ファミコン・サードパーティー会社のソフト
お久しぶりの更新であります。
これまでシューティングブームとドラクエ1発売までの経過などをざっと大雑把に振り返ってみたりしました。
思えばファミコンが発売されて間もない頃のラインナップといえば、1画面クリアタイプのアクションゲームやパズルゲームなどがほとんどでしたから、これからあれほどまでにゲームの可能性が拡がるハードになってしまうとは想像もつかなかったわけです。
最初、任天堂がほとんどのゲームをリリースしていましたが、84年にはサードパーティーにハドソンとナムコが参加し、ハドソンは第一弾にナッツ&ミルク、ロードランナー、ナムコは第一弾にギャラクシアン、パックマン、ゼビウスをリリースしました。
自分はこのあたりの時期はまだ本体購入に至るまで様子見だったので、友達の家でプレイをさせてもらってじっと我慢をして堪えていました。
しかし85年頃にはスーマリやスパルタンX、パックランド、ドルアーガの塔などがリリースされ、横スクロールタイプでクリアまでのプレイ時間もこれまで以上に長く、遊びごたえのあるものが続々出てきましたので、これはもう買うしかないだろう!と買い時を確信し、近所のディスカウントショップで本体とチャレンジャーを同時購入をしたのでありました。
思えばエニックスの第一弾はドアドアというシンプルなパズルゲーでしたが、その頃のエニックスは開発機能を持たないゲームパブリッシャーで、ドアドアやドラクエなどはプログラマー中村光一氏を中心とするチュンソフトの委託開発だったりします。
スクウェアも当時PCゲームを中心にソフト開発を展開する地味な会社で、エニックスもスクウェアもどちらも小規模な企業でした。
スクウェアはPCゲームの移植作のロボットシューティング・テグザーでの参入でしたが、後の巨大企業であるスクウェア・エニックスの初期の作品が思いのほかシンプルな作品で、その後いろいろな試行錯誤の末、あれほどまでの巨大企業になったというのは意外なことだったりします。
フラッピー、うっでいぽこ、頭脳戦艦ガル、ヴォルガード2を発売したデービーソフトもPCゲームソフトの開発を母体としていた企業でした。
またカラテカはソフトプロという地味な会社からリリースされていますが、元々は洋ゲーソフトウェア会社であるBrøderbund社(チョップリフター、スペランカー、バンゲリングベイ、ロードランナー、プリンス・オブ・ペルシャ、ミスト、シムシティなどを開発した凄いソフトウェア会社)が1984年にリリースしたPC用ゲームでした。
コナミはイーアルカンフーとけっきょく南極大冒険が参入初のソフトでした。
コナミといえば参入前からアーケードやMSXゲームの世界で既に大手な会社でしたからね。
ナムコはパックマンなどアーケードで数々のヒット作を連発した言わずと知れたゲーム界の巨人ですが、ファミコンへのサードパーティー活動も84年から非常に積極的で、価格も一律3900¥と安く良心的でした(86年9月/スーパーゼビウス・ガンプの謎以降からはパッケージがハードケース仕様となり、値段が4900¥に値上がりするのですが)。
ナムコと同じく初期の頃から積極的にファミコンへとソフトを供給していたハドソンですが、全体的にソフトのクオリティが非常に高くて、この頃の子供たちはハドソンゲームにはハズレが無い!と非常に信頼していたと思います。
ロードランナーやスターフォースやボンバーマンは放課後の子供たちの定番ソフトで、誰もが友達と得点を競い合った経験があったのではないかと思います。
スーパーアラビアン、ルート16ターボ、いっきという有名タイトルで参入したサン電子ですが、個人的に何処か不思議感のあるソフト会社で、いっきの難易度調節などに見られる大雑把さが好きな人もいれば苦手な人もいたかも知れません。
アトランティスの謎などは攻略本なしではまったくクリア出来なかった記憶がありますからね。
85年からはファミコンはサードパーティーソフト豊作期突入になるわけですが、それと同時にいわゆる糞ゲーというハズレソフトを買わされるリスクが高くなってきたのもこの頃からだったわけです。
