中世には廃絶した古代寺院。付近はため池や田んぼが多い場所で、ここは丘になって一段高くなっています。河岸段丘でしょうか。

薬師寺式の伽藍で位置が復元され現地は公園に、隣接して展示施設があります。小野市は山間部の印象がありましたが、加古川を擁し河口や山陽道は近く、丹波経由で京都や山陰と行き来できる交通の要衝だったのでしょうか。加古川沿いには城趾があり江戸時代には陣屋が置かれました。

この廃寺の役割は、鎌倉時代以降は付近の浄土寺に移ったようです。浄土寺といえば東大寺の復興に動いた重源ゆかりのお寺です。