ご飯論法。 

葉月雅治でございます。

 

何かしらの会議を行うにしても、ただ淡々と議論をするだけだとどうしても殺伐とした雰囲気になってしまうので、会食でもしながらほのぼのとした状態で話し合いを行うことをご飯論法と言うわけですが、現在コロナ禍ですんで飛沫感染がどうのこうのとかそういうことにも気を使いますよね。

他にも、仮に私がその会議の出席者だったとしたら、

🥸<君は減量中だったな、ではその肉は私がいただこう。

みたく肉を中抜きされる可能性もあるわけで、別の意味で殺伐とする可能性もある。

また私偏食も醜いもので、そういった理由であまり会食が好きくないですからね。

ご飯論法イクナイ。

 

閑話休題。

結局日本の政治って革新vs革新であり、要は根底にあるグローバリゼーション大好きは同じであるということで、目的が己の利益なのかお花畑なのかが違うということなんだが、それに気づいていない相当に何も考えていない連中に対しては対立軸みたいな話を演出しなければならないわけで、近隣諸国を叩いて神社に行ったら保守とかいう頭のおかしな設定もその一つなのかな、そういう話をするときにご飯論法的なことってよく使われるよね。

かといって世界のみんなで仲良くご飯を食べよう!のようなお花畑も理念としてわからなくはないが、現実離れしすぎていてやはりお花畑にすぎないし、しかも何も育ちはしないお花畑なんですから、前など見る希望は持てず右往左往するしかない今日この頃なんでしょうね。


減量を始めてからご飯を食べる量が減ったなぁ。

こう書くと「ご飯」が「お米」という意味なのか「食事」という意味なのかわかりづらいよね。

ちなみにお米を食べる量が減り、トータルの食事の量も減ったという意味だからな。

減量仲間を募ってはいるが募集はしていない今日この頃です。


今日の一曲