酒鬼薔薇聖斗 おばあちゃん家が長崎らしく引き取られヤマダ電機で働いてたって 当時 | 鮭のブログ

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【平成最凶の事件簿4】わが子が「酒鬼薔薇」だと知ったとき

国内 社会 2019年4月12日掲載

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神戸小学生連続殺傷「犯行声明文」

 

「酒鬼薔薇聖斗」の署名で書かれた犯行声明文(他の写真を見る)

 

 平成9年6月、その日の朝日新聞は1面と第1から第3までの社会面、都合4面を使ってその事件を報じている。「淳君事件 中3男子を逮捕」「まさか中学生が」「社会に挑戦なぜ」…、神戸・連続児童殺傷事件、いわゆる「少年A」の登場だった。これ以前から未成年者による殺人は起きていたが、これ以降、少年犯罪は発生のたびに国民的注目を浴びるようになった。昭和時代にはなかった現象と言える。そして平成12年の少年法改正(厳罰化と適用年齢引き下げ)へと繋がっていった。

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 この事件は発生当初から注視された。それは、(1)被害者が幼い男児であること、(2)殺害の形態が猟奇的であること、(3)「犯行声明」や「挑戦状」が新聞社に届き劇場型犯罪となったこと、による。そして取りも直さず、それらがすべて14歳の少年の所業だったという点で、平成史に刻まれる事件となったのだった。

「ニュータウン」「タンク山」といったロケーション、「バモイドオキ神」「酒鬼薔薇聖斗」といった少年の空想による想像物、また犯行声明や挑戦状に加え、少年が書いた「懲役13年」という作文、「性的倒錯」「注意欠陥・多動性障害」等の精神疾患の指摘…など、事件を構成する「素材」が多岐にわたるのも、この事件の特徴だった。そして「場外」では写真週刊誌「FOCUS」が少年の顔写真を掲載し、物議を醸した。

 また事件から18年後の平成27年、32歳となったAが書籍を刊行、加えてHPを開設し、批判された。HPはすぐに閉鎖されたが、元少年に、行刑施設での「更生」の成果はまったく見られなかったのである。

 事件は神戸市須磨区で起きた。土曜日の昼過ぎ、「おじいちゃんとこ行ってくるわ」、11歳の少年・土師(はせ)淳君は、そう言いおいて自宅マンションを出た。

 綿密な取材に加え、捜査資料をもとに事件を検証した、高山文彦氏『「少年A」14歳の肖像』によると、同時刻、少年Aは〈グレーのママチャリ〉に乗って、〈人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すため〉(以下、引用は同書より)、町内をうろついていた。この2カ月前、すでに少年Aは小4女児を金づちで殴り殺害し、小3女児を刃渡り13センチのナイフで刺し、重傷を負わせていた。

「僕より小さいので殺せる」

〈(淳君が)多井畑小学校の正門まえを通り、最初の信号機のある十字路を渡りきったとき、ちょうど少年Aが同じ歩道の向こうから自転車に乗ってやって来た。

 少年Aはとっさに「淳君ならば、僕より小さいので殺せる」と思い、淳君が亀が大好きなのを思い出し、

「向こうの山にカメがいたよ。一緒に見に行こう」

 と声をかけた。

 自転車を下りて、押して歩きはじめた。そのあとを淳君は笑顔でついていった〉

 住宅街を抜け、そのまま向かったのは、殺害現場となる「タンク山」の頂上だった。

 少年事件で事後に必ず取り沙汰されるのは、「親は子供の異常に気が付かなかったのか?」という疑念である。その年4月には校内での喫煙、5月には同級生に対する暴力で、Aの父親は学校に呼び出されている。登校拒否となり、児童相談所でカウンセリングも受けていた。

 遺体の頭部を友が丘中学校の正門前に置いたのは、2回目のカウンセリングの当日未明。Aと母親は児童相談所の事務室にあるテレビで、その衝撃的なニュースを見ている。母親がその時のAの様子を捜査員にこう語っている。

〈私は残酷なことをすると思い、身の毛がよだつ思いになって全身の震えが止まらず、その場で震えているとAが「恐(こわ)いなあ、はよ帰ろう、帰ろう」と言って私を促すので、児童相談所をあとにして、歩いて大倉山駅まで行ったのですが、途中、多少身震いもおさまってきて、Aに「ほんまにテレビで見るような事件があるんやなあ」と話しかけると、「そやなあ、すごいなあ」と相槌(あいづち)を打っておりました〉

「少年A」の部屋の「天井裏」

 その後、児童相談所で4回、家庭訪問も行われ、8回目のカウンセリングを6月30日と決めていた。雨が降る中、朝7時過ぎに警察が訪ねて来たのはその2日前、6月28日土曜日のこと。両親はともに、「まさかAがかかわっていると思わず」と供述している。

 夕刻、裁判所が発行した「捜索差押許可状」と「検証令状」を携えて、刑事たちが再訪する。立ち会った両親が目の前に見たものは、事件関与を物語る品々だった。挑戦状に使われた茶封筒、鞘(さや)付きのくり小刀、「バモイドオキ神」が描かれた犯行メモ、そして酒鬼薔薇聖斗を表す「風車マーク」……。父親はそのときのショックをこう語る。

〈頭の中が真っ白になるというようなショックでした。このマークは犯人が書いたものだということは新聞やテレビで何度も見て知っておりましたし、これに似たマークがAのノートに書かれていたことがショックだったのです〉

 それから捜査員は、「長男の部屋の北西の角にある天井板」を外すよう、父親に告げている。父親は求めに応じ、天井板に手をかけた。

 
1億人の心臓を鷲づかみにした「神戸連続児童殺傷事件」。彼の内なる「酒鬼薔薇聖斗」はいつ、どんな家庭で産声をあげたのか。母親は魔物の誕生に気付かなかったのか。第1級捜査資料に綴られた生々しい「肉声」。少年が初めて語る狂気と虚無、そして両親の慙愧…。今ようやく浮き彫りとなる驚愕の全貌

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〈天井裏のほうの面を見ると、赤茶色の汚れがあった。父親は雨漏りではないかと思い、まじまじとそれを見た。外は台風の接近で、はげしい雨が降っている。もし雨漏りだとすれば天井板は濡(ぬ)れているはずだった。だが、赤茶色の染(し)みは何日もまえにつけられたもののように、すっかり乾ききっている〉

「どういう意味があって必要なのですか」と訊ねる父親に、顔をしかめて黙り込んでいた捜査員が言いにくそうに答えている。

〈おたくの息子さんが、淳君の頭部を持ち帰っていったん天井裏に隠した、と説明しているんです〉

 母親はその場に崩れ落ちそうになり、父親は彼女の身体を支えながら、自分も腰が抜けそうになった、と供述している。

 高台に建つ一軒家から、両親と息子ばかりの5人家族は、その後、まもなく消えている。

デイリー新潮編集部