当時4900¥~5500¥ほどのゲームを子供の小遣いから出して、挙句の果てにソフトが糞ゲーだった場合、あまりにも痛手を負いかねないことになるので、そこで当時の子供たちはゲーム雑誌を購入して、新作ソフトが購入するべきか否かの情報を慎重に集めていました。
週間ファミマガ、週間ファミ通、マル勝ファミコン、ハイスコアなどといった雑誌です。
あとおまけでPCゲーム情報誌のベーシックマガジン、コンプティーク、アスキーなどの雑誌も書店で立ち読みしたり、そんな日々を送っていましたね。
85~86年といえば、アーケードゲームが目覚しい進化を遂げた年でもありました。
パックランド、ドラゴンバスター、スペースハリアー、タイムギャル、妖怪道中記、源平討魔伝、奇々怪々、ファンタジーゾーン、アウトランなどのスマッシュヒット作が続々リリースされました。
ゲーセンでは家庭用ゲーム機を遥かに凌駕する技術が導入されたハイスペックゲームのオンパレードで、興奮の連続だったわけです。
気が付けば一日中ゲーセンに入り浸り、上手いプレイヤーの後ろでプレイに食い入り、次々100円を惜しげもなく投入していたのでした。
当時のゲーセンと家庭用のゲームには、スペックの差に非常に大きな開きがあったわけですが、この頃のファミコンはファミコンでプログラムにいろんな工夫が見られていたのです。
自分は個人的にこの頃のファミコンのプログラム技術では、フォーメーションZ(ジャレコ)とマッハライダー(任天堂)のスクロールスピードの速さに度肝を抜かれた記憶があります。
85年のファミコンのデータ容量がたったの32キロバイトだったらしいので、低容量であれだけのことをやってしまったポートピアやドラクエの技術は賞賛に値するんじゃないかと思います。
当時プログラムが全て手間のかかる入力作業で行われて作られていたファミコンやアーケードですから、プログラマーはかなりの重労働だったそうで、根を詰めて胃潰瘍になる人も多かったようです。
ゼビウスの作者・遠藤雅伸さんのトークから聞いた話しですけどね。
各地でハドソンシューティングキャラバンが非常に盛り上がっていましたが、忘れてはいけないソフトといえば、同じ頃もうひとつ熱い盛り上がりを見せていたゲームの全国大会。そうです。キン肉マン マッスルタッグマッチです。
大会優勝者8名には好きなキャラクターをゲーム内に1人追加出来る金色のカートリッジがプレゼントされていましたね。
自分の友人の間でもこのソフトはカリスマ的な人気があって、一時期ファミスタとマッスルタッグマッチのゲーム大会ばかりやっていたような記憶があります。
これまでシューティングブームとドラクエ1発売までの経過などをざっと大雑把に振り返ってみたりしました。
思えばファミコンが発売されて間もない頃のラインナップといえば、1画面クリアタイプのアクションゲームやパズルゲームなどがほとんどでしたから、これからあれほどまでにゲームの可能性が拡がるハードになってしまうとは想像もつかなかったわけです。
最初、任天堂がほとんどのゲームをリリースしていましたが、84年にはサードパーティーにハドソンとナムコが参加し、ハドソンは第一弾にナッツ&ミルク、ロードランナー、ナムコは第一弾にギャラクシアン、パックマン、ゼビウスをリリースしました。
自分はこのあたりの時期はまだ本体購入に至るまで様子見だったので、友達の家でプレイをさせてもらってじっと我慢をして堪えていました。
しかし85年頃にはスーマリやスパルタンX、パックランド、ドルアーガの塔などがリリースされ、横スクロールタイプでクリアまでのプレイ時間もこれまで以上に長く、遊びごたえのあるものが続々出てきましたので、これはもう買うしかないだろう!と買い時を確信し、近所のディスカウントショップで本体とチャレンジャーを同時購入をしたのでありました。
思えばエニックスの第一弾はドアドアというシンプルなパズルゲーでしたが、その頃のエニックスは開発機能を持たないゲームパブリッシャーで、ドアドアやドラクエなどはプログラマー中村光一氏を中心とするチュンソフトの委託開発だったりします。
スクウェアも当時PCゲームを中心にソフト開発を展開する地味な会社で、エニックスもスクウェアもどちらも小規模な企業でした。
