鈴木正信研究室(成城大学文芸学部)

鈴木正信研究室(成城大学文芸学部)

東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)(早稲田大学)。現在、成城大学文芸学部教授。専門は、日本古代史(氏族制度、地方支配制度、神話・伝承) 。

明治大学博物館で講演させていただきます。よろしくお願いいたします。
https://www.meiji.ac.jp/museum/company/tomonokai_event.html

<第30回古代史講演会>
「武蔵国造の乱をめぐる豪族と屯倉」
講師:鈴 木正 信氏(成城大学文芸学部教授)
日時:2026年6月26日(金) 14:00~15:30
会場:明治大学リバティタワー6F1065教室
参加費:無料(友の会限定、この機会に入会される方は参加可能)
定員:120名 (先着順)
申込方法: https://x.gd/2zwfFt

■講演要旨
 安閑元年(534)、関東地方で「武蔵国造の乱」が勃発しました。『日本書紀』には、笠原直使主と同族の小杵が武蔵国造(武蔵国を支配する地方官)の職をめぐって争ったこと、小杵は上野国の大豪族である上毛野君小熊と共謀して使主を殺害しようとしたこと、それに対して使主は朝廷へ出向いて状況を報告したこと、その結果、朝廷は小杵を討伐し、使主を初代の武蔵国造に任命したこと、そして使主が横渟・橘花・多氷・倉樔の屯倉(王権の直轄地)を朝廷に献上したことなどが伝えられています。
 かつて、この争乱は北武蔵の勢力と南武蔵の勢力の対立と理解されてきました。しかし、研究の進展にともない、近年では北武蔵の勢力内部の争いとする見方が有力になりつつあります。とくに使主が有した笠原直という氏姓(ウジ・カバネ)は、現在の埼玉県鴻巣市笠原に関連するとされ、その近くには武蔵国最大の古墳群である埼玉古墳群が所在することから、この争乱は埼玉古墳群の築造集団における本流(使主)と傍流(小杵)の争いであった可能性が指摘されています。 
 また、この記事に登場する4つの屯倉のうち、横渟屯倉は武蔵国横見郡(埼玉県吉見町)、橘花屯倉は橘樹郡(神奈川県川崎市)、多氷屯倉は多摩郡(東京都多摩地方)、倉樔屯倉は久良郡(神奈川県横浜市)に設置され、それぞれ入間川水系、鶴見川水系、多摩川水系、大岡川・帷子川水系を掌握する役割を担ったと推定されています。こうした河川交通を掌握することにより、武蔵国造の支配領域が画定されていったと考えられています。
 今回の講座では、この「武蔵国造の乱」を取り上げ、ヤマト王権の地方支配制度がどのように東日本へ展開していったのかについてお話しします。

2026年6月2日(火)の毎日新聞夕刊記事「美食地質学第37講 三輪山と王権祭祀 歴史と気候変動、つなぐ糸」で、巽好幸氏(神戸大学客員教授、マグマ学)が、拙著『古代豪族 大神氏』(筑摩書房、2023年)を紹介してくださっています。ありがとうございます。

 

毎日新聞「美食地質学第37講 三輪山と王権祭祀 歴史と気候変動、つなぐ糸」(ネットでは有料記事)

https://mainichi.jp/articles/20260602/dde/012/070/003000c

 

巽好幸『神と仏の人文地質学―地殻変動で解き明かす日本古代史―』(光文社、2025年)

https://books.kobunsha.com/book/b10154843.html

 

拙著『古代豪族 大神氏』(筑摩書房、2023年)

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480075352/

 

「狛江古墳群と高麗系渡来人―多氷屯倉との関係をめぐって―」(『日本常民文化紀要』第40号、pp.281-330、2026年3月)が刊行されました。狛江地域に早くから渡来系の人々が入り、多摩川水系上・中流域を掌握する多氷屯倉の経営の一端を担っていた可能性を論じました。ご笑覧いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 

拙稿「ヤマト政権の地方支配制度―国造制・部民制・屯倉制」

(『山川歴史PRESS』第31号、pp.1-5、2026年4月)が刊行されました。

 

『山川歴史PRESS』第31号

https://www.yamakawa.co.jp/yhp/

 

『山川歴史PRESS』は、中学校・高等学校の先生方向けの教育情報誌です。

拙稿では、最近の研究を踏まえて、国造制・部民制・屯倉制について解説しました。

 

ご笑覧いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

 

篠川賢・大川原竜一・鈴木正信編『国造制・屯倉制の研究』(八木書店)が刊行されました。

 

拙稿「安閑朝における屯倉設置の史実性—津田・原島両説の検証を踏まえて—」も所収されています。

 

『国造制の研究』(2013年)、『国造制・部民制の研究』(2017年)に続く3冊目の共同研究の成果で、科研の成果でもあります。

 

執筆者の方々のご尽力により、大変充実した内容になりました。よろしくお願いいたします。

 

https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2497

 

・・・

 

はしがき◉篠川 賢

 

