前回に続き、なぜか活字小説を読まない読書、文学案内、つまりは「鑑賞する名作物語」を続けたい。誰にでも優しい物語の鑑賞方法。遠視乱視も何のその、文字活字を気にしない文学鑑賞である。今回の取り上げるコンテンツは、おおよそ一九四〇年代、五〇年代あたり生まれの人が好きそうな内容である。もしかすると一九三〇年代の後半の方もかぶるのかな?

 

 今回の鑑賞対象の映画は、「マイフェアレディ(My Fair Lady)」。一九六四年に日本公開とある。同じころの作品としては「ハード・デイズ・ナイト」、これ公開当時のタイトルは「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」である。このタイトルわけ分からん。原題のほうが好き(笑)。

 前年がシルビィ・バルタンの「アイドルを探せ!」である。勿論、当然僕は生まれてない。実はどちらもブラック&ホワイトの作品で、これからここで紹介するカラー作品となったこの作品を鑑みると、当時のヘップバーン作品への期待度の高さが窺える。おそらくカラーで焼いても商業ベースで回収できると制作側は踏んだのである。

 

 文学考察の必要データとして押えたいのは、この作品の原作者である。バーナード・ショー(George Bernard shaw 1856-1950)という作家だ。一九一五年にノーベル文学賞を受賞しているアイルランド出身の小説家である。なので、ヘップバーンの映画公開とはずいぶんとタイムラグがある。一九六〇年代よりもずいぶんと古い脚本、作品だ。完成初見は一九一二年と伝わる。時代としては近代から現代への境だ。なので映画舞台セットの時代考証を推測すると、馬車と自動車が半々で登場するなどの十九世紀末から新世紀はじめの雰囲気が再現されている。我が国なら人力車の時代だ。芸術様式でいうならば「世紀末美術」の時代である。

 

 作品そのものは面白いのだが、この作家はジョン・ラスキンの時と同様に、個人的にだが、記され伝わる人物像からくみ取ると彼の性格は苦手(笑)。要は気難しい人っぽい。登場人物のヒギンズ教授がその性格引き継いで表しているのかもしれない。またショーは音楽評論家としても有名な作家で、ワーグナーがお気に入りである。これもまた当方苦手。僕とは真逆の趣味だ。

 まあ、当方の個人的な感想はさておき、できる限り、公平な目で客観的にこの作品と時代背景を見ていくことにしよう。

 

 実は「マイフェアレディ」というタイトルは、ブロードウェイ・ミュージカルのための焼き直し用のタイトルであり、演劇脚本、戯曲小説のほうのタイトルは『ピグマリオン』(1913)という。ギリシア文明時代のキプロス王の名前からとったタイトル。アフロディーテ女神に、お気に入りの恋しい像、象牙人形に命を吹き込んでもらった王の物語。心理学などの「ピグマリオン効果」という用語の元になったおとぎ話で知られている。

 社交界に入る資格さえないヘップバーン扮する下町娘イライザの下品な(と劇中で言っている)下町言葉を正して、きれいな英語を話させて、命を吹き込むように上品なレディに仕上げるというおとぎ話をなぞらえた物語である。

 内容はマニアックだ。言語学や音声学の好きな人は喜ぶ。学生時代、どの国にも方言やお国訛りは存在するということを、おぼろげに僕に教えてくれたのは、カントリーソング「テネシーワルツ」と、リバイバル上映で観たこの映画だったのかもしれない。

 その方面、言語についての藤四郎とーしろーさんである僕は受け売りの部分だけ、さらっと述べる。タイトルの「マイフェアレディ」は、「メイフェアレディ」を下町なまり言葉の人が発音すると、そう聞こえるそうだ。メイフェアはロンドンの金融街に近い、ブティック高級洋品店街。東京で言えば銀座、青山のような場所だ。そんな街にふさわしくなる女性に仕立てるという意味が込められている。劇中では同様の発音で「タイク」や「ダイ」と発する訛りが多い。takeとdayは素人でもわかる。いわゆる子音のあとの a は、ei(エイ) と発音するのは我々も学校で初歩に習うこと。だから「テイク」と「デイ」が標準語である。

 それ以上に、母国語ではないヘップバーンの英語理解能力と日本語字幕の翻訳字幕者のご苦労がすごい。この字幕者、ベランメイ調の英語をちゃんと一般の我々にもわかるように上手く置き換えて字幕表現しているからだ。

 

 折角なので、さらに手持ちの『ピグマリオン』の翻訳の先生の素晴らしい余談もご紹介しておきたい。「訳者あとがき」の欄である。この作品の翻訳者ってやはり言語が得意なんだろうな、と思わせてくれる話。英語には読まない音を綴るものが多いという部分。多かれ少なかれ、隣国などの影響で単語が入ってくるので、古代から欧州はそれの繰り返しだ。我が国では、カタカナ語という種別があるので、外来語とすぐ分かるが、ほぼ同じ文字を使う彼らは、そのまま自国の単語と同化させてしまう。他にも勝敗によって国境が変われば、アルザスロレーヌはエルゼスロートリンゲンと音も綴りも母国語によって変わるのは世界史でも習う。

