先日、毎月のようにAndyさんの実家で開催される親戚の集まりがありました。
親戚のみなさん、息子さんに会いに来てくださるのです。子どもはいつの時代も、年配者のヒーローですね。
ありがたいですね。
可愛がっていただくのは。
生まれてからずっと定期的に開催してきたのですが、最初はよく泣いていました。
普段は知らない人がいてもあまり泣きませんが、親戚のみなさんの顔を見るとよく泣いていました。
何度会っても泣いていた。
しかし最近では慣れて、誰が誰というのもわかるし、話もできるようになった。
泣くこともありません。
息子さんから親戚のみなさんには積極的には絡まないものの、同じ空間にいることが楽しいと思えるようになってきたんだと思います。
家についても、そのまま布団で寝かせたんです。
たくさん話して、たくさん頭も体も動かしたでしょうから、しばらく寝かせようと。
声をかけても聞こえてるはずなのに、応答しません。
僕が近づいて笑わそうと体をくすぐっても、なにかを我慢しているようなのです。
Andyさんが抱っこして、優しく話しかけました。
だんだんと落ち着いてきました。
そして、
「今日は楽しかったね」の一言がスイッチを入れたかのように、また何かを我慢しているような顔をつくりました。
口元がへの字になり…
そう、涙を我慢しているのです。
楽しかった反動で寂しさが襲ってきたんだと思いました。
目覚めたら親戚のみなさんが誰もいない。
息子さんは寂しい思いを、どうしていいかわからず、壁をドンドン叩いて表現していたんじゃないかと。
そのとき僕は、今年3月の保育園のことを思い出しました。
まだ1歳で、別れというものを知らないはずなのに、それが来るのを息子さんはわかっていました。
仲のよかった友達がたくさん転園することになっていたのです。
あの時、
「さみしいの…」と言ったのです。
4月になり、たくさんの友達がいなくなりました。しかしそれを今度は逆に、何事もなかったかのように、日々過ごしていました。
僕は拍子抜けしたわけですが、やっぱりそうじゃありませんでした。
Andyさんにはいつも以上に甘えてきました。
息子さんは、仲のよかった友達がいないという新しい環境に、必死で慣れようとしていたのです。
詳しくは当時のブログでも書きました。
親の都合で0歳から行かせた保育園で、どうしたって社会性を早く身につけなければなりません。
きっと保育園で、色々我慢しているんだなと思います。
今日のことは、うわーんと泣きたかったはずなのです。素直に泣かせてあげられないことに、親として申し訳ないと思いました。
まだ2歳なのに、自立させるには早すぎます。それは僕自身が一番よくわかっています。
僕もそうせざるを得なかった過去がありましたので。
先日のブログにも書いた佐々木先生の本ですが、今読むタイミングは偶然ではないのでしょう。
もっともっと甘えさせてあげなくてはなりません。
まだ足りないというサインを今日受け取りました。気持ちをまた改めたいと思います。
いつも息子さんには、学ばせてもらって、本当に感謝です。
ありがとう。