幕末に、稀代の美貌を持つ

大人気歌舞伎役者がいました。 

八代目 市川團十郎です。嘉永7年(1854年)

彼は人気絶頂のさなか 大阪での舞台の

初日に旅館の一室で自ら喉を突いて

命を絶ちました。享年32歳。




市川團十郎さんって

江戸歌舞伎の役者さんですが

そのお墓は 大阪の一心寺にあります。



年末に私の先祖のお参りに一心寺を訪れた際 

偶然目にした 八代目市川團十郎さんのお墓。


170年もの間 1人でずっとここで眠ってて

江戸へ帰りたかったでしょうねショボーン

遺髪のみ、初代から七代目までの菩提寺、

常照院に納められたそうです。




今を生きる 江戸歌舞伎の大御所

当代の 市川團十郎さんは十三代目






次に足が止まったのは芸能界無縁塚

身よりのない多くの芸能人を弔う為に

建てられました。芸能界は華やかなイメージが

あるだけに 墓前でまた軽く感情的になる私もやもや



こちらは 酒豪の武将 本多忠朝の墓

大阪冬の陣、前の晩にお酒を飲み過ぎてしまい

本番の戦で大敗を期してしまった本多忠朝。


死に際に忠朝は「憎むべきは酒なり。

今後、わが墓に詣でるものは、必ず酒嫌いと

なるべし」と言い残したとあり断酒望む

参拝者が墓に祈願に来られるそうです。


壁にぶら下がってる しゃもじ形の絵馬に

断酒の願いが沢山書かれてありました日本酒




100年前のパンデミック

スペイン風邪の犠牲者を弔う碑

私の曽祖母も 幼い子供達を残して(祖母ら)

スペイン風邪で亡くなりました。



戊辰戦争の戦死者を弔う碑



鯉が泳ぐ池の横に 淡水魚供養塔



一心寺は 山門の仁王像も芸術的です





日本で育つのは珍しい 

インドボダイジュ(菩提樹)


ジャカランダ






私の実家では先祖代々 胴骨はお墓へ 

分骨された喉仏は一心寺に納めています。

浄土宗のお寺ですが 宗派を問わず 

とても多くの方々の遺骨がここに

納められ、粉砕されて骨佛の仏像に姿を変えて

お堂に安置されています。



※骨佛一体につき 

使われてる遺骨は 約22万人分。

10年ごとに一体作られますが

戦前の分は空襲で消失してるそうです。