろう。

この店の当時の主人は毎年蕎麦の収穫の時期に日本中に出来の良い蕎麦を求めて旅をすると記していた。国産の良いものを使い、それで当時のそばとしては破格の1000円近い値段であったと思う。値段は30数年後も変わっていなかった。とすれば国産の質の高いしかもたっぷりの蕎麦を出せという方が無理なのかもしれない。

同じ店でも質の高い品を維持するのは難しい。食材が高騰し、代価はそれほど帰るわけにはいかないとなれば質の維持は難しい。代が変われば特に至難の業だ。さらに味覚の記憶は年月を降るなかで現実よりも育っている。こいつが最大の理由だ。久しぶりに訪れる店に落胆しがちなのは深い理由がある。

 

鎌倉散歩 明月院など

テーマ:

先週末は我が家から電車で1時間程度で行ける鎌倉を散歩した。鎌倉鶴岡八幡宮、明月院のアジサイ、小町通りをぶらりと歩く。

明月院 すもものような木の実が。薄緑に淡い紅色の対比が妙。

椿の実のような。名前がわからない。

30年以上前に食べたなかむら庵が。あたたかいそばを頼むと「お客さん、そばはざるに限りますよ。つゆが飲みたければつゆを入れた蕎麦湯を飲めば美味いですよ」と勧めてくれた爺さんはもういないだろうな。

鶴岡八幡宮の大木。幹の模様が面白くて。

明月院 ピンクのがくあじさい。

これもピンクのアジサイだがガクアジサイかどうかは不明。

さすが明月院 青が鮮やかだ。

これはやや白っぽい

明月院に向かう途中の線路沿いに見つけた葉のないアジサイ

 

 

 

 

Ⅵ 白い細弁と紫脈のラン

 

これは非常に気品があります。
細く伸びた白い花弁が、まるで熱帯の風そのものを描いているようです。

バリでは、昼の強い光だけでなく、夕方近くの柔らかな逆光が植物を劇的に変えます。
この花も、夕方の斜光の中で見ると、白が少し青く浮き、紫の筋だけが濃く残るでしょう。

派手さより「呼吸」を感じる花。
だから見飽きません。

 

桃色のフリル咲きカトレア

 

非常にバリらしい花です。
少し過剰なくらい鮮やかで、湿度を含み、南国特有の「生命の濃さ」がある。

日本の花文化は引き算に向かいやすいですが、バリはむしろ足し算です。
音も多い。色も濃い。匂いも強い。供物も重なる。

このランのフリルは、まるでバリ舞踊の指先の動きのようです。
装飾が装飾だけで終わらず、動きそのものになっている。

濃紫と深緑の対比のラン

 

これは色彩の勝利です。
濃紫、白、深緑。その三色だけで画面が成立しています。

特に葉が良い。
バリの植物は葉そのものが巨大で、しかも濡れた革のような光沢を持っています。だから花だけでなく「葉が背景になれる」。

熱帯では、葉は単なる添え物ではありません。
湿気を受け、光を反射し、時に花以上の存在感を持つ。
この作品では、その熱帯特有の“葉の重量感”がよく出ています。

垂れ下がる紫の房咲きラン

これは非常に音楽的な花です。
細長い花弁が何十本も重なり、垂れながら空気を編み込んでいる。静止画なのに「揺れ」を感じます。

バリの植物は、ただ咲くのではなく「流れる」。
雨季の湿気、午後の熱気、突然のスコール、その気候の中で植物が直線ではなく曲線へ曲線へと伸びていく。だからバリの庭は、どこかガウディ建築にも似た有機性を持っています。

この紫は、バリの夕方の空の色にも少し似ています。

淡黄緑の小型ラン

 

派手さはないのに、異様に印象に残る花です。
まるで昆虫と花の中間のような、不思議な造形をしています。

バリの美は、日本の「整った美」と少し違い、こうした“少し奇妙なもの”を平然と受け入れます。
寺院の石像もそうですが、美と不気味さ、聖と妖しさが分離していません。

このランもまた、「かわいい花」というより、熱帯の湿度が生んだ小さな生物のようです。
近づくほど、南方的な生命感が強くなる。

薄桃色のカトレア系ラン

大きく開いた花弁が、まるで南国の湿った風を受け止めているような花です。
カトレア系のランは「ランの女王」とも呼ばれますが、この個体は豪華さよりも柔らかさが前に出ています。特に唇弁(中央の濃紫部分)が深く、静かな官能性を持っています。

バリでは、こうしたランが「特別な花」というより、寺院の裏庭や民家の軒先に自然に溶け込んでいます。日本では温室植物として扱われがちな花が、バリでは風景の一部として息をしている。そこが面白い。
朝の湿気、遠くのガムラン、鳥の声、その全部を花が吸っているように見えます。

 

