多くの人は出かける時に髪を整え、女性なら化粧をし、行き先に相応しい服装をするなど、身だしなみを整えるでしょう。
しかし、「身だしなみ」は単に外見を整えれば良いというものではないと思うのです。所作や言葉にも「身だしなみ」が必要だと思います。
そして、「身だしなみ」はその時だけ整えようと思ってもできるものではありません。その時になって慌てて整えたとしても必ずボロが出る。
和服を着たら和服なりの歩き方などの所作があるのと同じく、言葉にも場面場面に合った身だしなみが必要だと思います。
就職のための面接があるからといって、身なりはその場しのぎで整えることはできても所作や言葉はそうはいきません。普段から何事も「ヤバイ」の一言で片づけている人たちが面接官の前に行ったからといって他の言葉が思い浮かぶわけはありません。かと言って、いつもの通りに「ヤバイ」などと言うことはできない。応答がしどろもどろになるのは当然でしょう。
少し前の話ですが、ある学生が現役アナウンサーの方に「どうしたらアナウンサーになれますか?」と尋ねたところ、「チョー、マジ、ウザイ、むかつく、かわいい」という言葉を使わずに話せるようになること、と言われたそうです。今ならこれに「ヤバイ」が加わることでしょう。
話し言葉にせよ、書き言葉にせよ、言葉にはその人が表れる。思っていることを如何に的確に、相手に不快感を与えずに伝えることができるか。そのような「身だしなみ」が言葉にも必要ではないでしょうか。
それには常日頃、場面に合った言葉遣いを心がけることが必要だと思います。
そして、その言葉の奥には善の心がなくてはなりません。善の心がなければ、うわべだけを取り繕っても聴く相手を心地良くさせる言葉は出てこないと思います。