単に「九十九折」という言葉を使ってみたかっただけ。所要時間1:20

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言葉の九十九折(つづらおり)に溢れた原稿用紙の束をドサリと机に投げ、佐上(サガミ)先生はひどく疲れたといった様子で眉根を揉むのだ。先生に向かって座るのはまだ若い学生といった風の青年、押しかけ弟子のように自作を持ち込んで評価を乞うているという図である。先生は全国紙の新聞の連載小説も手がけたことのある有名作家でもあり、多忙な身ではあるが、この青年を邪険にできない理由があるのだった。
と、いうのも先生が住んでいるのはその高名さからは想像も付かない安アパートで、若いころから(名が売れる前、貧窮に困しいた時代から)厄介になっている部屋。今でこそ家賃はきっちり振り込んでいるものの、かつては何ヶ月も滞納しているのを待ってもらった上飯までたかり、餓死を免れていたという大家、その息子が大学を卒業しても定職に就かず、作家志願と言っては先生に原稿を見せに来ている、というわけなのだ。
一宿一飯の恩、などという言葉があるが、先生に言わせれば「百宿百飯以上の恩」というわけで、目の前の青年が件のドラ息子であるが、見所なし、と追い払うわけにもいかないのである。

かくいう私は佐上先生を担当としている某出版社の編集者で、今日も連載の打ち合わせに来たところを『先客がいるので少し待ってろ』とのことでことの成り行きを見守っている次第である。このようなことは、以前にも何度かあった。

「あー、伊澄(イスミ)くん、そのなんだ」

「ハイ、なんでしょう、先生!」

世間で謂う所のニートという存在に限りなく近いその彼は、佐上先生を師匠と仰いでその言葉をキラキラとした目で受け止める。先生にとってそのキラキラは眩しさを通り越してウンザリといった気配濃厚であるが当然伊澄青年が気づくべくもない。
この平行線の終止符を打つイニシアチブは先生側にあるのだが、先生も辛口の書評など書く一方でその実結構人がいい。個人としてはその人柄は好意に値するのだが、編集者としてはヤキモキせざるを得ないのだった。擬似(?)師弟の奇妙なやり取りが続く。

「この作品の主題はなんだろう」

「ハイ、先生がこの前『主題を明確に』とおっしゃいましたので、冒頭で主人公に叫ばせてみたのです」

「『戦争はよくない』デスネ」

「はい、その通りです!」

先生、どうやら喋り方からおかしくなってきている。先日彼の「前作」を拝読させて貰ったのだがこれが真に奇妙奇天烈な代物で、数千年後に発掘されたらさぞかし未来の考古学者たちを悩ませるに足るであろうという代物であった。よく言えば個性的、悪く言えば出来の悪い小学生の読書感想文のほうが数百倍マシだと思われた。そのような怪作が毎月のように数百枚の原稿用紙を費やして先生の下に届けられるのであった。
その生産力自体は、私の担当している他のある作家に比べ素晴らしいペースで、連載の厳しい納期に対応できるであろう才能と言えなくもない。頭脳は優秀なのだ。しかし自分と同門の大学卒であることにいささかの絶望感を覚えるのであった。

いかにやんわりと作家への道を諦めさせるかと思案に暮れている佐上先生を見るに見かね、ついついクチを出してしまった。

「あのう、伊澄君、ちょっとよろしいでしょうか」

「何?なんか用?」

伊澄青年の、先生以外の大人に対する態度は至極横柄だ。腹が立つのを押さえ、笑顔を続けられるようになったことに、自分の成長を実感する。その一方で情けなさを感じながら。

「『推敲』、という言葉があります。ご存知ですか?」

「漢文でやったことあるよ。詩で『推す』か『敲く』で迷って考える、って話だよね」

「おお、やっぱりご存知でしたか、さすがですね」

やはり「お勉強」はそれなりにちゃんとやってきているのだ。知っていて当然だろう。

「伊澄君、作家というものは、生み出した作品に対して、数ヶ月時間を置いてから推敲をするというのが普通なのですよ。特に、デビュー前の者なら尚更なのです」

「え、それホントなの?」

その瞬間、先生と私の間に目だけで会話が成立した。

「う、うむ、そうだな、私も若い頃は書いた作品を暫く寝かせたものさ」

「世の中に出て働いたりすることで、新しい視点で自分の作品を見つめたりできるようにもなるんですよ」

「そうそう、私もあえて執筆作業とは無縁の、建築現場などでも働いたものさ」

私もすかさずフォローする。尊敬する先生の証言(実際には作家業だけで食えず、滞納した家賃を払うために肉体労働をしていた時期がある)も得て、彼は少し考え込んだ様子であった。

「先生、僕、ちょっと社会経験積んだほうがいいでしょうか」

先生も私もパッと破顔してここぞとばかりに煽(オダ)てすかしてその気にさせたのは言うまでもない。その後、彼の押しかけ弟子は半年に一度、年に一度、と数を減らし、私は先生からずいぶん感謝されたものだ。

しかしその伊澄君、数年の後に見違えるほどの文体、内容で文壇デビューを果たし、時代の寵児として迎え入れられたのだから人間分からないものだ。

そしてかつて文学青年で、作家になることを諦め、それでも業界に携わりたいと編集の道を選んだ私は、その彼の担当となっている。

本当に人間とは分からないものだ。
(おわり)