近藤まさ子です
天才書家金澤翔子さんを育てた書家である母泰子さんの講演が実現しました
一緒に死のうと思ったが娘の笑みが母を救った
出産後50日目、医師からは知能は無く歩けないだろうと言われ、我が子を初めて抱いたとき涙があふれた
初めて抱かれた母に泣かれているのに、我が子は何とも言えない優しい笑みを母に浮かべていた
クラスの皆が優しくなる、翔子ちゃんはいていいのよ
普通学級で受け入れてもらえ、娘にも価値があるのだと初めてわかった
うちではもうあずかれないと学校から言われ
4年生の時やっぱり私たちは駄目なんだと退学
10歳で般若心経を10回書く
とても辛い日々の中で、般若心経を書かせた
母はうまく書けないと娘を怒り罵った
娘ははらはらと涙を流しながら書く
そして、一行書くとありがとうございましたと言う
この時の3000字で書の基礎ができた
人と比べなければ障がいにはならない
翔子自身は苦しんでいない
母の私が人と比べて苦しんでいただけだった
知的障がいで恵まれていた
学歴社会から外れ、競争する必要もなかった
魂に汚れが付かなかった
IQは低くても違う知性が育った
翔子の書を見て人は涙を流す
魂のレベルで感動できる線
欲もなく無心で書く
考えて書くものではなく魂から出る書
染色体が一つ多い(=ダウン症)と嘆いていたが
皆を平和に幸せにするメッセージが
この染色体に込められていると分かった
希望も絶望も光明も闇も誰にでもあることが分かった
人知を超えた力は必ずある
子どもの才能を開花させた泰子母
まだまだ開花させきれていないまさ子母
講演後暫し懇談
素晴しい出会いに