このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)」と「デイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコースともなっており(障がい者も健常者もどちらも楽しめます)、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス小景」の3部構成で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

●このブログ(闘病記)中で夫婦の手記が混じっているため

 私の手記―太文字

 妻の手記―普通サイズ

 とし書体を替えて、一目でわかるようにした

●文中によく出てくる略語の意味は次のとおりである

 ST[speech therapy(therapist)]:言語療法(言語聴覚士)

 PT[physical therapy(therapist)]:理学療法(士)

 ОT[occupational therapy(therapist)]:作業療法(士)

 

 

                 目次

   第1章・・・・・発病してS病院に入院

   第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院

   第3章・・・・・Мリハビリ病院に転院

   第4章・・・・・K医療センター

   第5章・・・・・再びセンターへ

   第6章・・・・・自宅での療養生活

   第7章・・・・・発症後、初めての旅行

   第8章・・・・・ショートステイ

 

 

第6章…‥自宅での療養生活(2005年8月~2008年)

 

 

■へそを曲げた妻

 ある夏の日、妻が休みで娘も休みが重なった。朝早く、妻から近くのコスモス畑へドライブに行こうと提案があった。娘の運転となれば、娘のかける音楽を聴かなければならない。しかも娘はエアコンが嫌いなので、暑い思いをしなければならない。コスモス畑は一度行っているし近くなので、面白みは少ない。私はあまり気が進まなかったが、家族の望みならとつきあうことにした。しかしいざ出発となった時、やはり気が進まなかった。そんな私を見て妻は、

 「付き合うという程度の気持ちなら行かない。」

 とへそを曲げてしまった。私は、私を巻き込むならもう少し私の気持ちを考えてほしいと思ったりもした。これらの行き違いがあるたびに、障害を持った人間の気持ちはなってみないと細かいところまでは分からないのだと思うのである。細かなところまで私の現状を知ってもらおう、私の気分感情を分かってもらおうと思うのは、もう止めにしようと思うのだ(少し私にも甘えがあるかもしれない)。ただ、もう少し障害を持った者の気持ち、考えを理解してもらいたいと思うのだ。

 

 

来月(5月)は旅行記 別府・湯布院編 中②編を掲載する予定です。この続きの闘病記 第82回は8月初めに掲載する予定です。

このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)」と「デイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコースともなっており(障がい者も健常者もどちらも楽しめます)、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス小景」の3部構成で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

 今日は別府の地獄巡りから始まった。海地獄・鬼石坊主地獄・かまど地獄・鬼山地獄・白池地獄のグループと血の池地獄・龍巻地獄のグループは2つのグループに分けられる。それぞれのグループ内の地獄は近く、歩いていける距離であるが、1つのグループから別のグループは離れているため、車での移動となる。このため龍巻地獄の間欠泉の様子を確認して、どちらのグループから見学するかを決めたほうがいい。

 私たちは龍巻地獄の売店で確認したところ、もうすぐ噴出するということだったので、龍巻地獄から見学することにした。かなりの高さで噴出し、10分ほども続いている。なかなか迫力がある。また歩くとすぐ血の池地獄があり、真っ赤な熱泥の池があり、まさに地獄のようだ。

 ここからもう一つのグループに車で移動する。まづ海地獄から見学したが、湯煙でよく見えない。そこで隣の土産物屋のビルに入り、エレベーターで2階に上り、2階のベランダから見ることにした。青い池の全貌がよく見え、周りの岩や小さな鳥居もよく見えた。深いブルーがきれいだ。さらに隣の鬼石坊主地獄へ。坊主の頭のように灰色の熱泥の泡がブクブクと噴出している。まさに地獄絵図のようだ。トイレも車いす用のトイレがけっこうあり、困ることはない。ただ地獄めぐりをゆっくり全部回ろうとすると、半日でも回れない。

迫力ある竜巻地獄

 

土産物屋の2階からは海地獄の全体が見れる

 

熱泥の泡を噴き出す坊主地獄

 様々な地獄を見た後は地獄を味わってみよう。ということで私たちは地獄蒸しの「地獄蒸し工房鉄輪」(車いすトイレあり)に行くことにした。飲泉や、足蒸し湯もある。自動販売機でセットメニューの食券を購入すると、窯にセットを入れてくれる。温泉の蒸気で食べ物が蒸されるというわけだ。卵もトウモロコシもワイルドで何故かいつものより美味しい。みんなで軽い食事をワイワイ楽しく堪能した。

地獄蒸しのセット

 

ワーイ地獄蒸しの完成だ

 

地獄蒸し工房鉄輪

 お昼は大分名物の関サバ関アジである。有名店の「佐賀関食堂」に入る。海辺にあり、天気が良ければ美しい海が眺められるのだが、あいにく曇り空で、味に集中するしかない。さすがに普段食べているアジやサバとは別格。旨味と甘みのある魚を堪能した。

 午後は湯布院を目指す。別府から湯布院までは眺めの良い道が続く(特に別府から阿蘇までの道路を山並みハイウエイと呼んでいる)。高い木がなく、芝生の高原のような景色が続き、日本じゃないみたいな伸びやかな風景である。

 由布院駅前の駐車場に車を止め、歩き始めるが、雨が降ったりやんだりである。歩いている道に人気がないなと思ったら、1本道が違ってたので慌てて違う道へ。そうしたらここは原宿かと思うほど混雑している。土産物屋やカフェ、グルメの店など大賑わいだ。できて新しいフローラルビレッジにはフクロウカフェや魔女の宅急便のキキの店もある。

 私たちはさらに進み、ドクターフィッシュのいる足湯に着いた。一度やってみたかったのだ。足湯に足を入れるとワッと魚が群がってくる。しかし歯が無いので痛くはない。足の古い角質を食べてくれるが、くすぐったくてしょうがない。他の人は何ともないのに、私はつい体が反応して足が湯から出てしまう。ジーさんになって初めて自分が人一倍くすぐったがりなのが分かった次第だ!!

