日本のコミック文化がお国自慢となって久しい。かつてのオタクと言われたモノに、パソコン、鉄道、アニメなどがあるが、どれも今日日本の娯楽産業を支えているジャンルになった。ただし鉄道はそうでは無くインフラとして使う僕たちもいるので、両面を持つし、パソコンは既にビジネスツールとなって久しい。アニメは外貨獲得のコンテンツ的な優良産業へと発展した。つまり二十一世紀の今、これらは一部のマニアのために存在するものではなく、生活の中に全てが組み込まれたツールとも言える。

 

 そんな中で、同様にコミックという文化がある。少し前なら間違いなくサブカルチャーにカテゴライズされていたもの、すなわちマンガだ。いまやマンガは媒体の一種である。必ずしも少年誌や青年誌、少女マンガなどの娯楽と言うだけで無く、啓蒙活動や新聞などのアクセント、企業のイメージ広告などに使われている。なので、全くの娯楽要素というだけでは無い。その中で学習マンガというジャンルがある。今回ご紹介するのはその学習マンガのジャンルに入るモノと言える。

 

 では本題に入ろう。学習マンガの中でも「文学をみる」ための対象作品をどうやって探すのか、という方法論から行きたい。学生時代の過去に僕の文学好きは、現代作品だけでなく名作もその範疇だった。漱石、鴎外、芥川、川端からベルヌ、バリー、キャロル、エンデ、セルバンテス、ジッドと無節操な乱読者だった。そんな多岐に及ぶ選択肢の中から何を題材に挙げるのか、と選択方法を考えてみよう。

 

 まずはオーソドックスな解題作業のための道標、ベースになる本から紹介していこう。一般的なあたりで、通常は文学史の本を案内役にするのが良い。例えば、現在入手できるかは未確認だが、学部の学生時代に履修したフランス文学史、ドイツ文学史の授業、ご担当の先生が推薦なさっていたもので、岩波文庫に『フランス文学案内』や『ドイツ文学案内』という、当時としては比較的やわらかい文体で、お堅い内容を記してくれた本があった。二次資料としてはとても良い本だった。入手や流通の状況は分からない。だが今回はもっと現代的かつ、一般向けで行きたい。

 

 それに準えて、映像資料の書評リスト(軽い文献解題のようなよくできた項目)を持つ書籍、なので名作文学作品の道標になり得る。『世界文学をDVD映画で楽しもう!』(青弓社・2014年)を作品の案内役として使ってみた。ここに掲載、紹介されている作品から映像関連の名作を選んで楽しんでいる。この本は歴史専攻で、図書館などの社会教育などにも精通した著者がお書きになったものだ。その役目をお任せして間違いない書籍だ。

 

 この書籍が網羅している文学作品、目次をご覧になれば一目瞭然だが、名だたる名作が並んでいる。これを原作の小説でなくとも、DVDなどの映像資料やコミックなどを使って把握したい。さりげなく物語の中身を知っているというだけで、仲間内の雑談のおりには一目置かれる存在になれること間違いない……(と思うのだが)。ホメロス、シェークスピアからゾラ、ユーゴー、バナード・ショー、ヘミングウェイなど一度は触れてみたい名作に接する機会を作ってくれる入口への扉のような本である。

 

 今回はそう言った文学史や解題書籍の中から文学らしい文学と言われる近代の文学を選ぶ。フランスの生んだ大作家、ロマン派を嫌い写実派に括られることが多い小説家の作品である(当方は偏らずどっちも読んだ)。そう、スタンダール(Stendhal 1788-1742)。その人の名作、『赤と黒』である。

 タイトルこそどこかで耳にしたことのある文学作品。だが僕もそうだったが、実態を知る人は少ない。

 これを僕なりの拙い感想と十九世紀探求のぎこちない時代考証で鍵概念を交えながら綴っていこう。そして今回の鑑賞のためにはそう、冒頭の「文学をみる」ために用いるもの、即ち小説では無く、マンガを使っての文学鑑賞でのご案内だ。

 

 さて用意した二冊の同名コミックでの作品吟味といこう。

 

