母
昨年12月29日
師走の慌ただしい中、母が他界いたしました。
今年に入っての通夜、告別式にはたくさんの方にご参列いただき
本当に心から感謝致します。
ありがとうございました。
約半年前、母が背中の痛みを訴え町医者へ行きました。
直ぐに大きな病院へ行くように言われ色々な検査をしました。
病名は『肝細胞ガン』
既に癌は肺にも胆嚢にも転移し原発が何処なのかさえわからない様子でした。
私達姉弟だけが呼ばれ主治医より余命3ヶ月と告知されました。
主治医と話し合った結果、本人には病名だけ告知し治癒すると話してもらいました。
母は私に『病気の事は誰にも言うな』と言いました。
亡くなるまでの半年、母の言ったとおり病気の事は言いませんでした。
ですから沢山の方を驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
最初の入院はうちわ祭り前でしたが主治医の先生が
私には『最後のうちわ祭りですから』と言って退院させてくれました。
最後のうちわ祭り・・・
私はお祭りどころではない気持ちでいっぱいでした。
そんな私を見て看護師さんが教えてくれました。
『あなたのお母さんね、いろんな看護師さんに
「うちの娘は祭りバカで子供ほったらかしですっ飛んでいくんだよ~!だから私がいないとダメなんだよね・・・何が何でもお祭りまでには退院したいと先生に言っておくれ」
と言ってるよ。だからお母さんのためにもいつもどおりのお祭りにしてあげて』と・・
あんなに辛かったお祭りは後にも先にもないでしょう。
母は入院をとっても嫌がりました。
私達姉弟は出来る限り家で看ようと決めました。
12月に入って歩くのもままならない状態になってからは
昼間は義妹や母の友人が、夜間は私が・・というように24時間体制で
母を介助しました。
ご飯が全く食べられなくなってからは
毎日のように点滴に・・・
全く歩けなくなった時には弟たちが抱いて病院に連れて行きました。
亡くなる1週間前
主治医の先生に『いよいよ終末の時だよ・・そろそろ入院したほうがいいのでは』と言われました
私は『息を引き取るその時まで家に居させることは出来ませんか?』と聞きました。
すると先生は『わかったよ。それなら呼吸が止まったその時これを持って救急車に乗っておいで』と言って
【延命処置はしません】という内容の念書をくれました。
そして最期は家族全員が見守る中静かに息を引き取りました。
余命3ヶ月と言われたけど母は2倍も頑張りました。
先日お世話になった主治医の先生や看護師さん達に義妹と
お礼の挨拶に行ってきました。
先生には『改めて在宅看護の大切さを教わった気がするよ』と言われました。
徐々に前の慌ただしい生活に戻って来てますが
この半年間、変わっていく母の姿を見て
どうしようもない気持ちになった時
泣かないで笑っていられたのは
今私たちの周りにいる友人達のおかげと
心から感謝しています。
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
このようなこともブログに書いていいのか迷いましたが
みなさんの支えがあったからここまで来れたことを
伝えたいと思いました。
本当に本当にありがとうございました。
父の命日
昨晩は父の命日ということで実家に集合
義妹達とお料理は手分けしてのポトラックパーティー
私は鶏の唐揚げと豚角煮と海老グラタンとサーモンのマリネを差し入れ
今回はグラタンを土鍋で作ってみました
かなりの量が作れるし蓋はあるし冷めにくいし
持ち運びには最適かも
角煮も土鍋で
今年は土鍋が活躍しそう
子供達も成長するにあたってそれぞれに忙しくなってきたので
皆揃うのは久しぶり
何だか部屋が狭く感じるのは子供達の成長の表れでしょうか
実家で育った我が家の子供達は甥や姪と兄弟のように育ちました。
そのせいか4人揃うといつの間にか自然に寄り添ってます
こんな風景父親にも見せたかったな・・・
あれから15年
私も歳を取り、もうかなりの大人ですが
父親に会いたいです
お弁当
今朝の職人弁当はお手伝いの方の分と2人分
■グラタンコロッケ
■イカの磯部揚げ
■オクラの肉巻揚げ
■明太子焼き
■サバの照り焼き
■ウインナー
■卵焼き
■大根の葉と牛肉のしぐれ煮
■ほうれん草の胡麻和え
■ゴーヤの佃煮
■つぼ漬け
週末久しぶりに彩庵に行って来ました
娘が部員を連れて来るというのでキーちゃんに頼んで
ご飯を作ってもらいました
県大ベスト8を祝して鯛めしと
食べ盛りの球児のためにお肉料理
とっても美味しかったです
私たちは翌日野球の試合の為5時起き
アルコールを控えめに・・・ということでハイボールメガサイズ
大きくて重い~~~
そんなジョッキを持ち上げる力のない私を気遣って
キーちゃんがストローを挿してくれました
一本は余計だけど
途中AB睦君&MEIちゃんも無理やり呼び出され合流
わずかな時間でしたが久々に彩庵での飲みとなりました