「……ニー、アンソニー!」

「……う……あ、げほっ」

「よかった、目を覚ましたか。俺が誰だか分かるか」

「……キャプテン、一体、どうなったんすか」

 アンソニーと呼びかけられた大柄な青年は体を起こす。よく日に焼け、がっしりとしたいかにも船乗りといった体格である。一方彼を助けたキャプテンと呼ばれた男は、細身で色白、しかしアゴには立派なヒゲを生やし、それなりに貫禄のある顔つきをしている。

「わからん。他のクルーも見当たらん。生き残ったのは我々だけなのかも知れん」

「確か、私掠船と戦闘になって」

「うむ、なんとか撃退はしたが、その直後嵐に巻き込まれた。大砲を食らっていたのが致命的だったな」

「じゃあ、オーベルジーヌ号は」

「うむ、沈んだ」

「そうか、そうだ、確か、俺は手近にあった樽を抱えて……」

「お前は大したものだな。泳ぎながら樽と破片でイカダを組み立てちまったんだから。さらに、溺れかけていた俺も引き上げてくれた」

「ウチ、漁師でしたから。でもキャプテン助けたとかはあんまり覚えてないっす」

「無我夢中だったんだろうな。お前は意識を失っちまったが、まあともかくこうして生きながらえ、偶然とは言え上陸できたってわけだ」

「どこなんでしょうね、ここ」

 二人が座って会話をしているのは、波の穏やかな砂浜。少し離れて彼らが乗ってきた即席のイカダが漂着している。

「ケガがないようなら、ともかく周辺を探索してみるべきだな」

「ウワサに聞いた、人食い族なんてのはまさかいないでしょうね」

「さあな、ちゃんと話の通じる人間が住んでいれば幸いだが」

「――キャ!」

 突然、甲高い叫び声が背後から聞こえたため、二人はぎょっとして振り返る。深い茂みの中に、小柄な少女が立ちすくんでいた。その顔立ち、髪や目の色は彼らとは明らかにちがってはいるものの、浮かんでいる表情は容易に読み取れた。つまり、恐怖だ。

「……人だ」

「……人っすね」

 ボソボソと間の抜けた会話をする。彼らにしても突然の遭遇にどうしていいか分からなかったが、自分たちが襲われる危険はなさそうだ、という安心から判断を間違えた。アンソニーの方が、近寄ろうといきなり立ち上がってしまったのだ。

「アーッ! オ、オニッ!」

「あ、ま、待って!」

 ただでさえ大柄な彼が急に立ち上がったことで、彼女はよく分からない叫び声を上げ、逃げ出しにかかった。大声で呼びとめ、追いかけようとしたのも逆効果で、あっという間に彼女は視界から消え去ってしまった。

「――驚かせてしまったな。どうやら近くに人里がありそうだが、友好的に迎え入れてもらえる望みは薄そうだ、な」

「すんません、キャプテン、俺、人見てつい安心しちまって」

「まあ過ぎたことを言っても仕方あるまい。それより、身を隠せる場所を探そう。あの女の子が仲間に知らせて、大勢して襲ってくる可能性だってある」

 そうして、二人は探し出した天然の洞穴を拠点に生活を始めた。漁師出身のアンソニーが海で魚を獲り、その日その日をなんとか食べ繋ぐだけの糧を得ることはできた。一方、キャプテンは何度か人里に降り助けを求めようと意思疎通を試みた。しかし案の定言葉は全く通じず、彼らを怯えさせるだけの結果に終わってしまった。
 季節は晩秋で、生活を始めた当初より次第に、しかし確実に寒さが厳しくなりつつあった。


