仏教の知識もないままに 
氷艶2019の第十一場、帝の葬儀の場面の仏像について考えてみました。
衣装や背景と同じく、陰陽五行の五色のカラーからアプローチしてみようと思います。
 
 
こちらの本尊は不動明王。
平安京の遷都の際に都の守りとするために、四神相応の色と合わせて配置した「五色不動」の伝説がありますが、そのうちの青不動と考えました。
青不動といえば青蓮院の国宝青不動明王の仏画が有名です。
 
<国宝青不動明王>
 
こちらは近年制作された複製画
 
平安当初、宮中から青蓮院に下賜されたものですが、同じく下賜されたものでは山梨県の大聖寺の不動明王像があります。
 
<大聖寺 不動明王像>
 
もとの彩色は青不動像であったとされています。
 
青蓮院、大聖寺ともに不動明王像の髪は莎髻(頭頂にある小さい髷)に 、右に弁髪です。
 
 
氷艶の仏像は弁髪こそ見られませんが莎髻と思われます。 
 
 
そして光背は火焔光背のうちの迦楼羅炎。
<迦楼羅炎>
 
莎髻と迦楼羅炎は不動明王像のみに見られるものです。
通常は右手に剣、左手に羂索を持っていますが、スクリーンの画像では確認できません。
 
青蓮院と大聖寺の不動明王は顔の表情に違いがあります。
青蓮院の仏画は天地眼(右目は天、左目は地に向ける)、口は牙上下出(右の牙を上、左の牙を下に出す)
天地眼と牙上下出は平安中期以降の作に見られます 。
 
 
大聖寺の仏像は両眼を大きく見開き唇の両端に牙を出しています。
 
 
これは平安中期以前の特徴です。
氷艶の仏像は大聖寺のものと同じく平安中期以前の表情の形を踏襲しています。
 
 
制作された時代は、大聖寺の仏像が9世紀作、青蓮寺の仏画が11世紀作です。年代から考えても、氷艶では大聖寺の仏像のほうに倣ったのでしょう。
これから述べる内容は青蓮院の仏画についてですが、同時期に宮中に存在したものとして氷艶では象徴的に描かれたのだと思います。
 
五色不動の「五色」とは、青・黄・赤・白・黒のこと。
四神相応の四神を表す色と同じです。
青蓮院のサイトによると、青不動は五色の中で最上位にあり中央に位置するとのことです。
四神では中央は黄、青は東でした。 
青が中央とされるのは「五大」説です。
四神相応は中国の「五行」思想に基づきますが、「五大」説はインド哲学に源流があります。
五行においては、土を表す黄色が中央であり、五大説においては空を表す青色は別格であるとされています。
日本では空海が五大説を提唱しており、密教系の天台宗である青蓮院では五大説に基づいて青不動を不動明王中の最上級としたのでしょう。
 
<五行思想>
<五大説>
*五輪塔は方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表す。
 
ここで重要なのは青不動が平安後期まで宮中で祀られていたということです。
四神と合わせた五色の守りとして、五色不動を五大説に基づいて配置したのであれば、平安京の中心である平安宮に置かれることは当然の帰結でしょう。
氷艶の葬儀の場面は「宮廷の広間」とされてますので、スクリーンに青不動が描かれたことは、これもまた劇中の平安京にかけられる呪(しゅ)のうちの一つではないでしょうか?
その後、宮中から青蓮院に下賜されますが、青蓮院の所在地は東山、四神での青=青龍が守護する東です。
 
 
また近年、東山山頂付近に建立された青蓮院「将軍塚青龍殿」に国宝青不動明王の仏画が安置されました
この青龍殿の建つ「将軍塚」は、平安遷都の際に王城鎮護を祈願して武将の像を埋めたことが語源で、都の守りの重要な地です。
 
 
五大説に基づき都の中央に配置された「青」不動が、その後五行思想の東の地に収まる。
偶然であるのか必然であったのか。
いずれにせよ、源氏物語の時代に宮中で青不動が祀られていた事実があり、「青」は五行説と五大説に共通する五色のうちのひとつであること。五大説では中央の位置に該当するため平安京の中心、平安宮に配置されたこと。平安後期には五行説の青の方角「東」に下賜されたこと。そして時を経た現代で、都を外敵から守る要の地の「青龍殿」に安置されたこと。
teamLabが 青不動を採用した理由はここにあるように思います。
 


次回は葬儀の宗派と経文の謎について考察してみます。