皆さん、人生を全力で生きてますか(^-^)??
とても心を打たれる記事、嘘のようなほんとの話。
下記、ぜひご覧いただければと思います。
東京の浅草にある、日本最古の遊園地
『浅草花やしき』
1853年に開園してから約160年…。昭和レトロな雰囲気や、民家の間を走り抜けるジェットコースターなど、今でも多くの人たちに愛され続けています。
花やしき内のステージで、毎週日曜の正午から華やかなショーを披露しているのは『花やしき少女歌劇団』に所属する40人の少女たち。
6歳から18歳までの少女たちが『清く・正しく・楽しく』を合言葉に芝居や歌を披露しており、ご当地アイドルとして親しまれています。
そんな『花やしき少女歌劇団』の楽屋には、2016年3月いっぱいで取り外される予定のネームプレートがあります。
書かれている名前は『木村唯』さん。18歳の少女です。
彼女の名前が外される理由は、2つ。
ひとつは、『花やしき少女歌劇団』の年齢制限である18歳になったこと。そしてもうひとつは、唯さんが2015年の10月に天国へと旅立ってしまったからです。
【18歳の短い生涯を閉じた、浅草のアイドル】
幼いころから歌手を目指していた、木村唯さん。9歳の頃『花やしき少女歌劇団』に入団し、パフォーマンスを繰り広げていました。
しかし、15歳になったある日…突然の不幸が唯さんを襲いました。
「お母さん…私、足が痛い」
すぐさま唯さんを病院へ連れていったお母さん。医師から告げられたのは…。
「小児がんによる、横紋筋肉腫です。抗がん剤による治療を受けましょう」
『横紋筋肉腫』とは、骨や筋肉、脂肪などに悪性腫瘍ができる病気。転移しやすいうえ、詳細な原因は判明していません。
そして、3年にわたる闘病生活が幕を開けた…
抗がん剤による嘔吐や食欲不振に苦しめられ、髪の毛も抜け落ちてきた唯さん。しかし、彼女には強い意志がありました。
「絶対花やしきに戻る。そして、あのステージで歌う!」
その思いを胸に頑張っていたある日、さらに辛い現実が彼女を襲います。
「抗がん剤による治療を続け残り少ない余命を送るか、転移を防ぐために右足切断の手術を受けるか…選んでください」
舞台人であると同時に15歳の女の子である唯さんにとって、足を切断するというのは想像に耐えがたい苦痛に違いありません。
しかし、ここで手術を受けなければ回復する可能性はないかもしれない…。
悩んだ末、彼女は自ら医師にこう言いました。
「私、手術を受けます!」
そう決意したものの、彼女にはひとつだけ心残りがありました。
「手術を受ける前に、もう一度だけステージに立ちたい!みんなと歌いたい…!」
その願いを知った周囲の人たちは、唯さんが再びステージに立てるよう協力しました。その後、唯さんはステージに復帰できることになったのです。
再び訪れた、みんなと一緒のステージ
お母さんの押す車いすで楽屋入りすると、体温を測り体調をチェック。問題がないことを確認すると、車輪付きのパイプ椅子に移りステージへと向かいました。
念願のステージ復帰に、唯さんは笑顔で歌を披露しました。椅子に座ったままでのステージとなりましたが、その気持ちはお客さんたちに十分伝わったことでしょう。
ついに迎えた、手術の日…
2013年7月、10時間にも及ぶ手術に耐えた唯さん。腫瘍があった右足を切断し、あとはリハビリを受けるだけかと思われました。
しかしその半年後…医師から厳しい言葉が告げられました。
「がんが、肺や気管支に転移しています…」
きっと命は長くない…そう言われたも同然であろう、この宣告。そんな状況で唯さんは、ステージに立ち続けることを選びました。
「足がない私を見て、お客さんが嫌な気持ちになったらどうしよう…」
そんな不安を抱きつつ迎えた、久しぶりのステージ。
しかし、彼女を待っていたのはメンバーの笑顔と、お客さんの温かい声援でした。
「おかえり!」「待ってたよ!」
その言葉に、彼女がどれだけ救われたことでしょう。
再び入院するその日まで笑顔で歌い続けた唯さんですが、2015年の10月14日…唯さんは天国へと旅立っていきました。
唯さんは入院中、お母さんにこう話していたそうです。
「ママ、私を可哀想だなんて思わないで。
可哀想なんて思われたくない。私、幸せだから」
突然病気に襲われ右足を失っても、ステージで踊ることができなくても、彼女は大好きな人たちに囲まれ幸せだったのではないでしょうか。
きっと唯さんは、今も笑顔で歌っていることでしょう。
…いかがだったでしょうか??
一度きりしかない人生。
あなたは、自分のその命が燃え尽きる瞬間、胸を張って
「幸せな人生だった」
と言えますか??
無駄な日なんてこれっぽっちもないんです。
今日という二度と帰ってこない日を、明日の自分にしっかりと胸を張って繋げましょうね♪( ´▽`)