スクウェアはPCゲームの移植作のロボットシューティング・テグザーでの参入でしたが、後の巨大企業であるスクウェア・エニックスの初期の作品が思いのほかシンプルな作品で、その後いろいろな試行錯誤の末、あれほどまでの巨大企業になったというのは意外なことだったりします。
フラッピー、うっでいぽこ、頭脳戦艦ガル、ヴォルガード2を発売したデービーソフトもPCゲームソフトの開発を母体としていた企業でした。
またカラテカはソフトプロという地味な会社からリリースされていますが、元々は洋ゲーソフトウェア会社であるBrøderbund社(チョップリフター、スペランカー、バンゲリングベイ、ロードランナー、プリンス・オブ・ペルシャ、ミスト、シムシティなどを開発した凄いソフトウェア会社)が1984年にリリースしたPC用ゲームでした。
コナミはイーアルカンフーとけっきょく南極大冒険が参入初のソフトでした。
コナミといえば参入前からアーケードやMSXゲームの世界で既に大手な会社でしたからね。
ナムコはパックマンなどアーケードで数々のヒット作を連発した言わずと知れたゲーム界の巨人ですが、ファミコンへのサードパーティー活動も84年から非常に積極的で、価格も一律3900¥と安く良心的でした(86年9月/スーパーゼビウス・ガンプの謎以降からはパッケージがハードケース仕様となり、値段が4900¥に値上がりするのですが)。
ナムコと同じく初期の頃から積極的にファミコンへとソフトを供給していたハドソンですが、全体的にソフトのクオリティが非常に高くて、この頃の子供たちはハドソンゲームにはハズレが無い!と非常に信頼していたと思います。
ロードランナーやスターフォースやボンバーマンは放課後の子供たちの定番ソフトで、誰もが友達と得点を競い合った経験があったのではないかと思います。
スーパーアラビアン、ルート16ターボ、いっきという有名タイトルで参入したサン電子ですが、個人的に何処か不思議感のあるソフト会社で、いっきの難易度調節などに見られる大雑把さが好きな人もいれば苦手な人もいたかも知れません。
アトランティスの謎などは攻略本なしではまったくクリア出来なかった記憶がありますからね。
85年からはファミコンはサードパーティーソフト豊作期突入になるわけですが、それと同時にいわゆる糞ゲーというハズレソフトを買わされるリスクが高くなってきたのもこの頃からだったわけです。
当時4900¥~5500¥ほどのゲームを子供の小遣いから出して、挙句の果てにソフトが糞ゲーだった場合、あまりにも痛手を負いかねないことになるので、そこで当時の子供たちはゲーム雑誌を購入して、新作ソフトが購入するべきか否かの情報を慎重に集めていました。
週間ファミマガ、週間ファミ通、マル勝ファミコン、ハイスコアなどといった雑誌です。
あとおまけでPCゲーム情報誌のベーシックマガジン、コンプティーク、アスキーなどの雑誌も書店で立ち読みしたり、そんな日々を送っていましたね。
85~86年といえば、アーケードゲームが目覚しい進化を遂げた年でもありました。
パックランド、ドラゴンバスター、スペースハリアー、タイムギャル、妖怪道中記、源平討魔伝、奇々怪々、ファンタジーゾーン、アウトランなどのスマッシュヒット作が続々リリースされました。
ゲーセンでは家庭用ゲーム機を遥かに凌駕する技術が導入されたハイスペックゲームのオンパレードで、興奮の連続だったわけです。
気が付けば一日中ゲーセンに入り浸り、上手いプレイヤーの後ろでプレイに食い入り、次々100円を惜しげもなく投入していたのでした。
当時のゲーセンと家庭用のゲームには、スペックの差に非常に大きな開きがあったわけですが、この頃のファミコンはファミコンでプログラムにいろんな工夫が見られていたのです。
自分は個人的にこの頃のファミコンのプログラム技術では、フォーメーションZ(ジャレコ)とマッハライダー(任天堂)のスクロールスピードの速さに度肝を抜かれた記憶があります。
85年のファミコンのデータ容量がたったの32キロバイトだったらしいので、低容量であれだけのことをやってしまったポートピアやドラクエの技術は賞賛に値するんじゃないかと思います。
