8月6日 妊娠検査薬陽性

8月7日 病院で胎嚢確認。正常に妊娠しており、HCG値は9560。

8月14日 卵黄嚢、心拍確認。
    HCG値は64391。

つわりが酷く、急遽点滴してもらえることになった。ラクテックG輸液500ml×2。


8月21日 心拍継続。



1人目と同じく酷いつわりが始まっていた。「吐きづわり」「においづわり」「食べづわり」「ヨダレつわり」
この時すでに、食べたものは全て吐いていた。食べないとさらに吐き気が酷くなるので、食べたくないのに食べて、それを全て吐く。

その繰り返しだった。胃液まで吐いていた。

この日の病院は夫に送り迎えをしてもらい、子どもも自宅で見ていてくれた。

点滴はゆっくり入れていたので3時間近くかかった。
途中で速められたんだけど、動悸がしてきてゆっくりに戻してもらった。

点滴しても気持ち悪いのは変わらなかったが、次の日に短時間だけ少し吐き気が和らいだように感じた。


そこから点滴通いの日々が始まった。

8月28日が不妊治療の病院の最後の通院日だったが、その日までに2週間で点滴に6回通っている。


夫も仕事のため、タクシーを使った。出費が凄かった。
点滴自体は630円だったのだが、タクシー代が。

自分で車を運転できる状態ではなかったのでタクシーしかなかったが、そうしてでも点滴に通いたかった。

劇的改善はなかったけど、藁にもすがる思いで。

自宅ではトイレ以外寝たきり状態で、家事も全くできず、夫に丸投げしていた。

朝のご飯を食べるまでは少しは動けたので、子どもの朝ごはんと通園準備はできた。

バスの送りはギリギリできたのでよかった。

そこからの1日は、もうずっと吐きっぱなし。

常に吐き気がしていて、吐いても変わらず。楽になる時なんてなかった。
当たり前だけど寝ている間だけ、無意識だからその間だけ。
しかし、夜中にも起きて吐く事もあった。

とにかくゲロ袋を大量に買ってきてもらい、1日に10枚近く使った。

100枚入りだったのに、あっという間に使い切って、また買い足してもらった。


子どもが幼稚園から帰ってきてからは義理の母の手を借りた。
バスのお迎え後は義実家に子どもを連れて行ってもらい面倒をみてもらった。

ありがたかった。

夫が仕事帰りに寄って夕飯を食べさせてもらい、子どもと帰ってくる。

帰ってきてからは、洗濯、食器洗い、幼稚園の準備、子どものお風呂も全て夫がしてくれていた。


そんな生活が続いた。

できる人でよかった。当たり前の如くやってくれる人でよかった。

文句も言わず。

子どもにも優しく。

伴侶に恵まれた。

かなり負荷をかけてしまっていたのに。

夫も体調崩してしまうのではないかと思った。

何もできないし、やる気にさえならない妻の私は自分のことで精一杯だった。

夜寝る時も、私はリビングに布団をひいて一人で寝ていた。

悲しいかな、子どもの匂いさえも吐き気を酷くさせてしまっていたから。

しんど過ぎて子どもを遠ざけてしまった。

抱きしめてあげる回数も減り、たくさん我慢させてしまった。

たった3歳半の子に、寂しい思いをさせてしまっていた。

幼稚園に通っていたのは救いだった。先生やお友だちがと過ごして笑顔でいられる時間が子どもにあった事に心から感謝した。

義両親とも楽しく過ごしてくれていたし、夫も仕事後や休日に子どもとの時間をこれまで以上に丁寧に過ごしてくれていた。


つわりは5週半ばから13週まで毎日吐き続けた。

痩せてやつれて、老けた。

13週以降も吐きづわり以外は継続してあった。

「ヨダレづわり」に関しては16週時点でも続いている。


つわりとは関係なく、妊娠糖尿病関係で13週に入院した事や、出生前診断についても書いていきます。