感謝してます。
司馬遼太郎さんの本を読んでいると
「道具」ということについて書かれていることが多い。
織田信長は
人を道具としてみていた。
河井継之助は
刀は刀でしかない。
魂が宿るということよりも
道具としてみている。
自分も
PCのソフトや
スマホ、カメラ、お金は道具だと思っている。
スマホやカメラ、
愛着はあるかもしれないけど
最低限、道具としての機能がなければいけない。
そう考えた時に
自分の体も道具なのかもしれない。
自分の体は何をするための道具なのか。
人生を楽しむための道具
人(自分も含む)に親切にするための道具。
なんとかなる。
このことがダイヤモンドに変わります。
ふわふわする。