当時プログラムが全て手間のかかる入力作業で行われて作られていたファミコンやアーケードですから、プログラマーはかなりの重労働だったそうで、根を詰めて胃潰瘍になる人も多かったようです。
ゼビウスの作者・遠藤雅伸さんのトークから聞いた話しですけどね。
各地でハドソンシューティングキャラバンが非常に盛り上がっていましたが、忘れてはいけないソフトといえば、同じ頃もうひとつ熱い盛り上がりを見せていたゲームの全国大会。そうです。キン肉マン マッスルタッグマッチです。
大会優勝者8名には好きなキャラクターをゲーム内に1人追加出来る金色のカートリッジがプレゼントされていましたね。
自分の友人の間でもこのソフトはカリスマ的な人気があって、一時期ファミスタとマッスルタッグマッチのゲーム大会ばかりやっていたような記憶があります。
ファミコン以前のゲームの歴史
自分はアーケードでは、テラクレスタ、マグマックス、スパルタンX、スターフォース、フロントライン、ペンゴ、リブルラブル、バーガータイム、メトロクロス、スカイキッド、マッピー、エレベーターアクション、ポールポジション、サーカスチャーリー、などなど・・・挙げだしたらキリがないですが、こういったラインナップがお気に入りでした。
ところで70~80年代頃のゲーセンって悪い子が行く場所みたいな、どこか危険なイメージがありましたよね(笑)
つまりゲーセン=カッコいい というイメージが、昔には割かしあったんじゃないかと思ったりします。
この時代のアーケードゲームにはなんというか華があって(とてもシンプルな内容なんですが)、非常にファッション性が高いものが多かったですしね。
BGMも心に響くメロディーラインで名曲が非常に多かったのです。
あとは花札ゲームもハマりましたし、たまにハングオンの筐体に乗るのも爽快でしたね。
ファミコンは発売当初から人気が高かったわけですが、その時代の子供たちにとって任天堂のゲームというのは既にお馴染みなものでした。
それはゲームウォッチとドンキーコングのブームがあったからです。
ポパイやマリオもゲームウォッチで既にありましたが、その頃のキングオブゲームと言えばゲーセンでのドンキーコング。ゲームウォッチ版は上下2画面の液晶の豪華版だったことからも人気の高さが伺えます(値段は定価6000円 たかっ!)。
自分は幼少の頃海外のゲーセンに行ったことがあるのですが、大昔からあちらでも日本のゲームは大盛況でした。
ギャラクシアン、ギャラガ、ディグダグ、ラリーXなどのナムコットゲームは一通り並んでましたし、ドンキーコングなどの任天堂ゲームももちろん有名でした。
特にパックマンの人気は半端ないものがありましたね。
洋ゲーではATARIのセンチピードにミサイルコマンドー、アクティビジョンのピットフォールなんかが人気だったような記憶があります。
ところで今のゲームは昔のものに比べると難易度が大幅にやさしくなっていますよね(mobageなどが代表的なところでしょうか)
ソフト会社さんがかなりローユーザーを意識しているのが伺えますが、自分はゲームの難易度はあまり下げ過ぎたら逆につまらなくなってしまう恐れがあると思うのです。
確かに子育てをしてる方とか、低学年の子でもプレイ出来るものが欲しいと思ったりするでしょうし、ゲームが苦手な女の子でもプレイ出来るものにしたいなんていう狙いもあることと思います。
しかしローユーザーを意識した結果、今度はエンドユーザーに敬遠されてしまう内容になってしまいかねないのが、今のゲームの非常に残念なところです。
現代ではゲームが3Dになり、グラフィックの表現が大幅に向上しましたが、基本的な軸となるゲームシステムは、ファミコン時代の作品からの、既存のジャンルの中でのルールをそのまま踏襲しただけで、面白さの点で昔のゲームを上回っているものはというと、少ないのが現状ではないかと思うのです。
確かに今のゲームで面白いものはいっぱいあることと思いますが、自分はゲームは今でも8bit機の性能でも充分楽しめると思います。
3Dゲームをプレイした感想、個人的に思いましたが、ゲームはやはり2Dに限ると!
