かつてこの地域には小浜藩主・酒井忠勝の下屋敷がありました。
忠勝は三代将軍家光の信頼が厚く、家光がこの下屋敷をよく訪れたため、この屋敷の周囲に侵入者を防ぐために竹で組んだ囲い「矢来」が築かれたことから、矢来町となったと伝えられています。
この矢来町に住んでいた「矢来町の師匠」、古今亭志ん朝。
私が大好きな噺家の一人です。
2001年10月1日。帰らぬ人となりました。
数多く聴いてきた志ん朝さんの高座で最も印象に残っているのは、亡くなる3ヶ月前の落語会でトリをとった一席。
出ばやし「老松」が始まったとたんに場内割れんばかりの拍手。
まだ志ん朝さんの姿が見えていないのに。
私も無意識に手を打っていました。
それほど皆が志ん朝さんの登場を待っていたのです。
後にも先にもこんなことは初めてでした。
(矢来町81は志ん朝宅の住所ではありません。念のため。)