全体を通して — バリとランの関係

バリでランを見ていると、日本の園芸感覚とは違うものを感じます。
「管理された花」というより、風土そのものが偶然咲かせているように見えるのです。

湿気、火山土、強烈な光、突然の雨。
植物はその環境に押し流されながら、どこか自由に変形していく。

だからバリのランには、温室的な完成品ではなく、“生きている途中”の美しさがあります。
少し曲がり、少し暴れ、少し湿っている。
そこに、南方の時間が宿っています。

ベネチアは何故木の杭の上なのに沈まないのか

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(写真は2006年のベネチア大運河風景)

 

2026・5・9 人気ブログ 再掲

 

2018/11/4 追記 杭では沈まないが、気候変動と汚職で沈みそうだ。水没防止の金「20億ユーロが賄賂に使われた」とは、いかにもイタリアらしい話でもある。

 

2018年10月29日には、ベネチアの名所サン・マルコ広場が閉鎖された。観光客のため高床式の歩道が設置され、救助活動も行われた。店主たちは懸命に建物から水をくみ出した。水位は観測史上4番目に高い1.5メートルを記録した。

 

運河をゴンドラが行き交う穏やかな風景のベネチアは様変わりし、街そのものの存続を左右する脅威にさらされている。気候変動によって、地中海沿岸は21世紀末までに約1.5メートル近く海面が上昇するとの推測もある。専門家たちは「ベネチアは日に2度水没することになる」と警鐘を鳴らしている。現状でも年4回ほど深刻な水害に見舞われている。

 

「MOSE」と呼ばれる可動式防波堤で、街とラグーン(潟)を守ろうという計画が進められているが、「20億ユーロが賄賂に使われた」とも報じられた。

 

イタリアのベネチア(ベニス)を訪れて以来、私には大きな疑問があった。

「なぜベネチアは木の杭を無数に埋め、その上に石を積んで出来た街なのに、1400年間も木が腐らず、街も沈まないのか」

 

もっとも最近では地盤沈下が問題になっているらしいが、それにしても1400年間持ちこたえたという事実は驚異的である。地震の多い国でもあり、それに対しても比較的強かったのかもしれない。

どのようにして海の中に土台を作るのか。

 

まず海の中にレンガで防水壁を作る。その壁の内側に、高さ4メートル、直径20センチほどのオーク材やカラマツの杭を打ち込んでいく。1平方メートルあたり9本の杭が打たれるというから、3本が三列並ぶ計算であり、海底のかなりの部分が木で埋め尽くされることになる。

 

その上に梁としてカラマツ材が二層に敷かれ、さらに石材やセメントが積み重ねられて床が作られる。こうして1000年以上耐える土台が完成する。

 

なるほど、これはベネチアだけの特殊技術ではない。

アムステルダム旧市街の中心、ダム広場近くにあるオランダ王宮も、沼地の上に建設された。そのため地盤補強として1万3千本もの木杭が打ち込まれ、その上に巨大な石造建築が建てられているという。

塩野七生氏の『ローマ人の物語』にも、「木は水中では腐らない。ローマ軍は橋建設の土台に木を使った」という趣旨の記述が幾度となく登場する。こうしてみると、「木は海水に強い」という知識は古代から経験的に知られていたのだろう。

 

もちろん、どんな木でも良いわけではない。

そういえば日本でも、厳島神社の大鳥居は長年海水に浸かっている。江戸東京博物館では、500年前の江戸湾埋め立てに木を使った痕跡の発掘写真が展示されていた。

 

「木は海水で腐らない」

これは案外、身近なところでも実証されている。

現存する世界最古の木造建築と言われる法隆寺も、1300年を経て約40%の木材が入れ替わっているという。私たちは「木造建築は長持ちしない」という印象から、「海水ではなおさら駄目だろう」と思い込んでいたのかもしれない。しかし実際には、木は空気中よりも、むしろ海水中のほうが長く保存される場合がある。

 

兵庫県明石市の赤根川浚渫工事では、河口海中から防波堤基礎に使われたと見られる丸太材が引き上げられた。年代測定の結果、伐採年代は10世紀初頭と判定されたという。こちらも1000年級である。

さらにテレビ番組『ブラタモリ』では、一乗谷遺跡の木材が水田下に沈んでいたため保存状態が極めて良好だった、という解説があった。

 

では、なぜ海中で木は腐らないのか。

腐敗とは主として腐敗菌による分解作用である。しかし海底の泥の中や酸素の乏しい環境では、この菌類の活動が極めて弱くなる。そのため木材が分解されにくい。

さらに陸上建築を痛める最大の原因の一つであるシロアリ被害も、海中では基本的に存在しない。

 

