このアルバムのレコーディングは、自分自身よく出来たと思えるレコーディングだった!
これでようやく日本いや、アジアにいる僕らから生まれた『R&B』が確立されると確信していた。
1ヶ月に渡るレコーディングから、アレンジャー兼プロデューサーの井上鑑氏と共に意気揚々と日本に戻って来た。だが、移籍したレコード会社「CBS Sony 」も、当時所属していた プロダクション「Kitty Artist 」も僕に対しての反応は、意外と冷ややかだった…。
アルバム関する予定も何も、その時はアナウンスされなかった。 「えーっ?なんで?」 という言葉が思わず口に出た。
世界のトップを走り続けている最高のミュージシャンが全員、『Yeah ! Masaki!』と言ってくれ、「Welcome Party 」までやってくれて、アメリカ側のミュージシャンやスタッフの皆が、『正樹!、必ず戻ってきて!また一緒にやりたい!』と言ってくれたあのサウンドを含めた一体感は、いったいどこへ追いやられてしまったのかという思いだった。
日本の音楽シーンとアメリカの音楽シーンの違いというか、何か深いところの差というか違いを感じた。
しかし僕は、めげなかった。 あの素晴らしいグルーヴの中で歌えたことが、素直に誇らしかった。 ますます、音楽にのめり込んでいた。
その頃あるラジオ番組で「上田正樹は、大阪を捨てた。」と大阪出身の芸能人が言って批判的だったと、僕の友達が教えてくれた。 サウスを解散したあと、僕が拠点をを東京に移したことが原因で批判したのか。少しこのことが話題になってるとまた人づてに聞いたとき、「これは音楽となんか関係あるのか?何を言いたいんだろうか?」と少し嫌な気持ちになった。でも、僕はこのレコーディングを通してグルーヴを掴めたことで、そんなことはもうどうでもいいという思いになった。
また、同じタイミングでCrusaders(クルセイダーズ)の日本公演があった。このバンドは 偉大なピアニスト"ジョー・サンプル"が率いるグループで、彼はロスでプレイをしてくれたギタリスト"デイヴィッド・T"からの誘いで、スタジオに遊びに来てくれていた。ドラムはスティックス・フーパーから、今回のロスのレコーディングで全曲ドラムを担当してくれた、レオン・チャンクラーに代わっていた。そんな彼らに会いに行った。
Crusadersのライブは、本当にソウルフルな、素晴らしい演奏だった。 彼らのコンサートが終わって彼らに会うために楽屋までの通路を歩いていると、ジョー・サンプルとレオンが、目の前に現れた!『Hey ! Sweet Cupid Man !』と僕に、叫んでくれた。 嬉しかった。 そして 『How is the new album selling ?』(新しいアルバムの売れ行きは、どう?)と、レオンに聞かれた。
しかし、僕は答えることが出来なかった。
アルバムは、まだ発売されていなかったからだ。
所属するレコード会社とプロダクションの意向と僕の音楽に対する思いが、お互いチグハグになっているような感じになっていた。そのアルバムは、レコーディングから3年が経ち、ようやくアルバムがリリースされた。
レコーディングが終わってアルバムタイトルを『No Problem』と決めていたのだが、実は問題ありすぎだった。
内容は素晴らしくようやく自信を持てるアルバムが出来たという思いが空回りするような、苦い思いをしたが、今でも胸を張れる自分でも大好きなアルバムです。またこういう素晴らしいサウンドでいっぱいにしたアルバムをリリース出来るように頑張ろうと思います!
※写真は最近のレコーディング風景です。