石川選手からの誘いだったユニオン。
当時の事を思い出すと、
とても貴重な経験ができました。

DDTは初の両国国技館大会を成功させ、
その裏でユニオンは全選手が大会手伝いとして
入り口でビラを配っていました。

毎大会が勝負で100人規模の会場をいっぱいにする為に、
全員でポスター貼りで街中を周り、
それでも中々、満員にはならない現実。

今回のBASARA後楽園で
イサミ選手から
BASARAのポスター貼りをしてくれて有難うと言われました。
自分の中ではBASARAとユニオンは地続きだと思ってます。
自分の中にもユニオンプロレスが今も大きく残っている。
そう思っての行動でした。
ポスターを貼りに行くと、
何件も既にBASARAのポスターが貼ってあるお店がありました。

若い選手もベテランも一丸となって大会を成功させようともがいてるのは、今も昔も変わらないでいてくれた。

さらにあの頃のユニオンを思い出します。

石川選手が大きな身体を小さくしながら、
ポスター貼りのご協力をお願いし、
お店の人から

あなた大きいね!
なにっ?!選手なのにポスター貼ってるの?
大変だねぇ!

そう言ってもらいながら、
何軒も回り続けました。


スーザン代表は
この飲み屋貼ってもらえるかな?と
間違えて風俗店へポスター貼りに入ろうとし、
慌てたイサミさんに
代表ここは違うから!
と止められてました。

終わってから、
皆んなで呑み会して、
色々な話をしました。

ユニオンはアットホームな雰囲気があると言われてそれを否定される事もありましたが、
自分はこの空気が好きでした。

そんなユニオンプロレスが10周年記念興行で解散する事が決まります。
新宿FACEでユニオン解散を発表した時、
バックステージで石川選手とイサミ選手は互い泣いたと聞いてます。

石川選手は悔し涙だったと言います。

自分は涙する事はありませんでした。
石川さんから頼まれた、ユニオンのお手伝いを無事に終える。
寂しかったとかはありますが、
安堵感だったような気がします。

あれから四年

あの時、何で自分は悔し涙を流すくらいに、
ユニオンで頑張れなかったのだろう。

DDTグループから離れるBASARA
そのBASARAから去る時に
自分は何を思うのだろう。

ユニオンMAX選手権
木高イサミvs高梨将弘
まであと2日。