(仕事に遊びに縁の深い新宿の風景)
新宿大ガードに展示されている写真のうちの1枚です。
今、高層ビルが立ち並んでいるところの昭和39年の風景。
昭和39年、1964年といえば、東京オリンピックの年。
あのころ、まだこうだったんですね。
明治31年(1898年)から昭和40年(1965年)まで、玉川上水から引き入れた水を浄化する役割を果たしていたのが、この淀橋浄水場です。
現在、その役割は東村山浄水場が担っています。
西新宿一帯は低い場所の道路とそれをまたぐ道路とが走っています。
これは浄水場の名残で、低い場所は水が貯められていた池で、池と池を結ぶ通路が上を通っている道路でした。
このあたりの地図を見るとそれがよく分かります。
浄水場の正門は今の損保ジャパンビルの東側にあり、そこには「淀橋浄水場跡の碑」があります。
また、新宿中央公園内には浄水場職員の憩いの場であった六角堂が残されています。
ここからは富士山が臨めたそうです。
「淀橋」という名称は現在はヨドバシカメラや小学校などいくつかの施設に名を残すのみで、地番としてはありません。
西新宿、新宿駅、歌舞伎町、さらには早稲田大学のあたりまでが淀橋区でした。