 

 そんな欧州の外来借用語で綴られた文化的な土台を、ショーは逆手にとって、面白く提案した。 ghoti と綴って「フィッシュ」と読んではどうか? という英語ネーティブの自虐的な発想だ。その種明かしは、laugh (ラフ)の gh を「フ」と読ませて、women(ウイミン) の o は「イ」で、station(ステーション) の ti は「シィ」と読めるという理屈だ。どうやら若い時にこの本の翻訳者の方が知ったという、原作者のショー自身が言ったジョークということだ。長年にわたり、この作品と対峙してきた人たちしか知りえない小話である。(※参照 バーナード・ショー著/小田島恒志訳 ピグマリオン 光文社 2016年 二八九頁 ●この資料本文は、発音記号で書かれていますが、当記事は一般向けの記事なので、あえて分かりやすくカタカナ表記をしています。なので訳者の想定した厳密な音ではありません。また扱っている筆者も専門家ではないので、ご了承ください)

 

 では本題の物語に参ろう。映画では『ファウスト』の観劇の帰りがプロローグとなる。コヴェント・ガーデン(かつてのロンドンの大きな市場のあった場所)の花木市場で仕入れた輪売りの花、路上花売りのイライザは、バスケットの花を貴族や富裕層に売り歩いていた。そのけったいな彼女の下町なまりをメモしている怪しい男がいることを、通りすがりの人が彼女本人に教える。そのメモ魔の男を私服警察だと思い込んだ彼女は、大声で騒ぎ立てる。自分は花売りで、身持ちはかたいと。

 だがそれがヒギンズ教授、言語学者であり、英語の音声学の情報収集をしていたのだ。イントネーションやアクセントだけで、どこの地方の人間かを当ててしまうほどの猛者である。そんな彼がインド帰りの音声学の同じ大家である少佐ピカリングと賭をする。彼女を上品な言葉遣いにして、社交界にも通用するようにできるか、という内容だ。この件りはジュール・ベルヌ(Jules Verne 1828-1905)の『八十日間世界一周』のプロローグを思い出した。イギリス人は洒落の賭けが好きなのだろうか、とさえ思わせてしまう件りだ。

 彼女は男性二人のジョークを逆手にとって、自分に丁寧な上流階級の言葉を教えてほしいとヒギンズの自宅を訪ねる。授業料を払ってもいいので教えてほしい、と言うイライザ。

「なぜ、そこまでして?」のヒギンズの問いに、

「一流の花屋の店舗で、上流階級に花を売りたい」と答える。言葉が汚いと、きれいな店では雇ってもらえないから、なのだと言う。

 

 ここで時代を整理したい。様式論と学術と芸術の発達は、十九世紀の後半からめざましい。例えば、フロイトブームである。フロイト(Sigmund Freud 1856-1939)の心理学は、芸術家たちに再び深層心理や恐怖、信仰、精霊、神秘やオカルト趣味を呼び起こすことになる。そこに世紀末の終末思想が重なって、画壇作品としては、なんとも暗い時代の到来というわけだ。個人的に思うこの時代の唯一の救いは、華やかな商業芸術と絡んだ「アールヌーボー」様式だけである。

 作品としての一番の顕在的具現は、「世紀末美術」、「象徴主義」の文学や絵画だ。写実性では写真に勝てない絵画の役割を模索する旅が始まっていた。この時代になると、写真も湿板しっぱんから乾板かんばんへと移行し、以前より手軽に技師ではない多くの人々が写真を身近なものとしていた。要は感光剤の進化により、現像や準備の手間が減ったのだ。

「象徴主義」の代表例はクリムト(Gustav Klimt 1862-1918)を挙げてみよう。金細工職人だった家業と、自分自身の芸術性を織り交ぜた独自の世界観はヨーロッパを席巻した。「接吻」が有名だが、これは堕落を表現している教訓的な作品と言われる。幻想の中に痛烈なモラルを閉じ込めている。宗教画でもないのに、倫理を問う作品である。社会モラルという現代社会の構造の一部が生まれる。新しい学問分野の心理学という後ろ盾で出てきた作品というわけだ。一説には同じく「象徴主義」の旗手であるルドンの作品もフロイトの影響を多分に受けたと言われている。

 またこういったルドンなどの「象徴主義」や神秘世界が、写実的に優れた描写と一体化して次の二十世紀様式である「シュールレアリスム(超現実主義)」という様式を生み出すことになる。

 

