目線が他人の高さと同じだったのかも知れない。 | 精神障害者のブログ

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  僕が、生きる時に、とても生き辛かったのは、


自分の目線が、他人と同じように高かったの


かも知れないと、思い直した。



  人間が出来る事は、素晴らしくレベルが高い、


やろうと思った事は何でも出来る、


そんな風に思っていたのかも知れない。


 そこまで考えるのは極端かも知れないが、


少なくとも、今の自分で居続ける事は、


決して良くないし、「変わる」と言う事が、


当り前のように感じていたのかも知れない。



  今日、一週間に二回の休日の内の一回目の


金曜日だった。


 最近、昼夜逆転していて、朝の3時ぐらいに


寝付いたのだが、起きたのは朝9時30分頃、


そして、眠気の後にまた寝て、


買い物に行こうとしていた夕方の14時頃、


やっとチャンと起きて、買い物にスーパーに行った。



  この暑さの中、何も出来ない自分に気付いた。


そしてそれと同様に、夕方まで、眠ってしまった


し、同様の友人もいた。



  この事から、人間にはバイオリズムがあって、


この暑さで、熱中症で倒れる人もいたり、


それを介抱する人もいて、救急車も大忙しだ。



  話を元に戻す。


 他人と自分が比べられるか?と言う問いに対して、


多くの人は、決して比べられないと言うと思う。


 僕もその一人だ。


 だけど、実際にその場に行ったり、周りにいる人が


頑張って、何かを成し遂げたら、「凄い!」と思う反面、


僕には、「あの人に出来る事が、何故、


 僕には出来ないのだろう?」と思う。


 恥ずかしい事に、しばらくは平気でいられない。



 僕が今まで、自分に対して投げかけてきた疑問、


 「自分はどうして、他人に叶わないのだろうか?」


それは、歳を取るにつれ、少なくなりつつはあるが、


 決して消し去ることが出来ない。



  そして僕は、18年前、統合失調感情障害と言う、


病気になった。


 こんな僕に、他の健常者の人達と、ハッキリ差が


ついてしまった。


 もう、他の人と同じモノは、追いかけられない。


そしてきっと、決して追いつけない。



  沢山の人が当たり前にやってのける事も、


 「緊張」や、「圧迫感」、


 「肝心な時に失敗をやらかす」 


 と言う事で、多くのチャンスを逃して来た。



  病気について話せば、


キリがないけれど、


ただ一つ言える事は、


他人の「当たり前」は、自分には、


当てはまらないと言う事。 



  そんな僕が今日、改めて感じたのは、


 「目線を低く、地道に生きる事」であり、


 「出来る範囲で夢をかなえていく」、と言う事だった。


 

  自分で自分の出来ない事に挑戦するわけじゃなく、


目線を低くして、前よりも、沢山のハードルを


飛んで行こう。



  きっと自分にしかできない何かが見つかる、


そう信じて、これからも前向きに生きていきたいと思う。