今週の読書は「バカの壁 (新潮新書)」でした。
葉月雅治でございます。
過去に読んだことがあるような気もしましたが、気がするとか言っている時点で読んだことがないのと同等だよな、なんて気がしましたので読むことにしました。
まぁ俺のブログをバカだのゴミクズだのもう少し言葉の選択をどうにかしろよなんて思った方は多分それ以降読まないだろうから、読者の方はどちらかというとそれを肯定しているのかもしれないが、バカだと認められないことがそもそもバカなのであり、現にマクロで見たら国の借金デマに未だに騙されているバカ国民なわけで、だって貨幣が何なのかの時点で間違っているのに、そのあとの話をあーでもないこーでもないってそりゃそーじゃないだろって話で、経済学デハーとかwww、いい加減にしろよwww、これをバカだったと認めることが将来世代へのツケを減らすことではありませんか。
左右の壁の場所そこじゃないですよ。
ほとんど左しかいない世の中ですよね。
わけもわからず騙されグローバル化に賛同し守銭奴に貢いで弱者に努力を強要する美しい世の中ですよね。
Twitterで「日本列島改造論」の紹介をしている人がいて、自分も読みたいなぁなんて思っているのですが、近所の図書館にはなかったですね、といいますか、亡き親父の部屋に昔恐らくあったんだよなぁ、小学校の頃に親父の部屋の本棚にあったことは恐らく間違いないので、アレ、ウチの親父って所謂左側だったような気もするのですが、そういった思想的な会話ってしたことないから、本当はフリースタイルだったのかもしれませんね、蛙の子は蛙なんて言いますが、俺は社労士界の野良猫なので、あくまでもねこちゃんです、変えるという言葉は実はあまり好きではなく、保守(ここは所謂メンテナンスという意味で)をしようと考える方です。
例えば貨幣論が間違っているから社会保障制度もおかしなことになっているわけで、じゃあ間違っているから抜本的につくり変えるってのも一つの考え方だとは思うのですが、それよりも自分は既存の制度を活かしながらどうにもこうにもな部分を変えるべきだ、っておまい変えるって言葉使ってんじゃん、いや急激な変化とか止めた方がいいだろって話なんですよ、消費税は速攻廃止で問題ないですがね、アレはゴミクズ、出世レースの題材にしかならないゴミクズ。
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