『精霊の囁き』山川紘矢・山川亜希子 著 PHP研究所 刊 | まさきせいの奇縁まんだらだら

まさきせいの奇縁まんだらだら

原因不明の「声が出ない症候群」に見舞われ、声の仕事ができない中で、人と出会い、本と出会い、言葉と出会い、不思議と出会い…

瀬戸内寂聴さんの『奇縁まんだら』というご本を真似て、私の「ご縁」を書いてみようと思います。

山川先生のご本と出会いに、青葉台のブックファーストに行った。面置きのご本が目に入ったけど、それは違う気がして、検索マシンで探して、他にたくさん見つけた。
 
一目で引かれた『精霊の囁き』。
 
山川先生関連本は、面置きご本のある棚の一番下の段から、隣の棚の最上段にかけて、並んでいた。同じ作家のご本はそろえようよ、と思ったけど、まあ本屋の都合ならしょうがない。
 
そこで、さらに気になるご本があった。
『スピリチュアル旅へ』山川亜希子著。
 
私は旅が好きなのだけど、旅行記は読まない。自分自身が体験したいわけで、人の旅など全く興味が無い。なのに、なんで?
 
中をちょちょっと見ては棚に戻し、他の本を探ってはそれも戻し・・・
他の売り場も物色して、30分程も迷ってから、もう観念して、その2冊をレジに持って行こうとしたら、まだ袖を引っ張るのがいたので、結局3冊。
 
もう一冊は『神さまに愛される最高の生き方!』。
全く関連がわからなかったのだけど、昨日なんとなく示唆された・・・?
フィンドホーン?
 
まだよくわからないので、こちらはあらためて。
 
奥付を見ると、3冊とも「2018年」。あらま。選ぶ際、全く気にしてなかったけど、意味があるのかな?
今年出会うべくして、私用に用意されたメッセージが入っているのかな?なんちて。えへへ。
 
早速、『精霊の囁き』と『スピリチュアル旅へ』を、並行して読み始めた。
あら?『精霊の囁き』も、亜希子先生なんだ・・・
どうやら私は、亜希子先生から、ご本を通じて、教えをいただくことになっていたらしい。
 
音読するので、相応に時間がかかる。29日『精霊の囁き』を読了して、「アワの歌」を知った。イザナギ・イザナミの神が作ったとされる。山川先生を真似て、YouTubeを見たのだけど、どれもピンと来なかったので、つい自分でも曲をつけてしまった。
 
こういうのは嫌われるかな?と思ったけど、「嫌われる勇気」を持って、そのうち発表できればいいな。
数分でするする出てきて、完成した!と思ったら、もひとつ調違いな感じで出てきたので、最初のをイザナギ、明るいのをイザナミにした。
 
2017年3月に行った淡路島の伊弉諾神宮を思いだし、お土産に買って渡しそびれの「なほらひ飴」を断捨離ついでに見つけたとこだったので、だいぶ古いけど、ご縁のような気がして食べた。前よりおいしくなってる気が・・・
 
でも、残念ながら、「アワの歌」で私は元気が出なかった。私は、「亜希子先生のささやき」によって、トラウマ掘り出し中になってしまっているからかもしれない。
 
いやあ、出てくる出てくる。忘れていたことじゃない。それら自体は、昨日のことのように鮮明に覚えている。
 
中でも、幼稚園の帰り道、女の子3人組で変態青年に遭遇したことは、「なんてことなかった」って勝手に思い込んでたけど、鮮明に覚えてるってことは、かなりのショックだったんだよね。
 
公園の奥のひっそりした所に連れ込まれて、まあ変態が要求するようなことを要求してきたのだけど、要求するだけで、なぜか絶対触ろうとはしなかったから、泣き出した一人を目で「泣いちゃダメ!」とにらんでガマンさせて、みんなで変態の要求に従った。
 
