レイ・チャールズ❗️

 

この人がいたから、歌を歌ってこられたと思う。

初めてレコードを買って聴いた時の感銘…。

ホールの最前列でライブを聴いた時の、涙が溢れ出る衝撃の感動…。

 

もう自分でも判らないくらい数、彼のコンサートを見に行った。

お金がなく、コンサートホールの裏口からスタッフのフリをして入り、つまみ出されたこともあります…(反省)。

 

大阪でSouth to Southをやっている時に、ある雑誌社の知り合いから電話があり「レイ・チャールズとの対談の企画があるんだけどインタビュア―をやりますか?」と言われ、「やります!やります!いつですか?」「すみません、明日の昼過ぎに都内です。」。

 

すぐに車を持っている友達に電話をして、夜通しかけて東京に行き、レイ・チャールズに会うからにはと、早朝にやっている銭湯に行き身を清め、散髪屋さんにも行った。

 

対談は、彼が滞在しているホテルのスィートルームでだった。

僕は気が遠くなるくらい緊急していたが、勇気を振り絞ってレイ・チャールズに聴いてもらいたいサウスのライブで歌った「Georgia on my mind」を、持参したカセットで聴いてもらった。

 

聴き終わってから少し間を置いて『Hey My Son !』とレイ・チャールズが僕に言ってくれ、僕の肩に彼の手を回したまま対談が始まった。

 

本当に、レイチャールズの息子になった気持ちだった。

天にも昇る気持ちのまま、僕はいろいろ質問をした。

 

事前にもらった雑誌社の対談のシナリオは、何処かに飛んでいた。そして、僕の最後の質問で「あなたにとって、音楽とは何ですか?」と聞くと、レイは『私にとっての音楽とは、血のようなものだ。私の体を流れている血のようなものなんだ!』と言った。その時、僕の肩を抱いている彼の腕に力が入った感触が今でも残っている。そこで対談は終わった。

 

そこから何時間も、誰とも話が出来なかった。

「よーし!もう一度、一からやろう!」と心に決めた。

 

時が経ち、日本で「Black Heritage Festival (ブラック•ヘリテージ•フェスティバル)」というコンサートが、豊橋の野外であった。僕も出演した。

最後は、レイチャールズだった。

 

自分で椅子を運び、レイチャールズの真後ろで聴いた。

感動で涙を流しながら聞いている僕の真横で、同じように涙しながら聴かれている1人の婦人がいた、その人に『Hey My Son!』と言われた。よく見るとオデッタ•ホームズだった。

 

又、時が経ち、僕はアジアで仕事をしていた。

マレーシアのクアラルンプールから、インドネシアのジャカルタに戻る途中の機内で何気なく新聞を見ていたら、レイ・チャールズの死亡の記事が掲載されていた。嗚咽するくらい泣いた。2004年6月10日、73才没。

 

レイ・チャールズは、僕の心の中でずっと生き続けている。

 

僕のおすすめの、レイチャールズの2枚のアルバムです。