つまり、

「木は水に弱い」のではなく、
「空気と菌と虫に弱い」

のである。

これは、ベネチアの1400年を考える時、実に示唆的な逆転の発想だと思う。

「行く先は四国と決めている。四国でなくてはならないという理由はない。でも地図帳を眺めていると、四国はなぜか僕が向かうべき土地であるように思える」村上春樹「海辺のカフカ」p18

 

詫間海軍航空隊

詫間航空隊と言う存在と神風特攻隊の基地であったという事実を詫間海軍航空隊記録編集委員会のホームページで偶然に知ることとなった。

 

上図はその当時の詫間航空隊の平面図と、その概略であり、詫間航空隊の知識と図は詫間海軍航空隊記録編集委員会のホームページから拝借した。

そしてその土地と建物に潜む歴史を知らぬ間に過ごした3年間であったが、振り返ってその知識を知って記憶と重ね合わせてみると、極めて個人的な田舎の寮生活が不思議と第2次世界大戦と言う普遍的な歴史に縁を持つものとして蘇ってくるような錯覚を覚える。

 

昭和18年6月1日、詫間海軍航空隊が開隊された。当時の戦況は昭和17年6月5日、ミッドウェイ海戦において、空母赤城をはじめ、加賀、 飛龍、蒼龍の四空母と多数の搭載機、熟練した優秀な搭乗員を失う。昭和18年2月7日ガダルカナル島から全員撤退、4月18日山本連合艦隊司令長官戦死、5月29日アッツ島守備隊全滅といった切羽詰まった状況であった。

 

この詫間海軍航空隊の当初の目的は、水上機の実用機教育を一貫して行うもので後に日本全土から一万を超える兵士たちがこの町に来て302人もの若い兵士たちが神風特攻隊員 としてこの詫間湾を飛び立ち、沖縄決戦などへと南の空に散った。(詫間海軍航空隊記録編集委員会のHP http://www.niji.or.jp/home/akagaki/4-7takuma.htmlからこの詫間航空隊平面図と内容を参考にさせていただいた。)

 

詫間電波高校を卒業して既に60年が経った。この高校の寮生活とそして一風変わった寮の建物の事を時折思い出す。(10年に一度あるかないかではあるが) 

 

とうの昔に在学当時の木造建築はコンクリートの校舎に替わっており、詫間電波の名前は香川工専詫間キャンパスと名前まで既に変わってしまっている。

 

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」中村草田男 をもじって詠めば「降る雪や 詫間は遠く なりにけり」の心境となっており、記憶も薄れていくままに任せていたが、昨夜偶然にもネットで詫間航空隊の事を知り、掲載されたその平面図(上図)を見ると、我々が寮生活を送った建物は詫間航空隊当時と全く変わらずにいたことになる。

 

ところで不思議に思うのだが、在校当時この地が神風特攻隊出撃基地であるとは全く知らなかった。航空訓練隊があり、そのために浜には滑走路が古びた姿を残していたと理解していたのだが、航空訓練隊と神風特攻隊ではその歴史の重みが異なってくる。

 

あれだけの教官がいて誰一人その話題には触れなかった。たいていの場合、授業の合間に雑談をしてこの種の話をするものだが、先生方も先輩も近所の人々も誰一人詳しく知るものはなかった。平成9年に詫間海軍航空隊記録編集委員会の方々がその事実を明るみに出してくれるまでは、恐らく卒業生のほとんどがこうした事実は知らなかったのではないか。

 

この詫間海軍航空隊記録編集委員会の記事によると、詫間特攻隊の存在は軍の機密事項として厳しい箝口令がひかれており近在の人々も知らなかったとある、戦争が終わってもその種の話はタブーであったのかと納得した。

 

平面図を眺めると右方上部に兵舎が4棟並んでいる。いずれも木造3階建で、このうち右側2棟が3年間住んだ高校の寮になっていた。左の2棟は実験室や実習室になっていた。右側2棟だけで在学生約400名が収容できたので、詫間航空隊当時は4棟で800名程度の若者があの6畳ほどの畳敷きの部屋で特攻の訓練を受けながら待機して、そして半数近くが沖縄の海に散った。戦争の是非を超えて彼らの一途な切実な気持ちがあの6畳ほどの畳敷きの部屋から伝わってくる。

 

4棟の兵舎の左に練兵場がある。これは運動場兼野球場になっていた。練兵場の左にある大きな建物は実習講堂とあるが、体育館になっていた。

 

兵舎の右横には洗濯物干場と記述されているが、これはそのままの使われ方をしていた。兵舎の下部には長い建物が見えるが兵員烹炊場とある。これもそのまま食堂であった。その左にある兵員休憩所はそのまま寮生休憩所となっていて、かけうどんやお菓子類などを売る売店があった。うどんを釜から揚げていたあのおばちゃんの顔までがありありと浮かんできた。 

