未だに、その日は突然だったように感じます。
夫の命の炎は日ごとに細く、小さくなっているのはわかっていたつもりでした。
また明日来るね。
うん、また明日ね。
しかし、ある日、呼び出された私の前にいたのは、熱に苦しみあえぐ夫の姿でした。
わかっていたはずなのに、「いよいよ…」だなんてことはなく、「なんで?!どうして?!」という思いが渦巻きました。
前日に緩和ケアに行く決断を夫から聞き、闘病から介護に移る心の準備を始めたばかりだったのに、一晩で場面は一気に変わっていました。
この2週間の変化にすら必死でついていっていたのに、もう全然違う映画を見ているかのようです。
だから目の前の現実は到底受け入れられず、息を引き取った時ですら、「これは現実ではない」と、心の一部をどこかに逃がして自分の気持ちを保っていたように思います。
毎日泣き、毎日眠れない日々が続く中、私を支えたのは間違いなく娘と息子の存在でした。
一緒に泣いて一緒に笑ううち、少しずつ少しずつ、普通の代り映えのない日々を過ごしていけるようになりました。
お父さんは、今日も帰りが遅いなあ。
そんな錯覚をするほどに今までとあまり変わらないような穏やかな毎日でした。
ただ、この一年で娘は小学校を卒業し、中学生になりました。
成長を喜ぶ気持ちのどこかに、「そんな姿を一緒に見て欲しかったなあ」と感傷が混じりました。
そして、昨日身内だけで一周忌を執り行いました。
祭壇に祀られたお骨と写真を前に、こみ上げるものを抑えることはできませんでした。
こうして、節目ごとに、「この世に我が家のお父さんはいない」という現実を目の当たりにさせられるのです。
昨日自宅に戻ってから、娘が恐る恐るこう言います。
「お母さんは早くに死なないでね。」
正直、お約束はできないけど…頑張ります。
最初の頃こそ、「お父さんの分まで」と少し気を張りすぎていた気がします。
でもこうして1年近くを過ごし、その気持ちはずいぶん変わってきました。
お父さんの分まで、長生きを。
お父さんの分まで愛情を。
そんなことは考えなくていいんだって思うようになりました。
彼は彼の人生をきちんとやり遂げたと思うから。
ほかの人より少し短いだけで彼だけの道を歩き切ったと思うから。
それなのに私が「彼の分まで」と言うのはおこがましいのではないかと思うようになりました。
ただ、娘と息子のことは彼との共同プロジェクトだったので、パートナーがいないことに不安はあるけれど、投げ出すことはできません。
まずは3年。
娘も息子も卒業、入学とステップアップ。
さらに3年。そしてその先も、少しだけ上乗せさせて見守っていけたらなと思っています。
できれば、20年後、娘は32歳。
私が娘を産んだ歳です。
それまでは元気でいないと、って言うのが一つの目標です。
まだまだ世界を脅かす禍は収束の兆しを見せません。
皆さんと一緒に夫のことを偲ぶ機会はまだまだ遠そうです。
そのような中でもよろしければ、お参りに来てくださるとうれしいです。
または晴れた日に少し空を見上げて、彼のことを思い出してくれたらいいなって思います。
よく日に焼けた彼の姿がそこに浮かんでくるかもしれません。
