今日は、ちょっと、真面目なお話をしようと思います。
うちには、3歳の娘がいます。
娘は、口唇口蓋裂で生まれてきました。
聞いたこと、あるでしょうか、口唇口蓋裂って。
俗に言う、みつくちってやつなんですが。
口唇裂と言うのは、鼻の下、唇が山になってる部分が、なんだかの理由で繋がらないまま生まれてくる障害で、
口蓋裂は、口の中の、蓋、つまり、鼻と口を分けている部分がない状態ですね。
うちの娘は、その両方、口唇口蓋裂だったわけですが。
娘が生まれたとき、口唇口蓋裂と言う名前を始めて知り、障害と言う言葉に、すごい違和感を覚えたのを今でもはっきり覚えているんですが。
この口唇口蓋裂は、手術で完全に治るもので。
今、娘は、2回の手術を終え、全く後もわからないくらい、まるで普通の子と一緒です。
これからも、あと、3,4回の手術が待っているのですが。
でも、完全に医術でなおせる、「障害」なんですよね。
なぜ、わたしがいきなり障害の話を始めたかと言いますとですね。
今日、ちょっとした出来事がありまして、友達に、脳障害のある娘がいる人がいるんですが。
その子が、今日、一緒に遊んでた、うちの息子を滑り台のてっぺんから押して落としそうになったんですね。
まぁ、うちのダンナがすぐそばについていて、大事にはいたらなかったんですが。
でも、そのことがあって、友達は、泣き出しちゃったんですよ。
悪気があってやったんじゃないんだ。
やっていいことと、悪いことの判断ができないだけなんだ。って
繰り返し繰り返し言いながら。
もちろん、そんなこと、わかってますし、誰が怪我をしたわけでもないし、大丈夫だよって何度も言ったんですが。
子供たちをつれて、泣きながら帰ってしまったんです。
それから、考えちゃったんですよね。
彼女は、きっと、愛しい自分の子供が、他の子を傷つけて(実際には傷ついてないですけど)、それが悪いことなんだと認識できないのが、悲しかったんじゃないのかなと。
悪気がないのは、わたしたちはわかってても、周りで見ていた、他の人には、そのこに障害があるなんて、知らないわけだし、きっと、何て子なんだって思ってて。
そう、思われるのがつらかったのかな。と。
でも、泣きながら、その子を抱きしめて帰っていった、友達を見て、なんか、障害を持つ子どもをもつ母の大変さのかいまを見た気がしたんです。
うちの娘は、障害があるって言っても、全然たいしたことじゃなくて、手術はつらくても、完全に治せるものだけど。
彼女の場合は、一生付き合っていかなきゃならない障害で。
彼女を見ていて、改めて、親としての責任の重大さを思い知った気がしました。
なんて、今日は1日考えて、しんみりしてました。
嵐の曲を聴きながら・・・
以上、めずらしく、真面目トークのまさきでした。