雨ですね。

 

10月に雨が降ると思い出します。

 

大雨のあの晩。

 

2001年10月1日。

 

仕事を終えて、帰宅し、夕食を摂っているところにかかってきた友人からの電話。

 

泣きながら、

 

「志ん朝さん、死んじゃったよぉ」

 

その後、友人と何を話したのか、何か話したのか話さなかったのか、何も覚えていません。

 

「矢来町」という場所がどこにあるのかも知らず、居ても立ってもいられない思いでした。

 

床に就いたものの、眠れず、つけたラジオから偶然流れてきた追悼番組。

 

「堀之内」

 

泣きながら大笑い。

 

 

護国寺での葬儀。

 

案内も受付も噺家さんばかり。

 

あの人もこの人も。

 

あんな日じゃなかったら、興奮したことでしょう。

 

一般参列者の列に並びながら聞いた弔辞。

 

涙が止まりませんでした。

 

声をあげて泣きました。

 

関係者の弔問を終えて、たくさんの有名人が出てきました。

 

桂米朝、正司歌江の姿も。

 

堂内には杖に体をもたげ、うなだれた森繁久彌。

 

微笑んでいる遺影を忘れることはできません。

 

 

それから1ヶ月ほど経ってからだったでしょうか。

 

今は協会幹部になっているある噺家さんの話を聴く機会がありました。

 

「ぽっかり穴が空いた気持ちです」

 

「会長になって欲しかった」

 

「きれる人でした」

 

ここでの「きれる」というのは、周囲や後輩に「金を使う」という意味だそうです。

 

面倒見の良い方だったんでしょう。

 

 

あれからもう22年。

 

今だに、そして、これを書いている今も、思い出しては涙が出てきます。

 

改めて、合掌。

 

(写真の番地は志ん朝さんの家の住所ではありません)