バロック時代のフランスを代表する作曲家、F.クープラン。
この人の作品に『神秘のバリケード』というのがある。

少し前、この『神秘のバリケード』の演奏に接したのだけれど、演奏者の方がこんなトークをされていました。
「この『神秘のバリケード』というのは、最近では、パニエであることが分かってきました。今日は、可愛らしいお嬢さんがパニエを揺らしながら歩いている微笑ましい姿を思い浮かべて弾きます」と。

僕も、『神秘のバリケード』は恐らくパニエやペチコートを指していると思うけれど、たぶん「微笑ましい姿」とは違うんじゃないかな…?

18世紀前半の女性の装いで、スカートからのぞくペチコート、揺れるパニエといって想像するのは、こういうシチュエーションなわけで……


(フラゴナール「ブランコ」)

つまり、『神秘のバリケード』は、こういう典型的「コケットリー(蠱惑的)」なシチュエ―ションを想起させる曲じゃないかな?と思うわけです。

このシチュエーションだと、当然、脚や足首にも意識がいくと思うけれど、それも当時としては相当にエロティックなことだった。


個人的には、この曲は、微笑ましいというよりは、むしろ、ある種の下ネタ、「艶笑(えんしょう)的なお色気」をほのめかしている気がしています。

最近、ベートーヴェンを弾いています。作品14-2のピアノソナタ。

 

若いベートーヴェンは、1790年代にたくさんのピアノソナタを作曲したけど、それらの曲の多くは、時代の求める節度を越えていて、僕にとっては、ちょっと(いや 実はだいぶ)グロテスクだ。

実際、当時の人たちの中にも、「荒々しい」とか「奇矯(ききょう)だ」という意見も多かったようです。

 

じゃあ、若いベートーヴェンは、節度を守って「よい趣味」で曲が書けなかったのかというと、そうではない。

 

むしろ、彼ほど(音楽語法という面で)完璧な技術があった人もいないかも。

 

例えば、有名な《悲愴ソナタ》の第2楽章の2/3くらいまでは、まるで、お手本のように完璧な文法を駆使して書かれているし、若いベートーヴェンには、実はめちゃくちゃ絵が上手かったピカソのように、完璧な音楽語法を使って曲を書く凄い技術があったのだと思う。

 

つまり、ベートーヴェンは、出来なかったのではなく、やらなかったのだ。

 

時代の音楽語法に従わない彼のやり方は「俺はそれを知っている。しかし、それに従うは義務ない。」と宣言しているようだ。

 

そして、当時は、旧来的な音楽語法を前提として、音楽を作曲し、演奏し、楽しんでいたのだけれど、ベートーヴェンは、まるで、そういった「音楽の有り方」そのものを破壊しにかかっているようにも思う。

 

1789年、フランス革命が勃発。

若いベートーヴェンの作風は、これまでの前提やあり方を破壊し前に進むという、フランス革命と同じ時代精神なのかも。

 

かっこいいやん、ベートーヴェン!