私はこのように考える。







安倍晴明は聞いた事があっても、


土御門家が安倍家であることを知る者は少ない。





平安時代には映画で有名な安倍晴明が


中興の祖として陰陽道を司ることになった。





飛鳥時代から安倍家は公家の中でも常に高い位にあった。


時代を重ねる度に分家が増えて行ったため、


安倍姓だけでは混乱が生じた。





宗家へ赴く貴族たちは、


安倍家が京都の土御門に面していたので


「土御門に行く」と言い始めた。





そこから正式に安倍家の宗家の姓が土御門になったらしい。





養子縁組や吸収合併で姓が変わった訳でない。





現総理大臣の安倍晋三氏は安倍氏分家の血筋である。





陰陽師とは?


映画に出てくるような鬼や妖怪を退治するイメージがあるがそうでは無い。


主な職務は、天文・暦数・風雲にあった。


統計学から分析した自然界の変動性や回帰性を活かして、易学や方位学・天気予報に発展したのだ。







鎌倉時代に土御門家は、


天皇より名田庄に「泰山府君祭料知行地」の荘園を与えられ、


京都と名田庄を行き来した。





室町時代に応仁の乱が起こると


京都が戦禍に巻き込まれた。





土御門家は疎開地として名田庄に移り住んだ。




100年間以上も疎開していたが、


関ヶ原の戦いが終わると徳川家康の命により京都へ戻った。





その後明治まで土御門家が暦と時間を司ることになった。





明治5年にグレゴリオ暦が導入されると、


旧暦は伊勢神宮が発刊する事となり、


世の中から「陰陽師」という称号も消された。







土御門家が徳川家と強い結びつきがあったため、


明治政府から疎まれたように思われる。





グレゴリオ暦を導入した大きな理由の一つに


貿易があったと言われている。


契約月日を共通化する必要があったらしい。





しかし、太陰暦はイスラム教の各国で、


太陰太陽暦は中国・インド・イスラエル・ギリシャなどで今でも使われており、日本が伝統を売り渡した国と言われても仕方がない状況だ。







「陰陽師」という称号は消え失せたので、現在「陰陽師」を自称する輩は全部ニセモノと言える。


しかし、業師としての「陰陽道」は脈々と続いていると思う。





もしかすると、現総理大臣も・・・かも知れない。






終わり・・・




名田庄