階段上から撮った正面食堂へと続く道。正面の左側が風呂。すぐ左が私の入っていた寮で右が実験棟。奥の木造2棟も寮だった。いずれも木造2階建。

鉄塔が3基もあったとは。記憶の中では確か一基だけだったが。夜な夜な鉄塔に登る隣室の寮生がいた。もの静かな男だったが何を思って夜な夜な危険な鉄塔に登っていたのだろう。岡山出身の男だったのであるいは鉄塔から岡山を眺めていたのかも。(和田くんだ 思い出した。)

海岸からみた校舎。校舎より寮や体育館、食堂のほうがはるかに広い。

写真の上から順に

左 永康病院。現在は三豊市立永康病院と総合病院になっている。保健の先生はこの病院出身で、在校当時に下級生が壊血病で亡くなった記憶もある。僻地に壊血病の持病を持つ子を送り出した親、そしてちょっとしたことで出血が止まらなくなった下級生、保健の先生が親代わりに面倒を見たが息を引き取ったという。進駐軍時代は将校宿舎。

 

右 教職員宿舎。ほとんどの先生がこの宿舎に入っていたような記憶が。夕方にはこの宿舎から手前の滑走路の先にある海岸までキスなどを釣りに来ていたのどかな時代だ。官舎という名前で呼ばれていた、教職員や家族がそのささやかな生活をおくっていた場所だった。

 

中段

左。職員室と教室。

右。映写室や講堂があり、年に数回映画を見た。なぜかイタリア映画の道などを見ている。大塚先生の奥の細道紀行を8ミリ映画で見た。同先生のバイオリン演奏会も。

 

下段

左。体育館とグランド。体育館は戦時中は航空隊の屋内操縦訓練に使われた。グランドでは数学教師の有本先生が大阪で数学の研究に進むために退職をすることになり感動的な挨拶をされたのが印象に残っている。

この先生はこの詫間の地でも一風変わった先生として有名で、マント姿で数学書を読みふけりながら須田の町を歩くのを常としていた。まだまだ坊ちゃんに登場してもおかしくない雰囲気が残っていたのだ。

 

中。1棟が実験棟で3棟が寮。

右。洗濯場と物干し。

 

校門から左に校舎 右に寮や実験棟 手前右は運動場。

モールスを練習する16歳の私。

キャンプファイア風景。

 

詫間電波40年史より転載。校門から右手に運動場が見える。

 

詫間電波40年史より転載。

詫間電波40年史より転載。モールス実習風景。

 

詫間電波40年史より転載

 

詫間電波40年史より転載。

 

詫間電波40年史より転載。大塚政量先生が右手に立って指導している。

 

詫間電波40年史より転載。すうどんが20円で生卵10円だった。

 

詫間電波40年史より転載。昭和41年の卒業だが寮費は5000円程度だったように記憶している。三食ついて一日150円程度か。

 

詫間電波40年史より転載

 

幻視する記憶 詫間海軍航空隊あるいは神風特別攻撃隊 

 

以下は関連ブログです。

詫間は遠くなりにけり(その2)

詫間は遠くなりにけり(その3)

階段の記憶

 今日の音楽「サライ」と詫間

シンクロした詫間「トラトラトラ」は何の意味かと尋ねられて 安倍晋三首相真珠湾訪問で追記記憶の断片 アンテナ電波で死亡した同級生

 

 

 

 

特に事業家が好んで使う言葉に信念、志がある。一つのテーマを追いかけて迷わない人生をまっしぐらというのは果たしてそんなに賞賛されるべきものなのだろうか。信念、志には洗脳、自己暗示がつきまとい、どの言葉も生存競争に勝つことに結びついている。勝者の背後には無数の敗者や中間層がいる、これって本当にそんなに大したものなのだろうか、こんな疑問が常に奥にある。

 

確かに社会人になり嫌でも競争社会に放り込まれると競走馬が先頭を走りたがる本能に従って前へ前へと突き進む、甘っちょろい思索など邪魔なだけだ、特に家庭をもち家族を支えるとなると頭の物置の片隅に追いやられ、そんなこと考えたことも無かったかのようにほこりをかぶっていつの間にか忘れ去られる。

信念、志、夢などの言葉で自己を奮い立たせて世の人々は進んでいく、自らを振り返ってもその通り。

 

50歳から75歳までの25年間は林住期と呼ばれ、競争社会から一旦退いて生きる本質を問う年齢だと言われているが、平均寿命の伸びた今では50歳は少し早いかもしれない、60歳から85歳が妥当かもしれないが、いずれにしてもその時期の真っ只中に入っている我が身としては事業家が好んで使う言葉に信念、志のテーマを考えてしまう。

 

ただこのテーマ一筋縄ではいかない、子供にこんなことを下手に教えようにも極めて不適切だし、難しい。そこで過去の名作の登場だ、フィッツジェラルドのザ・グレート・ギャツビーがその任に耐える一冊であるだろうと密かに考えている。