なぜならドット差の微妙な攻撃の回避を楽しむには2Dでの表現がベストですし、そういった要素が面白いゲームには必要不可欠ですからね。
それから結局のところ原画の細かい描写を表現するなら平面画のほうが優れていると感じたりしますし。
ファミコンが発売される以前(または発売直後の時期に)、ぴゅう太、カセットビジョン、スーパーカセットビジョン、セガMk2、Mk3、ATARI2600、といったハードが目まぐるしく市場を通過していきましたが、パソコンもNEC8801や富士通FM-7などで独自な世界観を持つゲームがリリースされていて、ゲーム市場はもはやファミコン誕生前から既に非常に熱い状態だったんじゃないかと思います。
その頃、堀井雄二氏がパソコンゲームでポートピア連続殺人事件などのタイトルでアドベンチャーゲームの方法論を独自に開拓し、ゲーム界に新風を巻き起こしていました。
アドベンチャーゲームと言ったらまったく新しいジャンルでしたからね。
ポートピア連続殺人事件は1983年8月にエニックスよりPC-6001版から発売され、当時の多くの家庭用PCに移植されました。
そして満を持して遂に1985年11月29日にファミリーコンピュータ移植版が発売され、ファミコン初のアドベンチャーゲームとなりました。
このファミコン版は画期的なところがあって、それは十字キーコントローラーでもプレイしやすいように会話選択方式を採用した点でありますよね。
当時のゲーム業界は個人による開発が主流で分業がほとんどされておらず、本作もオリジナル版のプログラム・シナリオ・グラフィック等の全ての作業を堀井氏が1人でこなしていた(PC-6001、PC-8801版のみ)そうで、ファミコン版での選択方式の工夫も堀井氏が考案したと聞きます。
さていよいよ堀井氏は運命のヒット作・ドラクエの開発の着手を開始します。
当時洋ゲーのウルティマを原型にした遊びやすいRPGを開発したい、という意向で堀井氏は動き出すのですが、発売までの期間、週間少年ジャンプで不定期に連載されていたコンピュータゲーム紹介記事『ファミコン神拳』でゆう帝(堀井雄二)ミヤ王(宮岡寛)キム皇(木村初)の3人の企画としてドラゴンクエストのリリースが発表されたのです。
堀井氏はシナリオ・ゲームデザインを担当、キャラクターデザインはドラゴンボールを絶賛連載中だった鳥山明氏、ゲームミュージック作曲は弟子に筒美京平を持つ大物作曲家すぎやまこういち氏が担当するという最強布陣での製作が決定しました。
ジャンプとのタイアップ効果もあったのかも知れません。
何気なく企画されたこのソフトがまさか爆発的大ヒットを記録することになるとは、この頃の堀井氏にとっては想定外の出来事だったのではないかと思います。
ところで70~80年代頃のゲーセンって悪い子が行く場所みたいな、どこか危険なイメージがありましたよね(笑)
つまりゲーセン=カッコいい というイメージが、昔には割かしあったんじゃないかと思ったりします。
この時代のアーケードゲームにはなんというか華があって(とてもシンプルな内容なんですが)、非常にファッション性が高いものが多かったですしね。
BGMも心に響くメロディーラインで名曲が非常に多かったのです。
あとは花札ゲームもハマりましたし、たまにハングオンの筐体に乗るのも爽快でしたね。
ファミコンは発売当初から人気が高かったわけですが、その時代の子供たちにとって任天堂のゲームというのは既にお馴染みなものでした。
それはゲームウォッチとドンキーコングのブームがあったからです。
ポパイやマリオもゲームウォッチで既にありましたが、その頃のキングオブゲームと言えばゲーセンでのドンキーコング。ゲームウォッチ版は上下2画面の液晶の豪華版だったことからも人気の高さが伺えます(値段は定価6000円 たかっ!)。
自分は幼少の頃海外のゲーセンに行ったことがあるのですが、大昔からあちらでも日本のゲームは大盛況でした。
ギャラクシアン、ギャラガ、ディグダグ、ラリーXなどのナムコットゲームは一通り並んでましたし、ドンキーコングなどの任天堂ゲームももちろん有名でした。
特にパックマンの人気は半端ないものがありましたね。
洋ゲーではATARIのセンチピードにミサイルコマンドー、アクティビジョンのピットフォールなんかが人気だったような記憶があります。
ところで今のゲームは昔のものに比べると難易度が大幅にやさしくなっていますよね(mobageなどが代表的なところでしょうか)
ソフト会社さんがかなりローユーザーを意識しているのが伺えますが、自分はゲームの難易度はあまり下げ過ぎたら逆につまらなくなってしまう恐れがあると思うのです。
確かに子育てをしてる方とか、低学年の子でもプレイ出来るものが欲しいと思ったりするでしょうし、ゲームが苦手な女の子でもプレイ出来るものにしたいなんていう狙いもあることと思います。
しかしローユーザーを意識した結果、今度はエンドユーザーに敬遠されてしまう内容になってしまいかねないのが、今のゲームの非常に残念なところです。
現代ではゲームが3Dになり、グラフィックの表現が大幅に向上しましたが、基本的な軸となるゲームシステムは、ファミコン時代の作品からの、既存のジャンルの中でのルールをそのまま踏襲しただけで、面白さの点で昔のゲームを上回っているものはというと、少ないのが現状ではないかと思うのです。
確かに今のゲームで面白いものはいっぱいあることと思いますが、自分はゲームは今でも8bit機の性能でも充分楽しめると思います。
3Dゲームをプレイした感想、個人的に思いましたが、ゲームはやはり2Dに限ると!
