近藤まさ子です
本日も区民相談で数件訪問
帰りに昼食と夕食の買出しをしていると
糖質0とはありがたい
その後は自宅にこもり・・・
明日開催する議会改革検討会の準備
政務活動費における第三者機関の導入についてです
そして、2月中旬から始まる議会モードへφ(.. )
途中、お電話でのご相談にも数件対応
それにしても、残念ながら今回の視察では訪問できませんでしたが、別府市の障がい者施策の淵源は51年前の太陽の家の創設にあったと思えてなりません
創設者は故中村裕博士
何と中村先生は、英国のストーク・マンデビル病院に留学し、「パラリンピックの父」と言われているルードウィッヒ・グットマン医師の影響を受けておられたのです
近藤まさ子も下記ブログにて紹介
http://ameblo.jp/masako-kondo/entry-11351156762.html
リハビリテーションにスポーツを取り入れ、様々な分野の人と連携して、脊髄損傷者の社会復帰を支援していたグットマン医師に中村先生は衝撃を受け、身体障がい者の社会参加、特に仕事を通じての自立とスポーツに情熱を注ぎ始めました
中村先生は1964年東京パラリンピックの選手団長
そして、障がい者は仕事をもち自立することが最も必要であるという信念に至り、 「保護より機会を!No Charity,but a Chance!」~人間としての尊厳が保たれる社会の実現~ 「世に身心障がい者はあっても仕事に障害はあり得ない」という理念の下、1965年太陽の家を創設しました
太陽の家では、オムロン・ソニー・ホンダ・三菱商事・デンソー・富士通エフサス等と提携して共同出資会社をつくり、多くの重度障がい者を雇用
そして、スポーツ面での実績は日本で初めて
1975年の第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック大会)
視察中に別府市内を歩いている時Big Saprize
今回の視察でも、福祉を語る方は必ず太陽の家の中村博士のお話から始まっていました
太陽の家は別府市の皆さんの誇りでもあるのですね