蛙の子は蛙。
葉月雅治貨幣論研究所でございます。
といいながら、貨幣論研究じゃなくして普通ブログなんですがいいでしょうか。
金曜日は「金」だけに葉月雅治的貨幣論を書いていこうなんて思っていたのですが、あんまし意欲がわかなかったり。
不定期にしましょうかね。
必要に応じて変えることも必要かと。
んで帰るといえば、私の場合高校生活が暗黒期でして、特に高三は降参の毎日でして、下校時刻と同時に帰宅していたくらい学校イヤイヤ症候群だったのですが、というか欠席も多かったしね、遅刻も、結構時間きっちり守らないと気が済まないタイプなのにあの頃は例外だった。
大学を自主休学(苦笑)したのとはちょっと意味合いが違うかな。
高校は学校そのものがイヤだったのに対して、大学は学問そのものと向き合うのが困難になった。
まぁ何でも長続きしないってのは今もそうですから、大差ないと言われたらそれまでなんですがね。
って今日書きたいことはそんなことではなくて、将来的に自分も政治家になるでしょうから、政治家の演説を一般人としては観ている方だと思うのですが、よく変えるのすってんのなんて文言を聴くことがありますが、これってどうなのって思うのが自分でして、というのもですね、保守じゃないですか私、自称保守みたいなみっともない保守ではなくて真正保守じゃないですか私、んで何で保守なのかって、人間ってバカな生き物なんだから、その場のノリで変えちまえみたいなことやんなって思うわけですよ、基本的には、バカがバカなりに積み上げてきた物事の方がまだ信用できるだろって、バカなりの歴史が重要なんだって、だから何かミスったなって思うのならば、取り急ぎ元に戻せよって思うわけですよ、変えるじゃなくして戻せって、戻す過程で真に必要なことが見えてくるからって、まぁ革新勢力しかいないような現代日本でこういうこと言ってもあまり理解されないのでしょうがね、中韓叩いて神社に参ったら保守でいいんじゃないかな、どうせ変わらんでしょこの国は。