私は厳選して観たい映画しか行きません。
やっと
観たい作品に合えたので行ってきました。
宮崎駿氏は亡くなられたと思ってました(失礼しました)
ジブリです。
私の感想では
絵画も内容も宮崎作品とは思えない内容でした。
吾一ちゃんの「路傍の石」の山本有三氏編纂著書
内容は.
『岩波少年文庫』を創刊することになる吉野源三郎(1899-1981)が、山本有三編纂の『日本少国民文庫』(1935年)の一冊として当時の青少年に向けて執筆した読み物、1937年。
で
興味深いコメントを載せます。
私の中ではgood
ちょっと長いです。
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「人は如何に生きるべきか」という生の根本問題を、
認識論や社会科学の問題と不可分なものとして結びつけながら、展開していく。
初版当時の1930年代は、ヨーロッパではファシズムが台頭し、日本では軍国主義が支配的になり始めた頃である。
そうした危機的な時代状況にあって、
次代を担う青少年を悪しき時勢から守らねばならぬという思いから、
吉野は、人間の知性と個人の誠実とそれによって駆動される歴史の進歩への信頼に基礎を置くヒューマニズムの理想を説いていく。
現代の読者にとって印象深いのは、
吉野の語りが決して現代的な(ポストモダン的な?)アイロニーで
磨り減った果ての価値相対主義や冷笑主義(或いはその反動としての独断的な即物主義)の
調子を帯びることなく、生の理想が率直に積極的=肯定的な仕方で説かれている、という点ではないだろうか。
「古典」ゆえの歴史的制約というものなのだろうが、
それが却って現代における本書の価値を高めているように思う。
しかし、吉野が掲げる理想には、独特の「峻厳さ」があるように思う。
そこには「無限の自己陶冶」という当時の教養主義の
(あるいはその母体であるドイツ観念論の)理念が見え隠れする。
教養主義が掲げる理想が高邁であると同時にどこか自己陶酔的で息苦しく感じられるのも、
このロマン的かつマゾヒスティックな理念のせいではないかと思う。
現代(日本)人の感性にもこうした傾向と親和的な部分も少なからずあるがゆえに、
本書が近年改めて注目されるようになったのだろうが、
肝腎の青年層にはどのくらい受け容れられているのだろうか。
なお本書の巻末には、吉野源三郎「作品について」と、
丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想――吉野さんの霊にささげる――」の
二編が収められている。
丸山の文章は、もとは『世界』編集部からの依頼で吉野への追悼文として書かれたものだが、
丸山の個人史の回想として興味深いだけでなく、本書の「解説」としても有用である。
□
認識論の問題について(一)。
「自己中心性から、自己相対化を経て、世界の中における自分の位置付けという
客観的な自己認識へ」という視点の転換の重要性が、
「天動説」から「地動説」へのコペルニクス的転回に準えて説かれる。
丸山はここで吉野が述べようとしている真意を以下のように敷衍する。
「地動説への転換は、もうすんでしまって当り前になった事実ではなくて、
私達ひとりひとりが、不断にこれから努力して行かねばならないきわめて困難な課題なのです。
そうでなかったら、どうして自分や、自分が同一化している集団や「くに」を
中心に世の中がまわっているような認識から、
文明国民でさえ今日も容易に脱却できないでいるのでしょうか。
つまり、
世界の「客観的」認識というのは、
どこまで行っても私達の「主体」の側のあり方の問題であり、
主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ――その意味でまさしくわたしたちが「どう生きるか」が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの「学説」に託して説こうとしたわけです」(p317、丸山)。
ここでは、認識論の問題(世界を如何に認識するか)が倫理の問題(生を如何に生きるべきか)と分かちがたく結びついていることが指摘されており、興味深い。
□
吉野が説くヒューマニズムの理想には、その理想を生きるに値するだけの「強い」主体性が
前提とされているように思う。
こうした主体の「強さ」を強調するために本書でもしばしば用いられているのが、
「男らしく」という修辞だ。[
吉野は自分が語る理想を女子が生きるという可能性をどこまで想定していたのだろうか。
(「「昔は男は男らしく、女は女らしく」が良かった❣ -私の弁)
尤も、吉野は知的階層に属する旧制中学の男子生徒に向けて書いたのであれば、本書はそもそものはじめからジェンダーバイアスの中にあったとも言える。
これこそ歴史的制約というもので、一定の時期より過去に書かれた文章を読むと、
たとえその書き手が進歩的な思想の持ち主であっても、
かなりの確率でこうしたジェンダーバイアスに基づく表現に遭遇し、
強い違和感を覚えることになる。
フェミニズムは、保守反動に対してだけでなく、こうしたリベラル派にも対抗しなければならなかったわけで、その歴史的苦闘(現在なお進行中である苦闘)を思うと、気が遠くなる。
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上記を書かれた方は
LGBT案に賛成ですかね~
私が何を言いたいのか。
この映画
「君たちはどう生きるか」
を観て、
現代の世界の グローバリスト 対 反グローバリストとの
歪んでる社会での
我々の思想、意識を
しっかり持ち
一人一人が認識して
行動せよ
との
声を聴きました。
今朝も
を観て
思わず涙が出そうになりブログをアップしました。
アメリカにいる真の人は
日本には、いるのでしょうか