 ここからは金鱗湖はもうすぐである。

 金鱗湖に着いたのだが、地方の店の閉店は早い。喫茶店も売店も店じまいを始めた。湖は周りの店が閉め始めたせいか、静謐な佇まいである。私たちはかろうじて開いていた土産物屋に入り、買い物を楽しんだ。

ここは原宿かと思うような湯の坪街道

 

フローラルヴィレッジ・魔女の宅急便キキの店

 

もう勘弁して!

 その後ホテル「ゆふいん七色の風」へ向かった。部屋はもちろんバリアフリールームである。建物は古いが、リーズナブル。ホテルから由布岳が見える。食事は座敷であるが、テーブルと椅子がないと食事できないと言うと、快くテーブルと椅子を用意してくれた。

ホテルから眺める由布岳

 

 

来月(4月)は闘病記第81回を掲載する予定です。この続きの旅行記別府・湯布院編中②編は5月の初めに掲載する予定です。

 

 

このブログは毎月更新です。内容は「闘病記(私が脳梗塞を発症してからの私の手記と妻の手記を中心に掲載)」と「旅行記(私が病気になってから車いすで旅行したもの)」と「デイサービス小景(私が通っているデイサービスの面白い出来事やキャラクターを中心にデイサービスの日常を紹介したもの)」を交互に掲載。旅行記は障がい者(車いす利用者)と健常者との観光モデルコースともなっており(障がい者も健常者もどちらも楽しめます)、闘病記は発病からの経過を記録したものです。「旅行記」と「闘病記」と「デイサービス小景」の3部構成で障がい者や高齢者の理解が進めば幸いです。

 

 

●このブログ(闘病記)中で夫婦の手記が混じっているため

 私の手記―太文字

 妻の手記―普通サイズ

 とし書体を替えて、一目でわかるようにした

●文中によく出てくる略語の意味は次のとおりである

 ST[speech therapy(therapist)]:言語療法(言語聴覚士)

 PT[physical therapy(therapist)]:理学療法(士)

 ОT[occupational therapy(therapist)]:作業療法(士)

 

 

                 目次

  第1章・・・・・発病してS病院に入院

  第2章・・・・・Kリハビリセンターに転院

  第3章・・・・・Мリハビリ病院に転院

  第4章・・・・・K医療センター

  第5章・・・・・再びセンターへ

  第6章・・・・・自宅での療養生活

  第7章・・・・・発症後、初めての旅行

  第8章・・・・・ショートステイ

 

 

第6章・・・・・自宅での療養生活(2005年8月~2008年)

 

 

■うまくコミュニケーションがとれない

 家では妻だけでなく、娘も息子も思った以上に私の介護をやってくれた。私は2人とも優しい子に育ってくれたと感謝するばかりである。私の病気発症以来の闘病生活を綴った手記「私の病歴」に対応して、妻や娘も日記を書いたようだ。読んでみたが、私の病気の回復への願いや驚き、哀れみが溢れていた。病気を発症して、子供の気持ちを初めて知った気がした。病気になる前は、こんなに子供と話をしたであろうか。特に息子が私と話したがっていたとは知らなかった。病気になって初めて気づいたことである。

 しかし、一緒に再び生活を始めると、欠点やすれ違いも見えてきた。感情のすれ違いや介護という初めての経験、病院生活2年間のお互いのブランクが生み出すものもあるのはやむを得ないことかもしれない。私は病気になって以来、特にリハビリを通して何事にも気を長く持つようにしていたつもりである。すぐには成果は上がらない。今までのように早くはできないが、重要なことは少しづつでも前に進むこと、続けることである。そう納得していたつもりだが、短気が出てしまうこともある。

 私は喋れないので文字盤を使う。しかし文字盤では長い説明は難しい、それに微妙なニュアンスは伝えられない。勝手な解釈をされて、つい短気を起こしてしまう。何よりコミュニケーションは生き物である。場の雰囲気に合った的確でスピーディーな表現が必要なこともある。しかし、それは文字盤では無理である。

 適切なコミュニケーションができない。

 どんどん話がそれていっても、即座に修正できない。何より喋れないこと、思っていることがうまく伝わらないことへのいらだちで、つい短気を起こしてしまう。そんなことは分かっているはずなのに、いらいらしてしまう。妻や娘は私のいらだちにいら立ち、悪循環に陥っていく。私はもう文字盤のことも忘れ、感情を爆発させてしまう。また近くにいても、喋れないので私の伝えたいことにも気づかないこともある。まるで私の存在などないかのように。また食事をする時大きく口が開かないので、こぼしたり、なかなか入らないことがあると、つい短気をおこしてしまう。それも分かっていたはずなのに。実際に生活することと病院でのそれとは違うのだ。

 

 

 

 

来月(3月)は旅行記別府・湯布院編中①編を掲載する予定です。この続きの闘病記第81回は4月初めに掲載する予定です。