なぜならドット差の微妙な攻撃の回避を楽しむには2Dでの表現がベストですし、そういった要素が面白いゲームには必要不可欠ですからね。
それから結局のところ原画の細かい描写を表現するなら平面画のほうが優れていると感じたりしますし。
ファミコンが発売される以前(または発売直後の時期に)、ぴゅう太、カセットビジョン、スーパーカセットビジョン、セガMk2、Mk3、ATARI2600、といったハードが目まぐるしく市場を通過していきましたが、パソコンもNEC8801や富士通FM-7などで独自な世界観を持つゲームがリリースされていて、ゲーム市場はもはやファミコン誕生前から既に非常に熱い状態だったんじゃないかと思います。
その頃、堀井雄二氏がパソコンゲームでポートピア連続殺人事件などのタイトルでアドベンチャーゲームの方法論を独自に開拓し、ゲーム界に新風を巻き起こしていました。
アドベンチャーゲームと言ったらまったく新しいジャンルでしたからね。
ポートピア連続殺人事件は1983年8月にエニックスよりPC-6001版から発売され、当時の多くの家庭用PCに移植されました。
そして満を持して遂に1985年11月29日にファミリーコンピュータ移植版が発売され、ファミコン初のアドベンチャーゲームとなりました。
このファミコン版は画期的なところがあって、それは十字キーコントローラーでもプレイしやすいように会話選択方式を採用した点でありますよね。
当時のゲーム業界は個人による開発が主流で分業がほとんどされておらず、本作もオリジナル版のプログラム・シナリオ・グラフィック等の全ての作業を堀井氏が1人でこなしていた(PC-6001、PC-8801版のみ)そうで、ファミコン版での選択方式の工夫も堀井氏が考案したと聞きます。
さていよいよ堀井氏は運命のヒット作・ドラクエの開発の着手を開始します。
当時洋ゲーのウルティマを原型にした遊びやすいRPGを開発したい、という意向で堀井氏は動き出すのですが、発売までの期間、週間少年ジャンプで不定期に連載されていたコンピュータゲーム紹介記事『ファミコン神拳』でゆう帝(堀井雄二)ミヤ王(宮岡寛)キム皇(木村初)の3人の企画としてドラゴンクエストのリリースが発表されたのです。
堀井氏はシナリオ・ゲームデザインを担当、キャラクターデザインはドラゴンボールを絶賛連載中だった鳥山明氏、ゲームミュージック作曲は弟子に筒美京平を持つ大物作曲家すぎやまこういち氏が担当するという最強布陣での製作が決定しました。
ジャンプとのタイアップ効果もあったのかも知れません。
何気なく企画されたこのソフトがまさか爆発的大ヒットを記録することになるとは、この頃の堀井氏にとっては想定外の出来事だったのではないかと思います。
ファミコン創生期、そしてシューティングブーム
facebookを覗いて海外の情報を知って驚いたことなんですが、現在も空前のゲームブームであるということです。
Nintendo Entertainment System時代から既にですけど、現在も尚その勢いは止まる事は知らないようです。
