『命は数億匹の中の1匹の精子が競争を勝ち抜いた結果』 | 浦田尚克オフィシャルブログ「Creation in Music」Powered by Ameba

『命は数億匹の中の1匹の精子が競争を勝ち抜いた結果』

とか

いわれたことがあります。



浦田尚克の『人生適当』-あ


じゃあ

実際に

そんな

数億匹を

実際に考えたことが

人生の中であるのでしょうか?



僕は

そんな風に思ったことがないのです。

まず生まれる前から

戦い

争って勝ち取った命かと





僕は死んでいった

数億の精子に関して

哀れみも感じないし

競い合ったとも思わないし





確立の問題なだけ



な気がしてならない。



例えば

犬。


僕が犬を飼ってる

腕枕でねむる彼は

心臓の音が

小鳥みたいにトクトクしてます。





そこにある

命なわけです。


そこに着床するまでの

彼が生まれる肯定で

敗れていったDNAには興味がなく


彼に興味がある。




何があっても

まもらなきゃいかん

ひとつ。



正直

僕らより長く生きれないし

寿命も短い。



死ぬことを前提に

生き物は飼う。



それだったら

数億の精子を例える前に



身近にアル

生を

感じてるほうがよっぽど幸せだ。




スペルマ内にある

ヒトゲノムレベルの

ミトコンドリアの

話をされても

イメージがわかない。



ふと

昔言われたことを思い出しました。






なんだか


今日は眠れません。







なぜなら

義理父に

はじめて



名前を呼ばれたせいだ








絶対にそうだ




知り合って

10年たって




初めて

名前を呼ばれた。





なぁ

とか

お前


でなく



尚克と



いわれたわけです。




普段自分の名前を呼ばれることに

慣れてる人がほとんどだ。




僕もそう。




でも




家族というコミュニティにおいて

母親以外から

名前を呼ばれたことが

久しぶりで




ましては




浦田の苗字になった父親が




はじめて


僕の名前を

呼んだわけですよ。










これは

ここ最近の


浦田史上

Best10に入る大事件です。





そりゃあ

ねれなくもなる。


んでもって


Mixも




イメージを


がらりと


変えてみることにした。






それもこれも

また

アドレナリンが出るわけです。



ドーキンスのセルフィッシュジーンだったり


ミームだったり。

誕生は数億匹の敗者を思うような



ファンタジックな世界でなく



命はもっとドロドロとしたところで輝くものだと

そんなふうに思えます。


音楽もそう。



中身がないものは

響きません。



最近

痛感します。




仕事も

人間関係も

そうっす。




うわべだけの愛してるも

うわべだけの仕事も



人間関係も



崩壊に向かうしかすべはない。







これは

仕事をして思ったこと







砂を噛んでこそ

輝くもの。







人の命は地球よりも重い





これも

なんか

違う気がする。





命を重量計算することが

そもそも僕の中で違う





重さで行ったら

魂の重さは3gって




そんなえいがありましたね。



命を愛し、想い、気持ちを寄せるから


その命がいとおしい



倫理や道徳の本に載ってるほどに

壮大で人類普遍のようなものでなく

ちんけで

即物的で…



例えば今この瞬間

この手が、この声が、温かい。

そんな風な温もりで





いいんじゃねえの???


と。






ふと

自分の名前に温度を感じたから



書いておきます。





まぁ

寝れない夜だ。







支離滅裂だけど


ごめんなさい





なんか

書いておかなきゃ

いけない気がした。






しわなしさんの

PCくらい

僕の中では大事な日記w