解放されてから、誰かが警察に行こうと言い出して、「ああ、こういう時、警察に行くのか」って思った記憶がある。緊張の糸が切れたんだな。
 
今考えると、それなりに大騒動だったハズだけど、そこのところは、覚えてないというより、子どもの目や耳に入らないように隠されてしまったのだと思う。事情聴取された以降のことは全く知らない。
 
泣くの止めたのも全くの本能だったと思うけど、今考えると、騒いだら口塞がれて死んでたかもしれないし、そうでなくても、そのまま連れ去られていた可能性だってあったわけで、大きなトラウマになってるっぽいって、今回はじめて気づいた。
 
どんな要求だったかは、想像にお任せ。変態が捕まったかどうかは知らないけど、お父さんになってたら、「娘に同じことされるんじゃないかって恐怖と戦う毎日」というバツが下ってるだろうから、想像して「ザマミロ~」と思うことにした。
 
ちなみにだけど、幼児にはけしからん!けど、大人はOK、とか、強姦は非道だけど痴漢はOK、とか、無いからね。全部ダメ。
 
さらに、私も、この事件について書くの迷ったのだけど、被害者が「恥」だって思わされてしまうって、おかしいよね。された方が、同情という衣を着せた白い目線で見られてしまうような風潮。
 
たぶん、そこら中で起こってる。今ずいぶん問題として出るようになったし、「Me,too」運動も起こってる。けど、被害者が「可哀想」っていう白い目で見られるのは、変わってない気がする。
 
問題は被害者じゃない。被害者にならないように自衛することは必要だけど、それは個人の問題。
 
自衛しない被害者が悪い、なんて考える人がいるかもしれないけど、自衛したって起こるし、だいたい幼児や子どもに期待する方が間違ってる。
 
「加害者にならない」、だと思う。
 
「さとり」が、加害者にならない為に有効なら、加害者を生み出さない為に、さらにさらに、広く浸透して欲しいと思う。
 
私にも、できることがきっとある。
 
他にも、私は人に頼み事をするのが苦手で、特に、甘えるということができない。ある時、「どうして甘えないの?」と言われて、「甘えて欲しいの?」って驚いて、驚かれた。
 
甘え下手は、今も大きなコンプレックスで、ずっと生まれつきの性格だと思っていたけど、これも育ち方の影響が大きいと気づいて、愕然とした。いろいろと思い当たる節はある。誰が悪いわけじゃない。
 
いくつもの状況が重なって、自立性や自主性を身につける中で、他人への迷惑を極端に恐れる性格へと進化したのだろう。
 
そんなこんなのいろんなことが、対人関係や生き方、性格に、大きく影響していたらしい。
 
「亜希子先生のささやき」を聞いて、いいように納得させていた感情が、実は感情を抑え込んでいただけだったことに、いくつも気づいてしまった。
 
気持ちを抑えた場面を思い浮かべ、その時の自分に、今の自分を重ねると、身体の中心から様々な強い感情がわき上がってくる。
 
私だけじゃない。誰にもあると思う。まずはそれを、思い出すこと。
 
『精霊の囁き』は、亜希子先生のささやきを通して、思い出すきっかけをくれた。いっきに思いだし過ぎて、混ぜた絵の具状態になってしまって、頭がどろどろ。30日中にアップしようと思ってたのに、まとまらなくて、大晦日になってしまった。
 
明日の元旦は、少し脱皮できて、軽くなった「まさきせい」をお届けできればと思う。

山川紘矢先生、亜希子先生、ありがとうございます。今年出会わせてもらえて、感謝しています。明日から、またがんばります。よろしくお願いします!!!
 
そして、今年も変わらずおつきあいくださったみなさま、ありがとうございました。
明日からもまた、有意義な、仕事環境がちょっとブラックだったりもする1年で楽しめますように。
 
今年1年、お疲れ様でした!
なんとか乗り切ったぞ~~っっっっ
 
※「精霊のささやき」を「精霊の囁き」にちゃんとしました。すみません。。。失礼しました。