「キャプテン、顔色悪いっすよ。大丈夫すか」

「ゴホ、ゴホ、ああ、ちょっと風邪気味なだけさ。寝てれば治る」

「夜になったらまたあの村からニワトリ盗んできます。栄養つけてください」

「やめろ、これ以上彼らに憎まれてはいかん。今は怯えてるが、本気になったら我々を『狩り』にくる」

「同じ人間だってのに、言葉もわかんねえし、寂しいっすね」

「ああ、彼らも穏やかに畑を耕し、生活している――我々の故郷となんら変わらんな」

 懐かしそうに、遠い目をした直後、激しく咳き込みだした彼の背をアンソニーはさする。

「ああ、キャプテン、寝ててください。うまい魚獲ってきますから! 待っててくださいね」

「ああ、頼りにしてるぜ」

 数日経っても彼の体調は改善せず、顔色もいよいよ青ざめていった。ある日、アンソニーが食料を洞窟に持ち帰ると、寝たきりのはずの彼の姿はなかった。慌てて周囲を探すが見つからず、そして気づいたのは洞窟の地面に書かれた彼のメッセージであった。

”我慢も限界だ。俺は女を抱きにいく”

「キャプテン……な、なんて事を!」

 洞窟を飛び出し、村に急ぐアンソニー。そしてたどり着いたとき彼が目にしたものは。
「キャー!」

「オニ! オニガ!」

「うおおおお! 女! 女!」

 逃げ惑う人々、髪を振り乱して木の棒を振り回すキャプテン。その片腕には悲鳴を上げる若い娘が抱えられている。アンソニーは慌てて彼を取り押さえようと、後ろから羽交い絞めのように抱える。病人とは思えない、凄まじい力であった。

「やめて下さいキャプテン! 村人を刺激するなって言ったじゃないっすか!」

「もうウンザリだ! お前だってそうだろう!」

「お願いですからやめて下さい! 洞窟に戻りましょう!」

「嫌だね! 俺はこの女を抱く! なんならお前にも回してやろうか!」

 病気のために錯乱していると判断したアンソニーは、仕方なく彼を思い切り殴りつける。

「すんません、キャプテン!」

「グウッ!」

 ぐったりと力を失った彼から娘を解放して逃がしてやると、村人からわっと歓声が上がった。

「……どうやら、上手くいったようだな」

 その場に仰向けに倒れた男から、理性的な声が漏れる。

「キャプテン? 大丈夫すか!」

「……そのままで聞け。どうせ俺はもう長くはなさそうだからな。一芝居打ったんだ」

「え、し、芝居!?」

「お前はまだ若いし、力もある。そして、悪い『オニ』から村を救った英雄になった」

「俺が、英雄?」

「いいか、俺の後を絶対に追うな。彼らに、お前が俺を追い払ったと思わせるんだ」

 そう吐き出すように言うと、彼はヨロヨロと起き上がり、その場を離れはじめる。思わず彼を追おうとするアンソニー。

「キャプテン!」

「来るな! 俺は、また海に出る! 船乗りだからな!」

 木の棒を杖がわりに、夕日の沈みつつある海岸の方へと歩いていく男。アンソニーは呆然と立ち尽くすばかりであった。その彼の傍に、恐る恐るといった様子で子ども――最初に海岸で出会った少女だ――が歩み寄る。

「ネエ、イイ、オニサン、アリガトウ」

 わからない言葉ながら、感謝の気持ちが伝わってきた。振り返ると未だ怯え半分といった風ではあるが、明らかに今までとは違う、村人たちの暖かい雰囲気があった。

「俺は『イイ オニサン』なんかじゃないよ……」

 キャプテンを犠牲にしてしまうことより、久々に感じた、大勢の人たちに受け入れられる喜びを選択してしまった。彼の頬を伝うのは、自責の涙か、それとも安堵の涙か。


 一方海岸では、波打ち際までイカダを引きずり、その上に身を投げ出した男。やがて満ちた潮がそのイカダをさらい、海へと招きよせる。

「悪くない。元からあいつに助けられた命だしな」

 水平線にかろうじて残っていた夕日を目に刻みつけ、彼は目を閉じる。

 ゆらり、ゆらり。イカダはゆったりと彼を運んでいく。

(おわり)