 閑話休題としよう。この頃、学問も、芸術も専門性が重視される時代が訪れ、新しい学問領域や芸術の一派が続々と生まれてきた。そんな社会の下地の中で、ヒギンズのように言語を、書き言葉ではなく、話し言葉、即ち音声として認識する考え方をする分野も登場したというわけだ。今で言うリスニングや発声・発音考察の誕生である(正確には誕生ではなく、学問としての一般化)。映画には、当時発明されたばかりのドラム型蓄音機が登場、駆使されている。一八七七年にエジソン(Thomas Alva Edison 1847-1931)によって発明されたものと特徴が似ている。

 また階級社会が根強く残るこの当時のヨーロッパは、特に貴族制度が残り続けたイギリスにおいては、中産階級と低所得者の間での格差が大きな問題となっていた。その社会の風刺しているのが、この作品である。なので前回の『赤と黒』同様に、特権階級へのあこがれが収入という形で出てきた作品という意味では、同様な主題でもある。シリアスと喜劇の違いはあるのだが。

 

 映画と原作はエンディングは異なることは既述のことだが、あえて両者を比べてみると作品の本質がわかる。原作は、「女性が殿方を選ぶ時代」という平塚らいてふやイプセンの「女性解放運動」につながる主題だ。対して映画『マイフェアレディ』の方は、みんなが喜ぶハッピーエンドである。どちらの物語もヒギンズの母が鍵となる。そのあたりを意味深として残したい(今風に言えばネタバレ防止)。

 また物語後半の伏線上にある、イライザの父がおもしろい。資本主義の醍醐味と、その日暮らしの気軽さという対立概念、まるで説話の「田舎ネズミと町のネズミ」を思い出させるような暮らしっぷりの急変の描写が絶妙である。少し気になったのが、私は以前、この映画を何度か見ているのだが、イライザの父親のエンディングはちょっと違う台詞だった覚えがある。いくつかテイクがあるのか、もしかしたら勘違いかもしれないので深くは取り合わず、流すことにする。

 いずれにせよ、映画も本も楽しいので鑑賞してみてはいかがだろう。永遠の銀幕の妖精ヘップバーンの虜になる人も出るかもしれない。また当時を懐かしむ方も多いことだろう。

 

 往年の映画通、女優好きには、ジュリー・アンドリュースの「サウンド・オブ・ミュージック」もおすすめである。ちなみに「マイフェアレディ」を最初に有名にしたのは彼女だ。一九五四年からブロードウェイでのロングラン公演を大ヒットで終わらせている。ほかにも名画に魅せられて、シャーリー・ジョーンズ、デビー・レイノルズ、エリザベス・テーラー、ビビアン・リーと本来の目的、文学探究そっちのけで名画座に走ることのないようにお願いしたい(笑)。

 

参考資料・図書

バーナード・ショー著/小田島恒志訳 ピグマリオン 光文社 2016年

 

マイ・フェア・レディ 1964年作品(2002年版)PHNE108954 NBCユニバーサル・エンターテイメント(DVD)

 

 この作品の関連小ネタをいくつか紹介して終わりにしよう。主演のオードリー・ヘップバーン。このファミリーネームのヘップバーン、実は我が国、明治時代は音声優先表記でヘボンと聞こえたためこう記されてきた。つまりローマ字の考案者であるヘボンさんは同じヘップバーンさんなのである。

 次に自然保護団体であるナショナル・トラストのプロパティ(保護管理地域)というと、ベアトリクス・ポターというイメージがこのブログには多いが、実はバーナード・ショーの書斎館である「ショーズ・コーナー」という屋敷もナショナルトラストによって管理保存されている。ロンドンから車で一時間ほどの小さな郊外の集落なのだそうだ。(小野まり『英国ナショナル・トラスト紀行』河出書房新社 2006 74-75頁)

 参考にした書籍、『ピグマリオン』は数社から出ているが、私の種本にしたものは、活字が以前の文庫本より少々大きくて見やすいシリーズである。とても助かった。

 ミュージカル作品なので、劇中に登場した歌も残しておきたい。「踊り明かそう」はスタンダードナンバーとして、ジャズや歌劇でもよく使われるものである。どこかの街角、ラジオやテレビなどで聞いたことがあるという人も多い名曲である。

 ちなみに、後のシャーロックホームズ役のジェレミー・ブレットが若くて爽やかなのもすばらしい。歌を歌っている。斜に構えた、ニヒルさなどなく、ただただ爽やかなのだ。

 こう言った作者や演者のゆかりの場所や趣を探るのも文学探究で次の本と出会える理由作りとなる。動き続ける調査作業は、趣味と言うには堅実で、研究と言うには軽やかである。そんな文学探究の楽しみ方を少しでも多く披露できるように、筆者もがんばろう(笑)。