この記事を書いているのは2025年(令和7年)6月。
なぜ今長野マラソンの事を書こうと思ったのかは気分としか言いようがない。ただ今回の長野マラソンを完走して、個人的には特別なものとなったことは間違いない。
今年の長野マラソンは4月20日に開催された。長野マラソンは自身初のフルマラソン完走を達成した思い出の大会でもある。27回の開催を数えるこの大会だけで10数回走ってきた。
あくまでただの市民ランナーとしてだが、走ることにおいてはここ数年は試練とも言うべき状態であった。それは、最後にフルマラソンを完走してから新型コロナの影響で大会が相次いで中止となって大会に出られなくなったことが一つ。それから、制限がありながらも大会が開催されるようになった矢先に椎間板ヘルニアを発症したことが何より大きかった。
椎間板ヘルニアは思ったより重症で、最初は左足に全く力が入らず、100メートル走ることすらできなくなっていた。アスファルト上を走っているのに力が伝わらず、まるで柔らかい砂浜を走っているような感覚だったことを今でも覚えている。歩いていても途中で腰からの痺れがきて休まなければスーパーで買い物もできなかった。あらゆる保存療法を試したが完治せず手術に踏み切った。術後、腰の痛みはだいぶ改善されたが、長期間のリハビリを要した。椎間板ヘルニア発症後から症状がある左足の一部麻痺と足首に力が入りにくい神経の損傷は今も残っている。
そんな状態から、一昨年に東京レガシーハーフマラソンを走り切り、昨年、長野マラソンに出場。完走はできなかったものの5年ぶりにフルマラソンのスタートラインに立つことができた。以降、足の状態の良い時に少しづつ練習を積み重ね、今回の長野マラソンでついに完走することができた。
今回は、前回の長野マラソンで途中棄権した25km地点を超えてまもなく27km過ぎで痙攣を起こし、32km過ぎてからは左足に力が入らなくなった。37km過ぎてからは強風と気温上昇でタフなコンディションにもなった。もう走っているとは言えないくらいのペースだったし、沢山歩いた。それでも前進は止めなかった。順位やタイムなんてどうでもいい。ただ、完走、それだけは諦めたくなかったからだ。最後、スタジアムに入ってからのラスト200mは人目憚らずに号泣していた。たくさんの苦労があって、それが全て報われるような込み上げるものがあった。
一緒に走ったり応援してくれた弟、家族や仲間の存在が大きな励ましになった。走る時間を沢山作ってくれた家族にも感謝したい。
ここ数年走ることに対してたくさんの試練があって、普通に走ることが当たり前でないこと、いつまでも走り続けられる訳ではないこと、それでも絶望の中からでも諦めなければ道はひらかれること、チャレンジを続けることの大切さを経験した。まさに人生そのものだと思った。一人一人にそれぞれのゴールがある。それを実感した大会となった。
また、走ろう。