 まずこの作品を読むにあたり前知識。基本的な文化史で用いる様式考察を頭に入れておくと、とても理解しやすい。あとで出てくるが「新古典主義」、「ロマン主義」、「写実主義」だ。この三つは美術史では結構重要な様式で、文学においては「ロマン主義」と「写実主義」は時代的に同じ時期の様式となる。

 

 この作品に作者のスタンダールは「1830年年代記」という副題をつけている。そこに歴史小説的なこの作品の価値がある。

 重ねてになるが、この時代は美術史や文学史、文化史における「新古典主義」と「ロマン主義」の葛藤の時代である。美術史、文学史なら「写実主義」がそろそろ生まれようとしていた頃だ。ちなみにスタンダール自身も文学史における写実派として括られることの多い作家である。格好良くいえば、ありのまま、赤裸々に社会を鋭くえぐる、真実の書き手ということである。今で言えばドキュメンタリーを含む創作というところだ。

 

 では本編の解説に入ろう。

 1700年代の後半から1800年代の初頭は人文思想の形成期であり、過渡期である。この十八世紀末の時代を「古典主義」時代という場合、十九世紀初頭の、この作品の舞台となる時代を美術史では「新古典主義」と称している。「新」の字をつけることで両者を区別するためだ。両者ともにギリシア・ローマ文化への回帰が促されたパラダイムということになる。

 舞台となる1830年ごろのフランスは「新古典主義」がナポレオンの失脚とともに廃れ始めたときだ。それが小説の題名、『赤と黒』の比喩に繋がる。要はナポレオン軍の軍服の色である赤と聖職者が身に纏う聖なる色の黒という具合だ。イメージという比喩の題名投下である。

 

 主人公のジュリアン・ソレルは平民の出で立身出世を夢見る若者。平和の世になって、軍人では偉くなって大金を稼げない時代となった。この時に、市井の噂で、教会の役職である司祭は軍人以上の大金を手にできるという、まことしやかな噂話しが流れてきた。

 しかもラテン語の才能に長けていたジュリアン。語学と韻文暗唱はお得意だ(うらやましい・笑)。神学校に進めるだけの学力はあったようだ。家業の材木商では、仕事の出来ない人間として邪魔者扱いをされて、書物は役に立たないという家族のレッテルに反骨的にリベンジを挑む人生が彼のこの物語での本質だ。出世欲のない僕には縁のない心情である(笑)。

 

 平民から出世したナポレオン(我が国ならさながら豊臣秀吉なのかな?)。彼にとって憧れの存在だ。この主人公は密かにナポレオンの肖像画を隠し持っている。これは王政復古の当時は、王に忠義を向けていないポジションなのでいけないことである。

 ナポレオンの回想場面、ここがマンガ作品のすごいところ。どちらもさり気なく、ダヴィッドの「新古典主義」作品を背景にオーバーラップさせて使っている。白馬にまたがる絵画や妻ジョセフィーヌの戴冠式の大作は学校時代、歴史や美術の教科書で見たことがあるはずだ。漫画家の才能を活かした良い仕事をしている。

 以前やっていた僕の一般教養の講座、講義では、このダヴィッドの作品については、種明かしをちゃんとしていた。険しいアルプスは白馬では越えられない山岳地帯なので、この絵画はイメージと皇帝の威厳を保つ宣伝絵画です、と。事実(史実)とは違うことをちゃんとお伝えしている。通常はラバを使っていたようだ。そこが提灯記事ならぬ、為政者賞賛絵画。権力者のお抱え画家の集団だった「新古典主義」の画家たちの泣き所だ。人文思想は程遠い。庶民やブルジョワ、新興貴族がお抱え画家の「新古典主義」を捨てて「ロマン主義」作家に走った理由がここにある。

