子供がまだ小さい時は土日が早く来ないかなと思っていた。

夫が休みだから。

 

近隣の県にお互いの両親が住んでいたとはいえ、忙しくてヘルプを頼むことは難しかった。

平日は「ワンオペ」ってやつだった。

 

娘息子がまだ赤ちゃんだった時はお風呂が一番難しくて、脱衣所に寝かせておいて、ふろ場のドアを開けて体を洗い、それから赤ちゃんを洗い、と自分がゆっくりお風呂に入るなんて夢のまた夢だったなあと懐かしく思う。

 

休日になればかわりばんこに赤ちゃんリレーができて、それだけで気持ちに余裕ができた。

 

夫がいる休日はよくランチに外食した。

都心のデパートのレストラン街やホテルビュッフェなど、夫の労をねぎらうつもりだったけど、なかなか子連れで出かけにくいところへ行くのは、私自身が週末を楽しみにするのに十分な理由だった。

 

 

子供たちが大きくなって幼稚園小学生になってくると、お世話の手のかかり方が違ってくる。

なにより平日は一人の時間が多くなる。

きちんと家事さえしていれば夫はうるさく言うことはない。

そうすると全員そろってしまう休日が少し面倒に思えてきてしまった。

 

今日はどこに行けばいいかな。。。と。

 

子供たちのやりたいことが分かれてきて、別々に行動したりすることも増えた。

毎日仕事で遅い夫の体を気遣って、夫だけおいて子供と3人で出かけることもあった。

夫と一緒にいる時間はますます減っていった。

そもそも子供中心の外出で夫の満足度も上げるなんてなかなか難易度が高かった。

毎週考えるのが苦痛に思えた。

 

 

あんなにいつも早く帰ってこないかな、早く休日にならないかなと恋焦がれていたのに、いつの間にか少し煩わしく思うようになるなんて、なんて贅沢な悩みなんだろう。

 

人間の心なんて身勝手なんだろうな。

いや、私だけかもな。

大切なものを大切に、ずっと大事にできなかった。

そのツケが今私に重しとなってきているんだろうな。

 

 

 

アニメ、空挺ドラゴンズのエンディング曲。

 

当たり前の毎日が贅沢なんだとわかっても。

 

という歌詞がある。

こんな曲を作り出す人が、何かに絶望し亡くなったそうだ。

いろいろあるのだろうが、生きて欲しい…と思うのは私が真に絶望したことがないからだろうか。

追い詰められたことが無いからだろうか。

 

生きるための体と心を持っている、それだけできっと贅沢なんだろうなとも思う。