歌舞伎座がある訳ではないのに何故「歌舞伎町」?
このあたりは「大久保」という地名の由来である窪地の湿地帯で、明治以降は鴨場でした。
1893年(明治26年)に淀橋浄水場の建設が始まり、残土でその鴨場の池が埋め立てられて造成され、住宅地として発展していきました。
1932年(昭和7年)には東京市淀橋区に編入され、淀橋区角筈(つのはず)という地名になりました。
戦後、焼け野原からの復興を目指し、歌舞伎劇場を中心とした商業地を建設する計画が作られました。この歌舞伎劇場は「菊座」という名称とすることになり、同時にこの地の名称も「菊町」とする案が有力でしたが、最終的に、歌舞伎劇場を中心とする町なので「歌舞伎町」となりました。
その後、歌舞伎劇場の建設は中止され、代わりに新宿コマ劇場が建設されることになりましたが、「歌舞伎町」という町名は残った、という訳だそうです。
昨日の東京都の新規コロナ感染者数は949人と、またも最多を更新。
それでも人通りが減ることのない歌舞伎町。
感染者数の増加の中心とみなされている歌舞伎町ですが、最近の傾向はそればかりではなさそうです。
歌舞伎町に限らず、来年は以前のように楽しい時間を過ごせるように戻ってもらいたいものですね。