【論考編】

第Ⅰ部 国造制・屯倉制の成立と展開

1 ミヤケと国造制◉篠川 賢

2 ミヤケの本質と歴史的意義◉大川原竜一

3 安閑朝における屯倉設置の史実性—津田・原島両説の検証を踏まえて—◉鈴木正信

4 木簡にみえる屯倉◉亀谷弘明

5 ミヤケと評制に関するノート—倭王権の視点から—◉堀川 徹

6 大化前代地域経営拠点論序説◉渡部敦寛

〔コラム〕 古代の馬匹生産と国造・屯倉◉河野保博

 

第Ⅱ部 国造制・屯倉制と地域社会

1 稚贄屯倉の成立◉三舟隆之

2 播磨国「縮見屯倉」からみるミヤケの一側面◉中村友一

3 筑紫国造とミヤケ◉酒井芳司

4 三宅神社とミヤケの関係—越後国古志郡三宅神社の検討—◉宮永(片桐)廣美

5 倭王権の東北進出と国造◉永田 一

6 特別史跡・ユネスコ「世界の記憶」にみるミヤケ—山上碑・金7 茨田堤・茨田屯倉と茨田氏◉溝口優樹

〔コラム〕 伊甚屯倉設置の前史◉小川宏和

 

第Ⅲ部 考古学からみた国造制・屯倉制

1 大和国のミヤケ◉清水康二

2 ミヤケをつなぐ道◉小嶋 篤

3 相模のミヤケ関係氏族と鼬川水系の一様相—河内と相模地方との関係も視野に—◉須藤智夫

4 削平された古墳群—橘花屯倉から橘花評へ—◉栗田一生

5 古墳時代後期集落の様相とミヤケ—橘花屯倉を集落跡から模索する—◉東 真江

6 横穴式石室からみた関東地方の社会集団とその特質—国造制・屯倉制に接近するために—◉荒井啓汰

7 福岡県岩戸山古墳= 磐井墓説の学史整理と展望◉小森哲也

 

【史料編】

1 屯倉制関係文献目録◉大川原竜一・永田 一編

2 屯倉制関係史料集◉鈴木正信・宮永(片桐)廣美・東 真江編

3 ミヤケ・ミヤケ関係地名・ミヤケ人・ミヤケ氏(有姓・無姓)一覧◉加藤謙吉編

 

あとがき◉大川原竜一・鈴木正信

成城学びの森コミュニティー・カレッジ秋冬講座で、「古代豪族大神氏の謎 ~飛鳥・奈良時代編~」を担当します。よろしくお願いいたします。

 

講座概要

 

学びの森チラシ

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://ssl.smart-academy.net/seijo/pamphlet_pdf/extension.pdf

 

 

 

 

早稲田大学エクステンションセンター中野キャンパスで、講座「ヤマト王権の神話と系図~国宝『海部氏系図』を読み解く~」を担当します。よろしくお願いいたします。
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/66725/

※ただいま期間限定の「秋の入会金無料キャンペーン」を実施しており、期間中は、新規ご入会の入会金が無料(通常8,000円)となります。キャンペーンは2025年9月30日まで実施しております。会員資格は4年度間有効で、お得な会員料金でご受講いただけるほか、早稲田大学中央図書館の利用など、さまざまな特典がございます。詳しくは、早稲田大学エクステンションセンターWebサイトをご覧ください。
https://www.wuext.waseda.jp/

新古代史の会編『歩いて学ぶ日本古代史1 邪馬台国から大化改新まで』(吉川弘文館、2024.12)が刊行されました。

「ヤマト王権と古代祭祀―山辺の道を歩く―」の章と、僭越ながら編集委員の一人として「あとがき」の執筆を担当しました。

古代史の重要テーマに関係する各地の遺跡・史跡を、最新の研究成果を踏まえて専門家の方々が紹介してくださっており、フィールドワークの事前学習にちょうどよい1冊です。

つづいて第2巻・第3巻も刊行される予定です。よろしくお願いいたします。

https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10094555.html

 

 

『日本歴史』第915号(2024年8月)にて、小野里了一氏が拙著『日本古代の国造と地域社会』(八木書店、2023年8月)の書評をしてくださいました。拙い内容を的確に整理していただき、ありがとうございます。

 

 

拙稿「武蔵国造の乱の再検討―古代東国の国造と屯倉―」(『歴史評論』第895号、pp.37-43、2024年11月)が刊行されました。

 

武蔵国造の乱の後に置かれた四処の屯倉について、横渟は横見郡、橘花は橘樹郡、多氷は多水(=多摩川)の誤写とみて多摩郡、倉樔はクラ+ヤグラの重言とみて久良郡に、それぞれ比定しました。

 

また、西国では6c前半に国造任命・屯倉設置・国造国の境界画定がセットで実施されたのに対し、東国では6c前半に国造任命・屯倉設置のみが行われ、この段階では屯倉によって掌握される交通体系が国造国の範囲をゆるやかに規定しており、送れて6c後半に国造国の境界が画定された、との見通しを述べました。

 

よろしくお願いいたします。