 

「ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく陶酔に満ちた未来を。」この最後のフレーズは美しいが同時に陶酔を覚ます重要性も教えてくれる。

 

ギャツビーは緑の灯火(志であり同時に緑はアメリカ紙幣の色でその暗喩と2面性をもつ)を信じてデイジーへの愛(つまり志や夢)を手に入れようとする。しかし小説ではギャツビーの思いの中のデイジー(つまり志や夢)とリアルなデイジー(金への欲望)との大きなギャップが描かれ、思いの中のデイジーを庇ったために殺される。

 

思いの中の志が現実の志に殺されるという結末を迎える。事業家が好んで使う信念や志というもっともらしい言葉に騙されてはいけない、どこか嘘くさいという感覚を持たないといけないのだがザ・グレート・ギャツビーはそのことを教えとしてではなく深く教えてくれる。 

 

かつての温もりを持った世界が既に失われてしまったことを、彼は悟っていたに違いない。たった一つの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感していたはずだ。

彼は威嚇的な木の葉越しに、見慣れぬ空をみあげたことだろう。そしてバラというものがどれほどグロテスクなものであるかを知り、生えそろっていない芝生にとって太陽の光がどれほど荒々しいものであるかを知って、ひとつ身震いしたことだろう。その新しい世界にあってはすべての中身が空疎であり、哀れな亡霊たちが空気のかわりに夢を呼吸し、たまさかの身としてあたりをさすらっていた・・・P291

 

「彼らの目にはおそらく、この島は緑なす乳房として映じたのであろう。・・・人類すべてにとって最後の、そして比類なき夢に向けて、甘い言葉をさやかにささやきかけていたのだ。束の間の恍惚のひととき、人はこの大陸の存在を眼前にして思わず息を呑んだに違いない。審美的な瞑想のなかに引きずりこまれ、みずからの能力の及ぶ限りの驚嘆を持って、その何かと彼らは正面から向かい合ったのだ。二度と巡り来ぬ歴史のひとこまとして。P325

 

その夢がもう彼の背後に、あの都市の枠外に広がる茫漠たる人知れぬ場所に・・・移ろい去ってしまったことが、」ギャツビーにはわからなかったのだ。P325

 

ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく陶酔に満ちた未来を。それはあのときわれわれの手からすり抜けていった。・・・だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながら。P326

緑の灯火、このテーマは奥が深い。

 

 

 

レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」村上春樹訳を読んで気に入ったフレーズ、気になる台詞を抜き出し感想をメモする。

 

なんとも思っていないと言うのは嘘ではなかった。私は星と星とのあいだの空間のように、虚ろで空っぽだった。家に戻ると強い酒を作り、居間の開いた窓のそばに行って、それをちびちび飲んだ。ローレルキャニオン大通りを行きかう車がたてる地鳴りに耳をすませ、怒れる大都市が丘の斜面に投げかけるぎらぎらとした光を眺めた。

 

犯罪に満ちた夜のなかで、人々は死んでいく。・・・都市は豊かで活気に満ち、誇りを抱いている。その一方で都市は失われ、叩きのめされ、どこまでも空っぽだ。人がそこでどのような位置を占め、どれほどの成果を手にしているかで、その相貌は一変する。私には手にするものもなく、またとくに何かを求めているのでもなかった。酒を飲んでしまうと、ベッドに入った。 p428

 

当時のアメリカ社会(もちろん現代にも通じるが)への批評が随所に比喩を伴って表れる。スコッチでしか癒せないようなどこか救いのない虚無と崩壊を食い止めるささやかな、しかし非常に大切な「プライド」が読後に残る。ワインは友好の酒、ウィスキーは孤独をいやす酒だと言われるがこの小説を読むとリアルに実感できる。

 

「あんたにはさよならを言うべき友達がいた」と彼は言った。「彼のために監獄にぶち込まれてもいいと思えるほどの友だちがね」 P111

 

この友人テリーに対する共感と友情、そしてやがて訪れる失望と長い別れ「ロング・グッドバイ」の物語を象徴する台詞。

 

さよならをいうとは死に挑んで別れをいうことで、死に挑んで別れをいうほどの友人を作れるかどうか、それがこの男の大問題なのだ。つまり生きることの意味なのだと。

さよならを言うことは少し死ぬことだとのセリフと合わせてみると、この小説のテーマであることが理解できる。死に挑んで別れをいうべき友人が3人いれば、そのうち一人が死ねば3分の1死ぬという意味だろう。

 

小説のような安っぽい友情とギャングのメンデスにからかわれるようなテリーに対するうぶな友情が何故芽生えたのかの詳しい説明はない。頬の傷に大戦の暗い影があり、大金持ちで背後に犯罪組織の闇があり、アルコール中毒であり、しかしどこか品位を失わない男に対してひととき午後の5時過ぎに近所の酒場でギムレットを楽しむ二人だが、特に決定的にそれほどの友情をはぐくむ出来事の描写や心理の説明はない。

