おそよう。

 

令和2年も1か月が過ぎた。

先日フランス公演が発表された。


 

日本で待っているみんな。

なかなか日本でライブが出来ないこと心苦しい、

けど絶対成長して戻ってくるから、見守っていて欲しい。

色々な気持ちのなか自分の音楽に前向きだから、待ってて。

これはまた書くよ。

 



元旦、僕が救急搬送、緊急手術、入院と少しハードボイルドな言葉が並びました。

色々重なって大変だったので、

横浜バンド時代の仲間が2020忘年会をしてくれた、、笑

 

 

男鍋2020

 

 

僕のその手術内容など、心配、憶測ドラマ、誤解あるので説明させてください。

結論「胆のう摘出」をしました。

6年前4か月ほどTAFROという病気で入院していたけど、その1年前胆のうの疝痛発作にて

救急搬送されていました。

 


長くご縁のある臓器なんだけど、6年前は入院中は

「もうあの激痛を感じたくない。いっそ摘出をしてほしい」

と頼んでいましたが、主治医はストロイド剤により免疫が落ちているから、

外科手術は不可能でPTGBDという管をさして、処置をしていました。

その後は、落ち着いていました。

 


2019年11月から劇的に畳み掛ける毎日がはじまった。

たぶんその疲れとストレスで免疫力が下がってしまったのだと思う。

地元で友人と食事をし戻った元旦の夜に

胸部に激痛により抵抗もむなしくあえなく救急搬送。

 


人生で救急車を自分で呼ぶのは3回目。慣れてきたね。

隊員の方に持病の説明から、クスリ説明から激痛のなかでもそつなく説明ができる。

7年前はじめて救急車を呼んで、隊員の方に「もう大丈夫ですよ。安心してください」

と言われたときは、、、あまりの安心感に、恋しそうになったけどね。。笑

 


大学病院に搬送される、検査を行うも、決定打がでない。

この段階では胆のうなのか胃潰瘍なのか、はっきりしないがエコーの所見では胆のうに腫れがみえる。

ときは元旦の夜中をまわっている。病院のスタッフの人数が少ない。検査をまっていられない。

決断を下さないといけなかった。「切除してください」

 

 

緊急手術・入院となった。

長くなる可能性も関げて実は救急車に乗る前、多少荷物はもってきていた。冷静な自分も嫌だ。

そして、手術。緊急といいながらおそらく10時間くらい待った。(それだけ人手がなかった)


執刀医降臨待ち






先生と話し、マスクでガスを吸って・・・

夜中自分がベッドごと病室にもどっているのを一瞬気づいて、翌日朝、手術痕の痛みで起きた。

 

 

あぁ管にたくさん繋がれて懐かしい感じ。謎の安心感。

地元の音楽仲間がきてくれて、笑うと痛いのに沢山笑わせてくれた。。

僕的に実に平和な入院生活だった。

長くなりそうなのでこのへんで。

 

 

 

胆のう摘出じたいは深刻なものではないんだけど

以前僕の持病の「TAFRO症候群」の権威の先生にセカンドオピニオンに行った時

胆のう炎からTAFROを発症した例が複数あるということ。

だから迷わず摘出をのぞみました。少しでも可能性をなくすために。

「赤岩雅紀」は僕専用のノリモノです。最期まで治しながら乗らなきゃね。

 

 

禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

徳川家康も好んで言っていたことば。幸福と不幸は組み合わさった縄のよう順番にくる。

病気になったおかげで出会えたひともいれば、その時期から離れていったひともいる。

そして生きていればまた会える

だからあなたも生きて。


 

僕が2014年入院したとき、「キャッスルマン病/TAFRO症候群」はまったく知られていない病気だった。

とある方の闘病ブログを毎日ずっと読んでいた。見ず知らずの人に励まされていた。

だから僕はここに記す。

 

僕が好きだったドラマ「リーガルハイ」ドラマ。タイムリーに闘病しているときにみて考えさせられたコトバ。

僕はまだ死なないよ。むしろ元気になって戻っていくよ。あせらずねっ

 

 

 

MASAKI AKAIWA