最近目にした文。

 

「芸は一期一会。たまたまその人と同じ時代を生きることができて、なおかつその芸に接する機会を得られたかどうか。それはほぼ運次第だが、場合によってはそれがいつまでも忘れられない大切な記憶になることもある。」(日本経済新聞  6月23日 朝刊 第17面)

 

落語についても正にその通りだと思います。

 

「この噺家さんと同じ時代に生きて、しかもその芸に触れることができたことは何よりの宝物」

 

「あの人の高座を生で観たかった。」

 

こう思わせてくれる噺家さんたちがいます。

 

また、大好きだった人が亡くなると、すべてをあの世に持って行ってしまう。

 

残念でなりません。

 

どんなにたくさん弟子がいても、その人と同じ芸を持った人は一人としていない。

 

誰かが名前を継いだところで先代の芸が戻ってくるわけではない。

 

当たり前すぎる話ですね。

 

「これだけ技術が発達している時代に何とかならないものか」

 

そう思ったことが幾度もあります。

 

もしかしたら、これからAIだのCGだのがますます発達して、目の前の高座に過去の名人上手たちを登場させてくれる日が来るのかも知れませんね。

 

でも、どうかなぁ…

 

仮にそれが実現したとしても、私は「観た人」は思い出に、「間に合わなかった人」は憧れのままにしておきたいかな。