道楽が過ぎて勘当された若旦那の徳三郎。

「お天道様と米の飯はついて回る」と威勢よく家を飛び出る。

しかし、お天道様(おてんとうさま:太陽)はついて回ったが、米の飯はついてこない。

吾妻橋から身を投げようとしているところを八百屋を営むおじさんに止められて、世話になることになる。

「今日からとうなすを売ってこい」。

「とうなすなんて、みっともない……」と。

怒ったおじさん、「ふざけんな、オメェに売られるとうなすのほうがみっともねぇって言ってらぁ」

 

カゴに入れたとうなすを天秤棒で担がされて売りに出たものの、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。

しまいに石につまづいて転び、とうなすをぶちまけてしまう。

そこへ通りがかった男が助けてくれ、とうなすも売ってくれた。

残った二つのとうなすをざるに乗せ、弁当をつかおうと長屋へ入って行ったところへ粗末な身なりの女に呼び止められた。

とうなすを一つ売って欲しい、と。

その家で湯を請うて弁当を食べようとすると、子供が出てきて「あ、おまんまだ。おまんま。」

 

聞けば、もう三日も食べさせてないという。

不憫に思った徳三郎。

売り上げをそこに置き、逃げるように飛び出して、おじさんのところへ戻った。

とうなすはなくなったのに、売り上げが一銭もない。

事情を話してもおじさんが信じるわけはない。

本当かどうか確かめると、徳三郎を伴ってその長屋へ行く。

 

長屋へ着くと、様子がおかしい。

徳三郎が置いていった金をもらうわけにはゆかない、返そうと徳三郎を追いかけようとした女。

そこへ大家と出くわし、溜まった店賃(たなちん:家賃)にとすべて取られてしまった。

あまりに面目ないと、女は首をくくった。

それを知った徳三郎。

「勘弁ならない!」と大家のところに行き、やかんで頭をポカリ。

 

この一件がお上の知るところとなり、大家は咎めを受け、徳三郎の勘当は解け、また、命を取り留めた女はおじさんのところに引き取られたというお話。

 

/ 徳三郎に限らず、多くの男たちが夢中になった吉原。

お金はかかるが、さぞかし楽しい場所だったのでしょう。

大門(おおもん)を出て少し歩くと一本の柳の木があります。

そのあたりで名残惜しさに吉原を振り返ったことから「見返り柳」と呼ばれるようになりました。

 

 

とうなす(唐茄子)はかぼちゃのことです。

江戸の時代には天秤棒を担ぎ、売り声をあげながら品物を売り歩く「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれる商売形態が一般的だったようです。

 

徳三郎のおじさんのような八百屋だけでなく、魚や瀬戸物など様々な物がこうして売られていました。

ネット通販ではありませんが、家にいて様々な物が手に入るという点では江戸時代が先を行っていたのかもしれませんね。

それはさておき、私が子供のころは天秤棒ではありませんが、車や自転車で野菜や豆腐を売りにくる業者がいました。

豆腐屋のラッパの音。

懐かしいですねぇ。

あと、物売りではありませんが、いつもすすで真っ黒な煙突掃除のおじさんもよく回ってきていました。

おっと、自分の昔話になってしまいました。

 

最後に。

この噺、私が最初に聴いたのは志ん生の口演でした。

クタクタになった徳三郎が田んぼの向こうに見える吉原を眺めながら「あぁ、きれいだなぁ」とつぶやく。

この一言で、実際に見たことはありませんが、遠くに見える吉原の明かりが目の前に浮かび上がります。

また、徳三郎が大家宅に怒鳴り込む場面。

悔しさのあまり言葉が出てこない徳三郎の様子。

名演です。

 

おあとがよろしいようで。