 

「なぜか友情をもった」これが仮説であり、その結果としての長編物語が続くことになる。村上春樹が訳者解説でこのあたりのことを詳しく書いている。かれは若い時に「こんな書き方があるのか」と感動したとある。

 

「ザ・グレートギャツビー」でもニックがギャツビーに関心をもつ理由の説明や台詞はなく、ギャツビーが追い求める女は読者に魅力を感じさせない。(つまり明示的に説明しない)

 

①女は駐車係に、ぐさりと刺さって背中から少なくとも十センチは突き出そうな視線を投げた。p8

 

この女性シルビア・レノックスはテリー・レノックスの妻で、大金持ちのハーラン・ポッターの娘であり、親譲りの財産をもつ度し難い美貌の淫乱女として描かれる。

 

アイリーン・ウェイドからテリー・レノックスとロジャー・ウェイドを奪った女でこの物語の3件の殺人(この女が殺されることも含めて)はこの女をめぐって起こるので重要な役どころなのだが、何故テリーがこの女と2度の結婚までするのか、つまりどこに魅かれたのかの説明は次の台詞に表れている。

 

救いようもなく自堕落な女なんだ。でも僕はひょっとして、随分遠まわしにではあるけれども彼女に好意を持っているかもしれない。p40

 

②彼女の舌の上では今や、一匙のアイスクリームだって溶けずに残りそうである。p9

 

①と同じ女シルビア・レノックスの描写。この女の冷酷さ、酷薄さが強調されるほどテリーの絶望が一層際立つ。この種の女に絶望している男が魅かれるのは女もある種の絶望(他人のもちものを欲しがる以外には欲望が沸かない)にあるから。マーローも同じ血をもつシルビアの妹から結婚を持ちかけられるがかろうじて踏みとどまる。マーローはアイリーン・ウェイドとも関係をもつ直前までいくが、男に覗かれていることで止まれる。

 

マーローもテリーも類似の女に魅かれることから深いところで似た者同士だと分かる。しかしマーローは踏みとどまって崩壊までにはいたらない。この踏みとどまりの理由はプライドという極めて漠然としたものであるとしか読者にはわからない。背景にキリスト教信仰があるようにもみえない。生活上の美学とでも呼びたいものがマーローを律している。

 

「カラマーゾフの兄弟」にもアリョーシャの同僚から信仰がなくても人類は倫理観をもって生きていけるとの台詞がはかれるがマーローの思いもそれに近いがそんなマーローはやはりどこかせつない。

 

④ボクシングで言えば、人はなるたけクリンチに逃げて、いざというときのために力を蓄えて置かなくっちゃ p11 

 

これも駐車場係の得意げに語る人生哲学の台詞。マーローの要領の悪い生き方に教訓を垂れる俗物の台詞。

 

マーローの大人になりきれないパーソナリティーが刺激され、「そうやってここまでのし上がったわけだ」と俗物駐車上係に強烈な嫌味を浴びせる。

 

この作品は大金持ちや政治家、警官さらには駐車係に代表されるやや俗物だが「普通」の人々と、決して「普通」になりきれないマーローの泥まみれの戦いを描いている。作者はこの普通になりきれないマーローのプライドに神なき時代の神を求めている。

 

⑧君はぜんぜん別の場所に行くんだ。そこではあらゆる色が少しずつ淡くなり、ある種の音が少しずつ静かになる。それに慣れなくちゃならない。・・・これまでよく知っていた人たちがみんな、少しずつ妙な感じに見え始める。君には彼らのおおかたが気に入らなくなるだろうし、むこうだって君の事をよくは思わないだろう p20

 

作者のレイモンドチャンドラーもアルコール依存症で苦しんだ経験をもつ。色と音それに対人関係の変化の表現、アルコール依存症の経験者でないと書けないリアルな描写。

 

没落する貴族、落剥する未亡人、アルコール依存症に落ち込んでいく人々、過酷な戦時体験で精神を壊されてしまった帰還兵たちの滅びのなかに落ち込んでいく過程には一抹の快楽もあると作中の作家ロジャー・ウェイド に言わせているが、この一抹の快楽を伴う酩酊中の快楽がまさに色あせていくことのつらさを経てこそプライドが保てる。

 

⑨僕のプライドは、それ以外になにも持ち合わせない人間のプライドなんだ。p23

 

このプライドとは、テリーがかつて愛した女であるアイリーン・ウェイドを殺人容疑から守って自分が身代わりになることを指しているのだが、テリーの高価な豚革のスーツケース(アイリーン・ウェイドからもらったことが示唆されている)を質にいれないというこだわりにもプライドが潜む。しかし彼のプライドの源泉は人生で一回きりの離れ技で焼ききれてしまったかのよう。