自分はファミコンは発売当時から持っていましたが、友人より若干遅れて購入したので、しばらくは放課後に友人の家にお邪魔してプレイさせてもらっていましたね。
ファミコンリリース第一弾あたりのソフトといえば、マリオブラザース、ドンキーコングJR、ポパイ、ポパイの英語遊び、エキサイトバイク、ロードランナー、バルーンファイト、アイスクライマー、イーアルカンフー、スターフォース、ハイパーオリンピック、忍者くん等でしょうか。
それらはすべてゲーセンにもあって、家庭でもゲーセンでもプレイ出来ましたね。
その頃の友人(小学生時代)は非常に上手にプレイしてましたが、自分はまだまだ序の口レベルな腕前でしたから、対戦プレイしてもまったく上手くいかず即ゲームオーバーが常でした。
当時のファミコンはコントローラーのボタンが初期仕様の四角いゴム製のものでしたが、どういうわけかすぐに壊れやすく、いろんな友人がコントローラーが壊れて任天堂に修理に出していましたね。
任天堂から修理後、戻ってくるとなんとボタンが丸ボタンに変わっていたというエピソードも懐かしいですが(笑)
コントローラーの十字キーにコインを貼り付けると得点が上がりやすくなる、などの必勝法なんかをいろいろ試してみたりしていましたけどね。
その頃の友人の間ではエキバイ、マリオ、ハイパーオリンピック、ロードランナー、ドンJR、バルーンファイトといったゲームで得点を競い合う、または殺し合うのが流行っていましたが、皆なかなかの腕前でした。
それと平行してビックリマンシール集めなんかも流行っていたわけですがw
ゲーセンも行くのですが、自分のとある友人の場合、ジッピーレースは750でニューヨークを楽々クリアしてましたし、ゼビウスやギャラガ、マッピー、ムーンクレスタあたりは1コインで永久にプレイしていられたようです。自分はまったくのヘタレでしたけどね。
その頃はファミコンブームの創生期でしたが、ゲーセンではマニアアックなプレイヤーが長時間入り浸り、家庭用も既に非常に熱くて、その後の様々なファミコンリリースへの起爆的な地盤が構築されていたのでしょうね。
そして家庭用、ゲーセンとも衝撃的なネクストムーブメントが到来しました。
なんとマリオがスーパーに!このゲームが最初出た頃、これ程までに操作性が斬新で、かつこれまでにない奥の深い冒険が横スクロールで楽しめてしまう内容のものはありませんでしたから、マリオの登場は本当に画期的な出来事でした。
そしてゲーセンではドルアーガの塔がリリースされました。
このゲームにはなんとクリア方法が明かされていないというまったく斬新な内容で、謎につつまれたミステリアスな点がゲーセン野郎の未知のワールドへの探究心、冒険心に見事に火をつけました。
ゲーセンでは影の伝説も登場し、美麗なグラフィックでワイドな上下スクロールで迫力のアクションが楽しめるものが徐々に増えだしてきました。
カプコンは今でこそ意外ですが、1942や戦場の狼やソンソンなど鬼シューティングがメインなソフト会社でしたし、コナミもグラディウスにツインビーといったシューティングが冠作でしたわけで。
そこでファミコンでのシューティングブーム到来です!
