禅宗のお寺に行くと玄関や洗面所に「脚下照顧」或いは「照顧脚下」と書かれた紙や札を目にします。
表面的には「履物を揃えなさい」という意味と捉えられているようです。履物を揃えて脱げないのは心が乱れている証拠。
公共の場や自宅の玄関。履物が脱ぎ散らかしてあるのをよく目にします。「入船」の形で揃えてあるのはまだマシな方で、脱いだそのまま、靴やスリッパが前後になっているのを目にすることも多々あります。
それを直しても直しても少し時間が経てばまた元通り。一体、どういう神経をしているのだろう、と腹を立てながらも、無駄だと分かっていても、「出船」の形で揃っていないと気が済まない質の自分はつい直してしまう。
この「脚下照顧」という言葉は、単に「履物を揃えましょう」というだけの意味ではないでしょう。もっと深い意味があるはずです。
私にはその真の意味は分かりませんが、今のところは「過去を振り返り、将来を見、今、自分がどこにいるのかを観なさい」といった意味ではないかと思っています。
過ぎたことはもうどうすることもできない。しかし、それを反省し、将来どうなるのかを決めるのは自分の意思次第。そして、そのために今、自分はどこにいるのか、何をすべきなのか。
脱ぎ散らかされた履物を揃えつつ、この言葉の本来の意味を考える毎日です。