 

僕のような人間は、生涯に一度だけ晴れがましい瞬間をもつ。空中ブランコで、完璧な離れ業をやってのける。p41

 

この固執するプライドにマーローは心の奥で共鳴し、テリーのために危ない橋を渡る。プライドはこうしたギリギリの局面でこそ、よく表現され得る。マーローが共感するのも彼自らがいがらい都会の中でぎりぎりのプライドでなんとか安定を保っているからであり、だからこそテリーと共感できた。マーローのぎりぎりのプライドは拘置所にぶち込まれてもテリーを守ると言う点にあらわれる。

 

⑩しかし何はともあれテリー・レノックスは彼なりの原則をまもって生きているのだ。それがどんな原則であれ。p24

 

またしてもテリーの原則とプライド。テリーは最後にまたしても周到な計画の元に生き延びようとする。滅びに任せているようでどっこいしぶとく生き残ろうとするどんでん返し。この小説の凄いところは人間の奥深く存在する無明(生きようとする煩悩)を描いているところだ。

 

⑭本気で何かを欲しがることなど連中にはないんだ。他人の奥さんを別にすればね。 p36

 

マーローもリンダ・ローリングと関係をもち、ロジャーウェイドもシルヴィア・レノックスと、そしてチャンドラー自身も18歳年上のシシ―と結婚している。いずれも人妻だ。

 

なんでも手に入る金持ちの男が最後に求めるものが他人の奥さんだという。これって旧約聖書の十戎にもあり、仏教の五戒にもある。

 

 旧約聖書ただしカトリック教会・ルーテル教会の採用するもの

1わたしのほかに神があってはならない。
2あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4あなたの父母を敬え。
5殺してはならない。
6姦淫してはならない。
7盗んではならない。
8隣人に関して偽証してはならない。
9隣人の妻を欲してはならない。
10隣人の財産を欲してはならない。

 

5から10に注目すると快楽と結びついていることがわかる。5がなぜ快樂か。カラマーゾフの兄弟を読めば納得できる。

 

そして5から10のすべての罪悪を備えているのは他人の奥さんを欲しがることだとわかる。5から10はなんと不飲酒戒を省けば仏教の在家の五戒と重なる。

1不殺生戒

2不偸盗戒
3不邪淫戒
4不妄語戒
5不飲酒戒


気になるフレーズ

以下、気になるフレーズを書き記してみた。作者は

愚かしい直喩。こいつは小説家の業だ。p318

といいながらも直喩を多用する。冷静な自己分析の眼も持っているが小説家の業と言い切っているところがすごい。

 

波のうねりは、賛美歌を歌う老女のごとくやさしい。 P61

目は汚れた氷のようだ。p76

私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人とおなじくらい珍しい。p136

彼女は何かをウェイターに告げた。彼は前屈みに急ぎ足で去って行った。重大な使命を与えられた密使のように。p141

あるポイントを越えれば、危険の度合いに差はなくなるといったのは誰でしたっけ? p147

夏の雲を描くときに使う刷毛を思わせる声だった。p150

ボクシングよりも・・・ダンス教室の教師でもしているほうがお似合いだ。p157

転寝をしているおばあさんだって起こせないようなへなちょこパンチばかりだ。

コマーシャルときたら、鉄条網とビール瓶の破片を餌に育てられた山羊たちでさえ、身体を壊してしまいそうな代物だった。p158

この事件はすでに片がついて、はんこが押されて、防虫剤とともに押し入れに仕舞い込まれた。p159

彼女の視線は鋼鉄のようで、その鋭い視線はヒップポケットのなかの金額まで勘定できそうだった。p177

君のような安物探偵は、トスカニーニから見たオルガン弾きの猿のようなものだ p180

錬鉄職人のアンダーパンツほどの魅力だってもっちゃいない p181

両方の眉毛をぎゅっと派手に持ち上げた。ブラシ会社のセールスマンなら、その眉毛にひきつけられた事だろう p193

世間的に成功した人々の多くは、頭脳明晰という地点からはほど遠いところにいる。 p216

この男なら象の後ろ脚だってもぎとれるはずだ。p242

運転手はまるで宝石箱のふたを下すみたいにうやうやしくドアを閉めた。 p265

元気の良い樫の木は見事に葉を繁らせ、どんな人間が通りかかっているのか見届けてやろうと道路に向かって身を乗り出している。・・・雀にしか価値を見いだせないなにかをつついている。p268

崩れかけた肺のような容貌をしていた。p284

世間の多くの人々は、自分のエネルギーの半ば近くを、もともとありもしない威厳を護ることに費やしつつ、汲々と人生を送っているのです p295

あなたには蚤の糞ひとつかみほどの値打ちもない p303

次々に登場する新手の機械にふり回されている我らが時代の人間は、電話を愛し、呪詛し、そしてまた恐れる p313

 