毎週ファミコン雑誌を買っていましたから、ハドソンのカリスマ的存在、高橋名人からの熱いシューティングスピリットやゲーム情報や新作ゲームの広告からの影響というのは必然的脳内に浸透していました。
シューティングの隠れキャラや隠しコマンド、そして16連射の達人・高橋名人への憧れ。
やはり冗談じゃないような、妥協のない異常なムズさも面白さを助長させていた要素の一つでしょう。
プレイヤーを崖から突き落として試すが如く、ソフトに堂々バーンと込められたシンプルで激ムズなシューティングのあまりの硬派さ。
当時の自分の腕ではソフトを買って1分も持たなかったのが多かったですがね。
これらの様々な要素が絡み合って、熱狂的なシューターが増加していったことは言うまでもない歴史的な事実です。
すべての要素が自分にとって刺激的であって、シューティングというジャンルは自分の中で神格化されていったわけです。
あの頃熱くしてくれたファミコンのほんの一節の思い出です。
Nintendo Entertainment System時代から既にですけど、現在も尚その勢いは止まる事は知らないようです。
自分はファミコンは発売当時から持っていましたが、友人より若干遅れて購入したので、しばらくは放課後に友人の家にお邪魔してプレイさせてもらっていましたね。
ファミコンリリース第一弾あたりのソフトといえば、マリオブラザース、ドンキーコングJR、ポパイ、ポパイの英語遊び、エキサイトバイク、ロードランナー、バルーンファイト、アイスクライマー、イーアルカンフー、スターフォース、ハイパーオリンピック、忍者くん等でしょうか。
それらはすべてゲーセンにもあって、家庭でもゲーセンでもプレイ出来ましたね。
その頃の友人(小学生時代)は非常に上手にプレイしてましたが、自分はまだまだ序の口レベルな腕前でしたから、対戦プレイしてもまったく上手くいかず即ゲームオーバーが常でした。
当時のファミコンはコントローラーのボタンが初期仕様の四角いゴム製のものでしたが、どういうわけかすぐに壊れやすく、いろんな友人がコントローラーが壊れて任天堂に修理に出していましたね。
任天堂から修理後、戻ってくるとなんとボタンが丸ボタンに変わっていたというエピソードも懐かしいですが(笑)
コントローラーの十字キーにコインを貼り付けると得点が上がりやすくなる、などの必勝法なんかをいろいろ試してみたりしていましたけどね。
その頃の友人の間ではエキバイ、マリオ、ハイパーオリンピック、ロードランナー、ドンJR、バルーンファイトといったゲームで得点を競い合う、または殺し合うのが流行っていましたが、皆なかなかの腕前でした。
それと平行してビックリマンシール集めなんかも流行っていたわけですがw
ゲーセンも行くのですが、自分のとある友人の場合、ジッピーレースは750でニューヨークを楽々クリアしてましたし、ゼビウスやギャラガ、マッピー、ムーンクレスタあたりは1コインで永久にプレイしていられたようです。自分はまったくのヘタレでしたけどね。
その頃はファミコンブームの創生期でしたが、ゲーセンではマニアアックなプレイヤーが長時間入り浸り、家庭用も既に非常に熱くて、その後の様々なファミコンリリースへの起爆的な地盤が構築されていたのでしょうね。
そして家庭用、ゲーセンとも衝撃的なネクストムーブメントが到来しました。
なんとマリオがスーパーに!このゲームが最初出た頃、これ程までに操作性が斬新で、かつこれまでにない奥の深い冒険が横スクロールで楽しめてしまう内容のものはありませんでしたから、マリオの登場は本当に画期的な出来事でした。
そしてゲーセンではドルアーガの塔がリリースされました。
このゲームにはなんとクリア方法が明かされていないというまったく斬新な内容で、謎につつまれたミステリアスな点がゲーセン野郎の未知のワールドへの探究心、冒険心に見事に火をつけました。
ゲーセンでは影の伝説も登場し、美麗なグラフィックでワイドな上下スクロールで迫力のアクションが楽しめるものが徐々に増えだしてきました。
カプコンは今でこそ意外ですが、1942や戦場の狼やソンソンなど鬼シューティングがメインなソフト会社でしたし、コナミもグラディウスにツインビーといったシューティングが冠作でしたわけで。
そこでファミコンでのシューティングブーム到来です!
毎週ファミコン雑誌を買っていましたから、ハドソンのカリスマ的存在、高橋名人からの熱いシューティングスピリットやゲーム情報や新作ゲームの広告からの影響というのは必然的脳内に浸透していました。
シューティングの隠れキャラや隠しコマンド、そして16連射の達人・高橋名人への憧れ。
やはり冗談じゃないような、妥協のない異常なムズさも面白さを助長させていた要素の一つでしょう。
プレイヤーを崖から突き落として試すが如く、ソフトに堂々バーンと込められたシンプルで激ムズなシューティングのあまりの硬派さ。
当時の自分の腕ではソフトを買って1分も持たなかったのが多かったですがね。
これらの様々な要素が絡み合って、熱狂的なシューターが増加していったことは言うまでもない歴史的な事実です。
すべての要素が自分にとって刺激的であって、シューティングというジャンルは自分の中で神格化されていったわけです。
あの頃熱くしてくれたファミコンのほんの一節の思い出です。
