今はお祭りの時期。

子供の頃は9月のお祭りウィークが毎年楽しみだった。

お祭りの日には親戚の家に招待されて、親戚の地元のお祭りに参加した。ご馳走を食べて、子ども神輿に参加して、終わったらお祭り会場の出店をのぞいたり、ステージでの売れない歌手の歌謡ショーを楽しんだ。その次の週には親戚を呼んで実家のお祭り。ご馳走を食べて、翌日は大きなお神輿を引いて、お駄賃をもらった。さらに当時は地元地区主催の運動会もあって、ミニマラソンで必死に走った。

どのシーンも今でも朧げながら覚えている。30年以上前の記憶なのに今でも記憶に残っているのは、本当に楽しみで、実際楽しかったからだろう。

やがて、運動会がなくなり、子どもお神輿の年齢から外れ、親戚とのお祭りの行き来もなくなってきて寂しく感じたものだ。

大学を卒業し、地元に就職して地元コミュニティの青年部に入って、お祭りを主催する側になった。休日のたびに何かしらの作業や集まりがあった。少年時代の恩を忘れ、遊びたい盛りの当時は煩わしさも感じたが、地元を離れ、東京で生活しているとそうした地域の繋がりが薄くて寂しいと感じる事が多く、コミュニティの大切さを実感する。

一方で今住んでいるところにも町会があって、お祭りもあるが、中々運営する側に回れていない。

このまま歳を重ねて老後を迎えた時、人との繋がりを感じながら生きていけるのだろうか。人は一人では生きていけない。よく聞く言葉。時が経つにつれて、自分の周りの人や社会の環境が変化していて当たり前のものがそうではなくなってきた。また、心身共に人に頼らざるを得ない事が多くなってきて、一人では生きていけないという意味を年々実感するようになってきている。周りに助けられて何とか今を生きている。お祭りのシーズンは特に人との繋がりの大切さを感じる時期でもある。支えられていることに感謝し、恩返しができるよう、少しずつでも繋がりを作っていきたいと思う。




新宿駅構内東西自由通路に巨大な広告ビジョンが設置されていて、定期的に様々な広告が放映されている。


今週は某天然水の広告




そこで流されていた映像




我が故郷の自然。

新宿駅でこの映像をみた時、上京した時の事を思い出して泣けてきた。


故郷を愛しているからこそ込み上げてくるものがあったのだと思う。






ありがとうサントリー。





この広告ビジョンではたまにアイドルや人気アニメの広告が放映されているが、その時は撮影している人が沢山いる。今日撮影していたのは私だけ。

もう燃え尽きたのだろうか…。


最近、ランニングに関してそう考える日々。


5年ぶりに出場した今年の長野マラソン。25km地点でリタイアした。自身初めて完走できなかったレースである。今回はコロナ明けかつ椎間板ヘルニアからの復活を期すためスタートラインを切ることを目標にしていたので、リタイア自体は想定できていた。それでも完走できなかった悔しさは多少でも沸くのかなとも思っていたが、実際そうでもなかった。こんなもんかな、位の感じ。


おそらく、走ることの習慣も無くなったことも影響しているのだろう。ある程度までは、走る距離に比例して、走力向上→喜び→走ることの意欲の高まり→もっと走るようになる→走力向上といったサイクルが生まれるのだと思う。今の自分は逆の負のスパイラルに陥っている。


椎間板ヘルニアの影響で左足のマヒは今でも残っていて、これは生涯ずっと抱えることになるだろう。加齢なども考慮すると、サブスリーは夢のまた夢、サブ3.5やサブフォーも困難である。すでに達成している記録を狙うモチベーションもない。今回の長野マラソンでも悠々とゴールしているランナー達がどこか別の競技で走っていたかのような感じもあった。。


そういう訳で、すでに今は市民マラソンランナーとして走ることは辞めている。とは言え、リハビリの為には走らなければとは思っている今日この頃。






一昨日椎間板ヘルニア切除の手術を終えて、今朝、腰から出血を体外に流す管を抜きました。そして、今ようやくブログを書けるコンディションまで回復してきたところです。


昨年(令和4年)2月21日の朝に発症した椎間板ヘルニア。ピキッと腰に電気刺激のような痛みが走り、立てなくなりました。最初はこれがいわゆるギックリ腰かと思っていたのですが、その2日後に左脚にものすごい激しい痛みが襲ってきました。10分に一度のペースで。あまりの痛みに死にたいと思えるくらいでした。それで翌日に病院でブロック注射をしてもらい、痛みは何とか治ったものの、それ以降左脚の一部(太腿の裏、ふくらはぎの外側、踵から小指の側面)に感覚麻痺の症状が出たのと、足首の著しい筋力低下が認められました。つま先立ちができないという状態です。


最初は保存療法を試みて、発症から4ヶ月経過後、MRIで確認する限りではヘルニアはかなり消失しました。ただ、半年を経過しても麻痺と筋力低下は戻らないまま。さらに、歩いてもお尻の辺りから痺れるような刺激が入ってだんだんと歩く力が抜けていくような感じが続いていました。


秋にはヘルニコア注射を試みました。ただ、ヘルニコア注射後も症状は戻らないままでした。


この1年間このまま戻らないかもしれないという不安が常にありました。障害として残ってしまうのではないか。もう、マラソンを走る事はできないのではないか。絶えず不安でした。ただ、また痛みがなく走れるようになりたい、元のレベルまでとはいかなくても。子供達とスポーツがしたい。その思いが、今回の手術の決断に至りました。


今思えば、椎間板ヘルニアを患った原因は自分はストレスかなと考えています。当時は家庭のことや仕事のことでものすごいストレスがかかっていた事を思い出します。よくここまで乗り越えたと思えるくらいです。


術後は経過は順調で、まだ麻痺や筋力低下は治ってはいませんが、お尻からの痺れが治まり、少しずつ動けそうな予感がしています。希望を持って頑張れそうです。