 また主人公ジュリアンは給仕娘の企みで、雇い主の妻であるレナール夫人(ルイーズ)との情事を暴露される。まあ社会的なモラルの確立もおぼつかない十八世紀から十九世紀のごく初期の頃まで、こういった情事はごく自然に日常的と言われることも多かった。現代なら全くもって良い習慣ではないのだが、特権階級にありがちな「お遊び」としてかたづけられる出来事でもある。この時代の市井の習慣、まるで昔のメロドラマと感じる人も多い。浮き足だった反道徳的な男女の秘密裏の恋慕の状況は一つ前の様式である「ロココ様式」の美術作品を見れば一目瞭然である。

 

 そうかと思えば、家庭教師を辞め、入学した神学校で反主流派に属してしまい、主流派の試問員に異端扱いのホラティウスの詩歌の暗唱を口頭試問で誘導されたりと暗雲立ちこめる事件に見舞われたりもする。要はだまし討ちにあって、一泡吹かされたという感じだ。だがここで反主流派に身を委ねたことで、派閥の親分である校長の紹介でパリの大貴族のもとに身を寄せる結果になる。そして貴族の令嬢・マチルドから求愛を迫られるという嬉しい誤算、顛末に繋がるので、ここは「結果オーライ」でもある。

 だがこのマチルドの持つ宿命に、一緒に翻弄されてしまうのは大誤算となる。マチルドの持つ悪癖、昔話の中のマルグリッド妃の物語にオーバーラップするラストシーン。これらの漫画作品の情景描写の僕の感想は……。

 そう、「象徴主義」の巨匠、G・モローの描いた名作絵画「サロメ」の構図を思い出してしまう。里中さんの作品は影のみの描写だが。僕の脳裏では、どちらにもモローの作品が重なった。それは私だけなのであろうか……。おっと、この先はネタバレになるので、内緒である。

 

 この先、主人公には裁判という、もっと過酷な人生の試練が待ち受けるのだが、そこはご自身で確かめていただきたい。まだ未発達な法秩序。この当時、十九世紀初期の法制度と出世欲の競争社会での敗北が見どころとなる。主人公は自分の人生の過去の選択に、諦めと割り切りと当時の世相や時代模様を感じているようにも見える。感じ方は十人十色である。みなさんの感じた結末を感じていただきたい。

 

 当方は次回掲載予定の『マイフェアレディ』と同様に文学の世界観を十分に持った作品だと、このスタンダールの名著に「あっぱれ」の賞賛を贈りたい。時代を知り、時代考証を吟味したときに、この作品の価値は歴史や文学の畑だけでなく、当時の風俗や世論、情勢にも精通した大作と感じている。

 

 また今回参考にしたコミック二冊は読みやすく、解説も丁寧だ。僕と同じく、読み比べてみるのも良いし、映画や小説への導入部として読むのも悪くない。下に今回の解題の案内書と、種本としたコミック等を記しておくのでなにかの役に立てていただければ嬉しい限りである。まさに「みる」文学はコミックという媒体が大活躍だった。

 

参考図書

渡辺 一夫 ・鈴木 力衛 『増補 フランス文学案内 』 1990年 岩波書店

大串 夏身 『世界文学をDVD映画で楽しもう!』 2014年 青弓社

里中満智子 マンガ世界の文学1 赤と黒 1995年 世界文化社

スタンダール著/マンガで読破 赤と黒 2008年 イーストプレス

 

 さて、もう少し情報の欲しい方向けにもう一書き。

 同じ世界文化社のシリーズ、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は、いがらしゆみこさんが書いている。『キャンディキャンディ』でお馴染みですな。1960−1980年代に生まれた世代には馴染みのあるタッチだと思う。この『赤と黒』の書き手である里中さんも『アリエスの乙女たち』などが大ヒットした大作家(大漫画家)さんですしね。

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 関係ないけど、少年誌が好きだった僕は、ヒーローといえば、オオワシのケン、島村ジョー、飛騨の赤影である。吉田竜夫、石森章太郎、横山光輝かな? ではまた。

 

 ちなみにこのシリーズにはヨーロッパでバイブルの次に発行数が多いと言われているセルバンテスの『ドン・キホーテ』も漫画で上梓されている。このお話、西洋版の『東海道中膝栗毛』と思っているのは僕だけか?