八五郎がご隠居のところに駆け込んでくる。
「伊勢屋の旦那がまた死んじまったんだよ」
「なんだその「また」ってのは。人間は誰だって一度しか死なないだろう。」
「それが、三度目なんっすよ。」
聞けば、伊勢屋は婿養子を取るのだが、来る者、来る者死んでしまうという。
伊勢屋の一人娘は、これが大変な器量よしで、よく気がつくし、申し分ない。
二人はいつも仲睦まじく、片時も離れずにいるという。
「もしかしたら、厠(はばかり)も一緒かも」
…なんてことはないでしょうが。
それを聞いた、ご隠居。
「なぁるほど、それが原因だ」
「それが、って、仲がいいと死ぬんですか?」
「そりゃそうさ、考えてもごらんよ、二人、お膳を挟んで差し向かい、だろ?」
「いや、それがね、お膳なんかどけちゃうんですよ。だから、間に何もないんっすよ」
「だったら、なおさらだ。おかみさんがご飯をよそって、旦那に渡すだろ。
すると、指と指が触れる。
白魚のような指だ。
そっと前を見る。
ふるいつきたくなるような器量よしだ。
……な、短命だろ?」
「え?それがどうして短命なんですかぁ?」
「わからんかなぁ、いいかい、おかみさんがご飯をよそって…」と繰り返す。
ようやく、
「あ、そういうことか、あぁ、そりゃ、指だけじゃ済まなくなりますね」
八五郎が家へ戻ると、おかみさん。
「さっさと食べちまっとくれよ。片付かないんだから。」
「おい、ちょっと、飯、よそってくれよ。」
「よそってって、そこぃでてんじゃないかさ!」
「いいから、よそえってんだよぉ」
「いったい、なんなんだねぇ、ほらっ」
「お!、ったく、もっとていねいにだせよ。
まぁ、いいや。
指と指が…ん?なんだい、そりゃぁ。
ふってぇ指だなぁ。
で、そっと顔を見る……、あ、俺は長命だ。」
/ 艶笑落語とか、艶笑小噺というものがあります。
「えんしょう」と読みます。
「艶」。
なんとなまめかしい字でしょう!
私などは、この文字を見ているだけで、ムラムラしてきます。(笑
そう、「艶笑落語」とはそういう落語なんです。
って、どういうんだ?
お分かりですよね?
この長命もその一種といって良いでしょうが、これはかなり「おとなしい」ので放送もできます。
しかし、放送でも、寄席でもできないほど艶やかな噺があります。
そういうお噺はお座敷芸とされているようで、ごく限られた人しかいない場所で演じられるようです。
例えば、
子ども「ねぇねぇ、お母さん、赤ちゃんってどうやって生まれるの?」
母親「それはね、神様が作ってくださるんだよ。」
(夜、父親が帰ってくる)
子ども「あ、神様が帰ってきた。」
大したことない?
では、こんなのはいかがでしょう?
嫁入り後に初めて里帰りした娘に母親が、
母親「どの家にも家風というものがあるけど、何かこの家と変わったことで苦労してないかい?」
娘「一つだけあるんです。あの家では枕をお尻の下に置くんです。」
物足りない方は動画配信サイトなどで、どうぞ。
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