こんばんは!真咲です。

普段この場所は、パトカーや救急車のサイレン、よちよち歩く酔っ払いの声なんかが

このくらいの時間でもよく聞こえているんですが、

今日はとても静かな夜です。

思わずカーテンを開けて、世界がちゃんと回っているのか確かめてしまいました。

 

さて、また今日も唐突に、スピリチュアル的なものへ向き合う事への葛藤のお話。

 

本業を進めようとするとカードからストップがかかってしまうことを前回お話しましたが、

朝の日課にしているカードリーディングで毎回毎回そのような状態が続き、

 

「そんなこと言ったってどーーーすんだよ!!!えーんムキーゲロー

「仕事しなきゃ死んじまうだろうが!!(色んな意味で)」

 

となってしまい、

自分にも、自分のリーディングにも不信感を持つようになってしまいました。

 

-----

 

私が、自分や人に向けてのカードリーディングを始めるにあたって

一番悩んでいた(いる)ことがあります。

それは、「私がしている事が間違っていないと誰がどう確かめられるんだろう?」という気持ち。

 

率直な思いを打ち明けると、世の中には、

志高く自分の思いを実現させながら

真摯に役割を果たそう、貢献しようとする方々が多くいる一方

「見えないもの」を商売道具にして

人の弱い部分に付け込み、不安をあおり、誇大化した自分の姿を見せ

人からお金を引っ張ろうとする人たちがいるように私には見えます。

 

もしも私がこういうことでお金をいただくとしたら

私は彼らとは違う、と誰がどう確かめられるんだろう?

私は彼らとは違う、と私はどう確かめたらいいんだろうか?

 

私の心の中には、誰かを騙してお金が欲しいなどという思いはないはずですが

それを知っているのは私だけです。

 

もし私が嘘をついたら?

それが嘘だと知っているのも私だけでは?

 

私のしていることは一体何なのか?

私の目の前で起こることは一体何なのか?

見極めも解釈もできていない今、自分が彼らと違うという事を

どう確かめたら良いのかがわからないのです。

 

私は彼らのようになりたいとは思っていませんが、

彼らが間違っているのかどうかも今はわからない。

 

私のことを愛してくれる人たちは、私の言葉を信じてくれると思うけど

もし私が道を踏み外していたら…?

私を信じようとしてくれる人たちを道連れにしておきながら、

誰も止めてくれる人がいなくなるのでは?

 

「見えないもの」「スピリチュアルな物事」をどう解釈し、どう向き合うべきか

自分の中でまだ確固たるものを持てずにいることが迷いの原因だと思います。

 

自分は嘘つきなのではないか

空想の中に迷ってしまっているのではないか

私利私欲にまみれていないと本当に言えるのか

 

そういう葛藤の中で、せっかくのカードとの出会いと

生活とのバランスが崩れてしまっているのだと感じました。

 

-----

 

私の中には、つい最近まで、確固としたプランや目標がありました。

突然生活が変わって、驚き、不安に駆られてしまいましたが

もう一度そこに立ち戻ることにしました。

さらに、そこへ立ち返りつつ、自分に必要なことをもう一度考え直してみました。

今の自分なら気づけることがあるはずだからです。

 

前は、スピリチュアルなことが目の前で起きても、あまり深く考えないか

あまり信じようとしませんでした。

 

無視…真顔 だって忙しいからね!!

 

人に話したところで、嫌な顔をされるか

奇異の目で見られて、うわさ話や嫌味を言われるだけだった。悔しい思いがあります。

(今思えば、本当はそうじゃない人の方が多かったはずですが…)

 

そこにプラスして、

仕事でも、プライベートでも「相手のして欲しいこと」「望んでいる事」を読んで

『そういう人』として振る舞い、用事が終わったらさっさと一人になろう

そういう手を抜いた生活を、長い間してしまっていました。

 

そこに自分は全く介在しないので、世界に参加している感覚が持てませんでした。

『蚊帳の外』。

ちょこっと外に出て適当に用事を済ませたら

手に酒とスルメを持って穴倉に戻り、ちびちび飲みつつ

穴倉から世界をのぞき見している、そんな感覚

 

このことを考えていて思ったのは、私が真剣な人付き合いを辞めてしまった理由は

「大人の人間は怖い」という思い。

 

そして私が「大人の人間が怖い」とずっと感じていた理由を分析してみると、

表に出していることと本当に思っている事の差が大きいからだ、という事が分かりました。

 

動物や子供、植物などは、表に出しているメッセージと本当に心で思っている事が

ほとんどイコールです。

ところが、大人の人間は思っていることと外に出してるものの差が大きく

更に、その理由がネガティブなことが多いので、

それを「怖い」と感じていたのだと思います。

 

近づいてくる人がそういう人だと、「私に何をして欲しいのだろう…?」と見て、

その人が意図して隠した部分が怖くなって、ひえーーーとなっていたのでした滝汗

 

とにかく人との接点を減らすために、求められることに答える ということを重視していて

(用が済めば人は去っていく、という考え)

そのどこにも自分は介在していませんでした。操縦を他人に預けてしまっていたのです。

今思うと、もの凄くナメた態度で傲慢な生き方をしていました。

 

今は、やるべきことや目標が確固としてあり、そこに進んでいるはずなのに

目に見えないものと向き合う不安に負けそうになって、またもや

自分の操縦を「見えないもの」に明け渡そうとしてしまっている

 

リーディングの内容は図星なんだけれども、

「それでも生きていくのは自分なんだ」という意識が希薄すぎていました。

 

両方とも

「生きていくのは自分自身なんだぜメラメラビックリマーク」という意識の欠如。

自分以外に自分の操縦を明け渡してしまう癖。

それがバランスの不安定さを招いていたと理解しました。

 

-----

 

何が何だかわからないとりとめのないお話になってしまいましたが

私の中では結構大きな気づきで、ここから先「見えないもの」と向き合っていく

一つのヒントになりそうなことだったので、忘れたくなく、記してみました。

 

明日からはどんなことも、変に否定せず、変に自分を明け渡したりもせず

「ああそう、じゃあ私はどうしよっかな?」

と面白がって暮らしてみたいと思います。

 

もしかしたら今日の考察はまだ未熟で、これ何かちょっと間違ってんなアセアセ

将来振り返った時に思うかもしれないけど

今日、自分が持てる精一杯で、前向きに考えた結果でした。

 

腐らず、明日も生きていくのです。

 

かしこ