飲めるだけ飲むと、やがて部屋に霞がかかった。すべての家具が間違った場所に置かれているみたいに見えた p334

こいつを前にしたら、賑やかなワライカワセミでさえ気を落として、死を悼む鳩のようにくうくうと痛切に啼くに違いない p356

昆虫学者がカブトムシをみるときのような目つきだった p358

痛烈な灰色の視線で私を切り刻んだ p360

その事件はもう終わったんだ。蓋を閉じられ、鍵をかけられ、重しつきで海の底にどぼんと沈められたんだ p375

彼女はカスタードのように物静かだった p404

途中で寄り道して花を摘んだりするなよ p417

彼が不在なら、彼の馬を電話に出してもらうとよい p419

でかい金はすなわちでかい権力であり、でかい権力は必ず濫用される。それがシステムというものだ。そのシステムは今ある選択肢のなかでは、いちばんましなものかもしれない。しかしそれでも石鹸の広告のようにしみひとつないとはいかない p433

私はロマンティックなんだよ、バーニー。

中略 そんなことをやっても一文にもならない。君ならそんなことはしないだろう。だから君は優秀な警官であり、私はしがない私立探偵なんだ。 P438

彼はとても長い影を落としている。P445

いいとも。君の気に入らないことをしたら、市街電車を背負ってサンタカタりーナ島まで泳ぐ羽目になるんだろう。 P446

穏やかな形で頭をおかしくするにはもってこいの方法だ。声を上げて泣き叫ばずとも、きわめてそれに近いところまでは行ける。P449

ルームサービスのウエイターが飲み物をもって中に入ってきた。そして7品のコース・ディナーを並べるみたいに仰々しくそれを置いた。 P455

その声には明るく澄んだ空虚さがあった。時刻を案内する電話局の機械的な声に似ている。 P475

霞のかかった月が我関せずという顔で浮かんでいた。P497

人生でもっとも切ないのは、美しいものごとが若いうちに命脈を立たれることではなく、年老いて穢れていくことなのです。 P515

コーヒーは幾度ものお勤めで疲弊気味だったし、サンドイッチには細かくちぎられた古いシャツのような深い味わいがあった。 P517

とても興奮したように見えた。安物の葬式で張り切っている葬儀屋みたいに。 P517

月光に照らされた日干し煉瓦の壁のようにひっそりとした男だった。P540

組織犯罪は強い力をもつアメリカ・ドルの汚い側面なんだよ。 P552

さよならをいうのは、少しだけ死ぬことだ。 P571

そのあと、事件に関係した人間には誰にもあっていない。警官は別だ。警官にさよならを言う方法はまだみつかっていない。 P594

 

僕の読み取れない崩した字体でもなんとか読み取っているのがすごい。いや驚きました。

 

以下 Gemini の回答です。

 

 

国木田独歩の『欺かざるの記』(あざむかざるのき)の一部。

 

【右ページ】

手告

雨、雨、雨。北海道移住は、農民等を挙げての独主

独行せしめたいとの希望であったのだ。

其のために、然るべきことも数日前、前収二は

国民新聞社より一通の三葉の折込を解きぬ。

北海道由良、勇、平、剛、章

拓殖日誌……

【左ページ】

なり。北海道移住のことは名主は辞した。

午後、在を本三、二、三等の家を訪問しては、内泊する

ことにした。

一毎をば、病し、折角なるを、と辞し、近年益々

独立自由の生活に慎むに至りぬ。

雇わるる者に非ず。独立の民として、作、栽、をなすときも

……


こちらは石川啄木の小説『雲は天才である』の草稿です。先ほどの独歩の手稿とは打って変わって、非常に几帳面で整った、美しい楷書体が印象的です。

この作品は、啄木が代用教員として岩手県の渋民尋常高等小学校に赴任していた頃の経験をもとに書かれたものです。


翻刻(冒頭部分)

雲は天才である

石川啄木

(一)

六月三十日、S村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて元気のよい振子をあげて、一、二、三、と学校教師の単調なる生活に、正しく此時計までが……


読みどころと背景

この草稿には、啄木の性格や当時の状況がよく表れています。

  • 推敲の跡: 文章の横に細かく書き込みがあったり、言葉を入れ替えたりした跡が見えます。例えば、「午後三時を報じた」という記述の周辺にも、時間の経過や情景をより正確に伝えようとする苦心が伺えます。

  • 「単調なる生活」: 翻刻した部分にもある通り、啄木はこの作品を通じて、田舎の小学校教師という型にはまった生活への倦怠感や、そこから抜け出したいという知的な欲求、そして空に浮かぶ「雲」のような自由な存在への憧れを綴っています。