もう42年前になる。
 
1979年の1月、井上鑑氏にアレンジを依頼してロスアンゼルスで、およそ1ヶ月かけて自分のアルバムを、レコーディングをした。
 
そのタイトルは「NO PROBLEM」
 
ジャズ •トロンボニストでもあり、数々のレコーディングセッションにも参加していた、アメリカの大御所ジョージ•ボハノン(George Bohanon)がこのアルバムのためにその当時考えられる最高のミュージシャンを集めてくれた。
 
ドラムに、レオン•ンドゥグ•チャンクラー(Leon Ndugu Chancler)。彼は、マイルス・ディビス、マイケル・ジャクソンなどのレコーディングに参加し、サンタナ、クルセーダーズ、ウェザー・リポート、ライオネル・リッチー、セロニアス・モンク、ハービー・ハンコック、ジョン・リー・フッカー、フランク・シナトラなどジャンルを超えて、たくさんの素晴らしいアーティストのバックアップ・ミュージシャンとして、正に世界の音楽を支えて来た人だ。
 
ベースには、フレディ・ワシントン(Freddie Washington)。この人もスティービー・ワンダー、アーロン・ネヴィル、ホィットニー・ヒューストン、ドナルド・フェイゲン、エルトン・ジョン、クルセーダーズ、B.B キング、アル・ジャロウなどのレコーディングやツアーメンバーとして活動してきたベーシスト。
 
そしてベースにはもう1人、ネイザン・イースト(Nathan East)も参加。彼はジョージ・ベンソンやジョー・サンプルらと共演し、後に、エリック•クラプトンのツアーにも参加している。
 
ギターにはギタリストとして僕が最も尊敬する、デイヴィッド・T・ウォーカー(David.T.Walker)。彼もマーヴィン・ゲイ、ボビー・ウーマック、ジャクソン・5、クィンシー・ジョーンズ、ダイアナ・ロス など数えきれない程のたくさんのアーティストのレコーディングセッションをしてきた人だ。
 
そしてもう1人、素晴らしいギターのカッティングをしてくれた、グレッグ・ポーリー(Gregg Porlee)。
 
そしてピアノに、クラレンス・マクドナルド(Clarence McDonald)。彼は、ビル・ウィザーズの名曲「ラブリー・デイ(Lovely Day)」や「レット・ミー・ビー・ザ・ワン・ユー・ニード(Let me be the one you need」や「テンダー・シングズ(Tender Things)」のレコーディングとプロデュースをした人物だ。
 
そしてオルガンには、レグナルド•ソニー・バーク(Reginald “Sonny”Burke)。彼も多くの、ソウル・ミュージックを支えてきた人。
 
そしてパーカッションには、パウリーニョ・ダ・コスタ(Paulinho Da Costa)。彼もジャズ、フュージョン、ソウル、ポップと数々の名盤と言われるレコーディングッションに参加してきた人。
 
そして、R&B のサウンドの屋台骨とも言えるホーンセクションは、ジョージ•ボハノン氏が、世界最高とも言えるチームを作ってくれた。
 
バックアップ•コーラスは、ウォーターズ(Waters)がやってくれた。クィンシー・ジョーンズの秘蔵っ子と言われていた彼女たちはこの後、80年代には、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のレコーディングに彼女は起用された。
 
このメンバーは当時の世界を見回しても、僕の中ではベストメンバーだったと思う。
 
42年前のことを僕自身がどうしても記憶に残しておきたいので、ブログにしてみました。本当にワクワクするようなレコーディングが始まります。
 
...part.2へ続く...